表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/188

第二十三話 終戦、其の後

 その日、諏訪頼重は武田に対し、降伏の意を見せる。晴信は彼の命を奪うことなく、弟の諏訪(すわ)頼高(よりたか)と共に、甲府へと連行する手筈とした。



 〈御射山・武田家陣中〉


 「原虎胤。其の方、天晴な働きよ。

  良く我が城を守ってくれた、後に甲斐にて褒美を渡そう」

 血塗れの姿で家臣に支えられているのは、原虎胤。

 虎胤は主君を前に薄ら笑みを浮かべ、力尽きた様に目を閉じる。


 「原殿!?」

 「いや、案ずるな。息はしておる。

  血が足りず、気を失っておるだけじゃ」

 高遠は虎胤を抱え、甲斐へ戻ると口にする。


 「此れより甲斐へ戻る、各々支度は済んだか!」

 威勢の良い返事を聞き、晴信は手綱を引いた。

 彼を取り囲む様に、各々は歩き始める。

 数千の兵が同方向へ揃い歩む姿は、いつ見ても圧巻の一言に尽きる。



 「……晴幸殿」

 歩き出した俺に語りかけるのは、板垣信方。

 俺は彼の顔を見なかった。理由は言わずもがなである。


 「先程は済まなかった、ついかっとなってしまった。

  其方には其方なりの考えがあったのだろう」

 「……いや、謝る事など無い。

  其方は儂を止めてくれた。

  寧ろ謝るのは儂の方じゃ」


 板垣は頬を掻く。陽は既に、真南に昇っている。

 初めは気不味(きまず)さだけが漂っていたが、そんな感情も直ぐに綻んでしまった。

 


 

 「晴幸殿、一つ言っておく」

 途端に、板垣の声色が変わる。


 「此度のことで良く分かった。

  其方は、人が変わったかの如く牙を向ける時がある。

  其方を放って置くのは危険じゃ」



 やはり、そうなるのだな。

 俺は己の行為を認め、頷く。

 「済まぬな、板垣殿」

 謝ったところで意味など無い。

 俺自身でどうにかなる問題ではない事は、板垣にも自明であろう。






 「領主様......」

 横目に見えた領民達の表情には、恐怖が混じっている。それを前面に出さぬよう我慢していることは、容易に理解できていた。


 「......儂が怖いか?」

 

 彼らの方を見ることなく、俺は問いかける。

 答えに詰まる様子に、俺は遂に頬を緩ませた。


 これじゃ、今までと同じだ。

 今回こそ、上手くいくと思っていたのに。

 また、離れていくのか。皆が、俺の許から。



 良い、どうせ慣れっこだ。







 〈《異物》の事を、他人に話すことは出来ない〉

 それでも、いつかは皆理解してくれるのだろうか。

 俺が俺でなくなった時、

 板垣、御前はあの時の様に、俺を止めてくれるのか?


 答えのない問いを続けながら、俺達は再び一日かけ、甲斐に戻るのだった。






 領地に戻った後は、まるで戦という事実が虚構だったかのように、何気ない日々が始まるのだった。

 戦に同行した男達も、二・三日後には再び何気なく話してくれるようにはなったが、表情は何処か引きつったままである。


 彼らは《異物》に取り憑かれた俺の様子を、村の誰にも語ることはなかったという。




 帰陣から数日後には、諏訪頼重の身柄が武田家の領地である甲府の東光寺へと送られた。俺には幾度か、そこで頼重かれと対面する機会があった。


 「此度は、誠に無礼を致しました」

 「良い良い、其方の御陰で気付かされた。

  本より儂は、死ぬ覚悟すら無かったのだ」


 頼重が俺に会いたいと口にしていたと、晴信は言った。

 頼重が浮かべる笑みは、祈りの届いた彼の心情を表象しているように思える。

 しかし、俺の中に浮かに続ける唯一つの疑問。

 俺が、怖くないのだろうか。

 恐る恐る訊ねると、「少しだけは」と返答した。



 「其方、晴信の軍師だそうだな」

 「……は」

 「儂に聞かせよ、此度の其方の策を。

  何故儂が桑原城へ向かった事を知っておった」



 俺はあの時の記憶を思い起こす。

 それは鮮明に、俺の脳裏に焼き付いている。

 俺は何もしていない。全ては〈異物〉のしたこと。

 しかし、知りたいと申すならば言わない理由は無い。

 俺は記憶を辿り、一から話し始めることにした。



 「我らは先ず、貴方様の家臣である金刺昌春様に文を渡しました。

  〈上原城にある我らの旗印を見つけさせよ〉と」

 金刺昌春。頼重を桑原城へと案内し、

 高遠と共に諏訪家の裏切りを図った男。


 「そうじゃ、旗印を上原城に立てたのは何奴じゃ。

  武田の者では無いであろう」

 「はい、高遠頼継様にございます」


 その名を聞くや否や、頼重はやはりかと息を吐く。

 「知っておったわ、高遠が諏訪上社の惣領の地位を狙っておった事を。

  まさか金刺と手を組んでいたとは思わなかったが」


 残酷かもしれない。しかし、言わねばならない。

 頼重の包囲が可能だった理由。

 そうだ、〈異物〉は策通りに動いていた。


 「頼重様、一つお伝えせねばならぬことがございます。

  桑原城にて貴方様を案内したのは、我ら武田の者にございます」



 頼重は驚き、直ぐに頬を緩ませる。


 「ははは、それは誠か。

  成程、暗闇を利用した訳じゃな」


 恐らく、想定外の事態が続いたことで焦りを生んでいたというのも、彼の想定を出し抜いた要因の一つだろう。

 いや、〈異物〉にとってはそれすらも想定内であったか。


 「そうかそうか、敵ながら見事な策だ。

  こりゃ一杯喰わされた。

  流石、あやつが軍師として認めた男じゃ」


 頼重は笑う。

 喜び辛かった。その理由は明白。

 此度の出来事は俺でなく、全て〈異物〉が起こした事なのだから。


 「頼重様はこれから、如何するおつもりで」

 俺の問いに、頼重は俯く。

 「先の事は考えておらぬ。

  しかし、当分は武田の世話になるだろうな」




 諏訪頼重


 セントウ  八四七

 セイジ   一七五九

 ザイリョク 一四三六

 チノウ  一七八一



 「晴幸様、城へ御戻り下され」

 気づけば、日暮れが迫っている。

 随分と長く話し込んでしまったらしい。

 城からの迎えが来た俺は、頼重に礼をして立ち上がる。


 「儂は其方が気に入った。

  また来てくれ。

  次は女子おなごの話でもしようではないか」


 俺は苦笑しながらも頷き、彼に背を向けた。

 





 この男の未来を、俺は知らない。

 しかし、この人には幸せになって貰いたい。

 こんなにも感情が豊かで、思いやりがある。

 晴信も認める程の才を、持っているのだから。





























 その二か月後、頼重は自身の短刀で自刃した。

 それが見つかった頃には、死体は既に、腐敗して居たという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ