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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第6章 決戦、上田原 (1548年 1月〜)
209/211

第二百二話 予感、戯言

 躑躅ヶ崎館の正門を、数人の屈強な側近に囲まれ、一人の老人が潜り抜けた。


 「……やれ、正月から呼び出しとは、

  この御家は誠に人使いが荒い」


 近衛泰山。  

 かつては武田を根底から揺るがした敵方の首魁であり、

 今は「死んだはずの男」として隠居生活を送る。

 周囲を固める近習たちは、案内役というより

 万が一の暴走を食い止めるための監視役に等しい。

 その物々しい警戒を、泰山は鼻で笑うように

 ひょこひょこと歩き、大広間の襖の前に立った。


 襖が開かれると同時に場違いなほど軽薄で、

 それでいて肌を刺すような冷たい気配が流れ込む。


 「松尾泰山、参りました……

  おっと、今はもう近衛でござった。

  御館様、あけましておめでとうございまする。

  祝儀代わりに、この老い先短い命をさらに削る『仕事』をくださるとは……

  いかにも武田らしい」


 居並ぶ重臣たちの殺気混じりの視線を柳に風と受け流し、泰山は中央まで歩み寄る。

 晴信様が顎で促すと、泰山は俺の隣に、

 さも当然のように腰を下ろした。


 「さて、晴幸殿。

  お主がわしを推薦したそうではないか。

  新婚早々、隠居をいびるとは……良い趣味をしておられる」  

 「口を慎め、泰山殿……村上義清の件じゃ」


 俺が釘を刺すと、泰山は細めた目を地図に向けた。

 その瞬間、彼の顔から「隠居の老人」の仮面が剥がれ落ちる。


 「義清か……あやつは、

  我らが(まみ)えてきた大名とは違うぞ」


 泰山は懐から算盤を取り出し、

 パチリと一つ、玉を弾いた。


 「義清が求めているのは、領土ではない。

  あやつが求めているのは、『完全なる盤面』じゃ。

  お主ら武田が自らの情や義理で動くたびに、

  あやつはそれを『誤差』として冷酷に切り捨てる。

  奴の軍略には、まるで人の血が通っておらぬ。

  まるで、何十年、何百年も先の戦を知っているような、冷徹さがある」


 その言葉に、広間が再び静まり返った。  

 重臣たちは泰山の言葉を比喩として捉えただろう。

 だが隣に座る幸綱だけは、その言葉の「真実」を知っている。

 村上義清もまた、俺たちと同じ「異物」なのだ。

 泰山は転生者ではないが、まるでそのことに気づいているかのような物言いである。


 「泰山殿、ならば、あやつが築き上げようとしているその盤面、

  どこに『穴』がある」


 俺の問いに、板垣殿や甘利殿も身を乗り出す。

 泰山は再び算盤を鳴らし、広間の全員に聞こえるような明瞭な声で言った。


 「穴、ですかな。それは『理屈で測れぬ男』の存在でしょうな。

  村上義清という冷徹なことわりにとって、情で動き、

  算盤の弾きを飛び越えて死地へ飛び込むような男は、歯車を狂わせる砂利に等しい。

  ……さて、晴幸殿。お主は今回、その砂利になるつもりか?

  それとも、あやつと同じ『算盤の玉』になるつもりか?」


 広間に響くその問いは、俺の胸に鋭く突き刺さった。  

 村上(転生者)が描く「正解」の盤面に対し、俺はどう動くのか。  

 俺の脳裏には、上田原の戦場に降り注ぐ血の雨と、そこで崩れ落ちる板垣殿の姿が、予知夢のように過った。


 完璧な理屈による勝利か、あるいは無茶苦茶な情による叛逆か。  

 俺が選び取る道が、この武田の双璧を救うのか、あるいはその命を奪うのか。

 正月早々の軍議は、重苦しい沈黙と共に、信濃への出陣を決定づけた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 軍議が散会し、重臣たちがそれぞれの準備のために立ち去っていく中、広間には重苦しい沈黙の残滓が漂っていた。

 板垣殿や甘利殿は、出陣を前に武士もののふとしての清々しい気合を漲らせていたが、その背中を見送る俺の心境は複雑だった。


 ふと隣を見ると、真田幸綱が石像のように硬直したまま、険しい顔で一点を凝視している。

 その瞳に宿るのは、知略家のそれではなかった。


 「……幸綱」


 声をかけると、彼は弾かれたように俺を見た。

 その額には、冬の寒さにもかかわらず薄っすらと汗が滲んでいる。

 彼は周囲に人がいないことを確かめるように視線を走らせると、喉を鳴らし、苦渋に満ちた声を絞り出した。


 「晴幸殿……泰山殿の言ったことは、戯言ではないと思った方が良い」

 「どういう意味だ」

 「史実では、この戦で」


 そう言いかけ、止まる。

 だが、俺の目を見据えて言った。その言葉は、あえて核心を濁しながらも、俺の脳裏にある最悪の予感を形にするものだった。


 「この戦……上田原の地で、武田の柱石が崩れる。

  史実まことに沿うならば、武田を根底から支え続けてきた『あの者たち』が......」

 「あの者たちが、何だ」


 「……いや、何でもない」


 幸綱は立ち上がり、静かに袴の皺を伸ばした。

 その態度はどこまでも真面目で、これからの戦場に潜む得体の知れない危うさを、全身で警戒しているようだった。


 「晴幸殿、くれぐれも油断するでない。

  我らの知ることわりが、そのまま通用する相手ではないのだから」


 幸綱はそれだけ告げると、俺に背を向けて足早に広間を去っていった。


 その場に残された俺は、幸綱が飲み込んだ言葉の残響を、冬の冷たい空気の中に感じていた。

 あいつが伝えたかったのは、単なる敗北の警告ではないのかもしれない。

 

 転生者が持つ、(スキル)の存在。

 武田を支える誰かの命が、今まさに歴史の歯車にかけられようとしている。その確信に近い予感だった。


 俺の腰にある太刀が、カチリと音を立てる。

 俺は重い足取りで館を後にし、夕闇が迫り始めた道を一人歩いた。  

 村の家々からは、夕飯の支度をするための煙が細く立ち上っている。

 平和そのものの、ありふれた冬の夕暮れ。

 だが、この穏やかな景色の裏側で、血塗られた死の歯車は確実に回り始めている。


 やがて、見慣れた我が家の門を潜る。

 そこには、今朝送り出してくれた時と変わらない、温かな生活の気配があった。    


 俺は冷え切った手を一度さすり、深く息を吐き出して軍師の顔を捨てた。  

 そして、明日から始まる修羅の道をひととき忘れるように、

 静かに、ゆっくりと屋敷の戸を開けるのだった。

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