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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
205/211

第二百話 新たな、旅立ち (第5章最終話)

 祝言の喧騒も、泰山との密談も、そして昨夜の闇の中での対峙も、すべてがまるで遠い夢だったかのよう。

 翌日の甲斐は、抜けるような青空に包まれていた。


 早朝の露が乾ききった頃、俺は一人、村外れの小道を歩いていた。

 眩しいほどの陽光が降り注ぎ、新緑の田畑からむせ返るような土の香りが立ち上る。

 こんなにも穏やかな日差しの中で、あの声が響いた。


 「……満足か、転生者よ」


 路傍の石に腰掛けた男がいた。

 眼帯を引き、体中に凄絶な死線の跡を刻んだ、本物の「山本晴幸」だ。

 昨夜と同じ、俺という存在の『芯』から響く声がする。

 だが、その姿は、夜の闇に溶け込む影ではなく、容赦なく降り注ぐ太陽の下に、鮮烈な輪郭をもって存在していた。


 「……久方ぶりだな。見たか。儂の晴れ姿を」

「ふん、浮かれた気分で居座りおって。祝言だと。家督だと。俺の生涯に、そのような泥臭い幸福など一度として無かったぞ」


 彼は一つ目を見開き、嘲るような笑みを浮かべた。 ただ深淵の底から見上げるような、そんな凪いだ達観が、この青空の下で一層際立っていた。


 「お主は遂に、かの女子の手を取った。

  それによって、儂が歩むはずだった血塗られた正史みちは完全に壊れた。

  お主という異物が、俺の記憶を、俺の魂の居場所を、端から喰い破っていったのだ。

  だがな、晴幸……その代償は、

  お前が考えているよりもずっと、高くつくぞ」


 本物の晴幸は、眩しそうに空を見上げる俺の視線から逃れるように、ただ田畑の彼方を見つめたまま語り続ける。


 「信濃を見ろ。そこに座る村上義清は、

  お主が知る歴史の頁から剥がれ落ちた怪物だ。

  あやつはお主と同じ、この時代の『外側』から来た毒を知っている。

  お前が掴んだその温もり、家族、義清はそれを、お前の喉元を掻き切るための最も効率的な『刃』として使うだろう。

  お主が愛を語るたび、お主が守ろうとするたびに、あいつはそれを無慈悲に粉砕する」


 本物がゆっくりと立ち上がり、日差しの中で俺の目の前まで歩み寄った。

 その様子が、夏の清々しい空気を一瞬で変質させる。


 「お主はもはや孤独ではない。

  故にこれからより悩み、より苦しむことになるであろう。

  儂という『記憶』が教える道筋は、お前の抱えた『情』によって全て狂わされる。

  味方を救うために策を捨て、女を守るために大義を汚す。

  その度に、お主の心は引き裂かれ、

  己の甘さを呪い、血の涙を流し、独り夜の底で震えることになる。

  それが、平穏という禁忌を犯した者が背負うべき『業』じゃ」


 俺は何も言えず、その一つ目を見つめ返した。

 かつて見えた、己自身の終焉。

 その瞳の奥には、彼が辿るはずだった最期――死に様が、静かに揺らめいているように見えた。


 「だが、もし……」


 本物の晴幸は、不意に言葉を切り、わずかに口角を上げた。


 「もしお前が、その泥濘ぬかるみのような苦しみの中で、

  一度も心を折らずに立ち続けられるならば……

  その先にある、儂が見ることのできなかった景色が見えるだろう。

  武田晴信が、古臭い因縁や病魔をすべて振り払い、

  あの日ノ本の頂から天下を俯瞰するその瞬間を。

  お主という異物が、歴史をその手で捩じ伏せ、主君を孤独な頂から救い出す、

  そのような世は、儂には作れぬ。

  お主にしか作れぬはずだ。


 本物の晴幸の姿が、夏の陽炎のように揺らぎ始める。

 彼は最後の一歩を詰め、俺の耳元で囁いた。




 「征け。せいぜい、無様に、美しく、抗ってみせろ。

  お主の苦悶こそが、儂がこの世に生きた、最後の証になるのだから」




 その言葉を最後に、気配はふっと消えた。

 田畑を吹き抜ける風が、俺の頬を撫でていく。

 真夏の太陽だけが、すべてを見下ろすように輝いていた。


 俺は深く息を吐き、静かに、そして力強く拳を握りしめた。

 悩みも、苦しみも、上等である。

 この時代で、若殿と、あの主君と共に、

 歴史の檻を突き破る。


 見ておれ、山本晴幸。

 ここからが、真の道だ。

 俺は前を向き、また一歩歩み出す。



 俺の歩む道に、新しい朝の光が降り注いでいた。






















 そんな俺は、約10ヶ月後

 己の太刀で、人を殺すことになる。




 俺が、心から信頼していた、あの男を。




 第5章 完

これにて第5章完結です。ありがとうございました!

私情でバタバタしており、今章の完結までに6年要してしまいました......苦笑

第6章では遂に、村上義清との全面戦争へと突入していきます。

そこで告げられる真実と、晴幸(俺)の選択。


俺は、誰かを殺した。

誰を殺したのか。


お見逃しなく。



その前に、閑話を少々。

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