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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第6章 決戦、上田原 (1548年 1月〜)
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第二百四話 壊れた、算盤

 障子から漏れる月明かりが、室内の調度品に淡い影を落とす。

 蝋燭の炎がゆらめき、晴信と数名の重鎮、泰山、そして俺の顔を、時折不気味に照らし出した。


 泰山は主君の目前にも関わらず、

 膝を崩し、懐から取り出した干し柿を無遠慮に放り投げ、口で受け止めていた。


 「かっかっか。いやあ、やはり御館様の召される柿は一味違う。

  我が村の渋柿とは大違いだ。

  これなら戦場に持って行っても、喉が詰まらずに済む」


 「 貴様、流石に無礼が過ぎるぞ」


 甘利殿の低い声が、夜の静寂を破って響く。

 だが、泰山はどこ吹く風で、指に付いた柿の粉をペロリと舐めた。


 「まあまあ、甘利殿。そう怒ると、せっかくの強面が台無しでございますぞ。

  私はね、堅苦しい話が大の苦手でして。

  軍師殿、お主もそう思うだろう?」


 泰山がニヤリと俺を見て、肘で突いてくる。

 まあそうだろうな。

 俺は内心冷や汗をかきながらも、居住まいを正して晴信を見た。

 晴信は怒る風でもなく、ただ面白そうに泰山の挙動を観察している。

 夜の闇が、彼の表情をさらに読みにくくしていた。


 「構わぬ、泰山、其方の口と態度の悪さは承知の上よ。

  それより、義清のことをもう少しばかり聞かせよ」


 晴信の問いに、泰山はふっと表情を緩めた。

 だが、その瞳だけは笑っていない。

 蝋燭の炎が彼の瞳に宿り、

 まるで深淵を覗き込むかのように、冷たい輝きを放った。


 「調理とは、言葉選びが秀逸なことで。

  御館様、義清という男はね……

  あれは『壊れた算盤そろばん』でございますよ」


 「壊れた、だと?」


 板垣殿が怪訝そうに眉を寄せる。

 泰山は空中に円を描くように手を動かした。


 「左様。あやつは、本来なら我らと同じ『人の弱さ』を解する男じゃ。

  じゃが……あやつは恐れているのですよ。

  この乱世、一瞬でも迷えば、自分も、自分を慕う民も真っ先に喰い殺される。

  故に、己の心を殺し、無理やり『冷徹な合理』という鎧を纏っている」


 泰山はにやつきながら、俺の顔を覗き込んできた。

 その顔は、蝋燭の影で半分が隠されていた。


 「軍師殿。お主のように、

  あやつもまたこの世の『ことわり』をどこか俯瞰で見ている節がある。

  あやつはその鋭すぎる知覚ゆえの恐怖から逃れるために、

  戦場を一つの完璧な盤面として納めようとしておる……

  皮肉な話じゃ。あやつは世に抗うために、

  持つべき『人としての揺らぎ』を、

  必死に捨てようとしているのですからなぁ」


 俺は心臓が跳ねるのを堪えた。

 泰山は、勿論俺たちの正体を知らない。

 だがこの男の洞察は、義清が抱える矛盾——

 乱世の理に過剰に順応しようとする絶望——を、

 正確に言い当てるものだった。


 「……泰山殿の申す通り、

  恐らく村上は、この戦場を数値で支配しようとしております。

  己の迷いを断ち切るために、『合理的な勝利』という正解にすがっている。

  逆を申すならば、奴は『正解のない事態』に直面したとき、

  鎧の下の素顔が露呈するはずです」


 俺が補足すると、泰山はパチンと指を鳴らした。

 その軽快な音が、静かな部屋に妙に響く。


 「そう!だからこそ、戦略は『出鱈目でたらめ』に限るのだ。

  あやつが必死に弾き出した算盤の玉を、横から竹棒でひっくり返す、

  あやつが『こう動くのが戦の常道だ』と信じている場所に、

  あえて一番弱く、今にも逃げ出しそうな雑兵を置く。

  そして、板垣殿や甘利殿といった『金駒』を、

  戦場とは全く関係ない泥沼の影に突っ込んでおく。

  無駄、無意味、非合理!

  算盤が弾き出せない『馬鹿の極み』を、あの男にぶつけるのですよ」


 「……ふっ、馬鹿の極み、か。

  我らに死ねと言うのか、泰山」


 甘利殿の声が低く響く。

 夜の闇が、彼の表情を一層険しく見せた。

 泰山はケラケラと笑い飛ばした。


 「何を申します、死なせやしませんよ。

  村上が信ずるのは『正しき答え』のみ。

  だからこそ、こちらが『絶対にあり得ない間違い』を犯したとき、

  あやつの合理は狂い、盤面ごと爆ぜる。

  あやつが『自分は人ではなく、冷徹な管理者だ』と言い聞かせるその嘘を、

  我らが剥ぎ取ってやるのですよ……どうです、御館様?

  正月早々、人使いの荒い御家のために、

  こんな馬鹿げた遊びに付き合う気はありますかな?」


 晴信はしばし沈黙し、蝋燭の炎を見つめていた。

 やがて、その口から低く、野獣のような笑い声が漏れた。

 それは、夜の帳に溶け込むかのような、不気味な響きを持っていた。


 「面白い。村上の算盤を粉々に砕き、

  奴を再び『人』へと引き摺り下ろすか……

  信方、虎泰。此度の戦、この二人の毒に賭けてみようではないか」


 「……御意に」

 「承知いたしました」


 二人の重臣が不承不承ながらも、覚悟を決めた顔で頭を垂れる。

 その表情は、夜の闇に隠されて、はっきりと読み取ることはできなかった。

 泰山は再び干し柿を口に放り込み、俺に向かって片目を瞑ってみせた。


 「さて、軍師殿。

  上田原の雪をどう汚してやるか……

  それを考えるのは、其方じゃ。

  あやつの算盤を、其方の手で壊してしまおうではないか」


 泰山のおちゃらけた態度の裏側。

 俺は救うべき歴史と、崩れ落ちる未来の境目を見た気がした。

 夜は更け、月は、無関心な光を地上に投げかけていた。

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