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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百九十九話 それぞれの、季節

 あれから、瞬く間に三日の月日が流れた。


 かつては「得体の知れない異邦人」であった俺の周囲は、いまや信じられないほどの喧騒に包まれている。

 晴幸が祝言を挙げる。その噂は、躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたの侍女たちから足軽の屯所に至るまで、瞬く間に広まっていた。


 「晴幸殿、これ、田舎から届いた酒だ。祝言で使ってくれ!」

 「軍師殿に似合うような、立派な鯛を用意しておきますよ!」


 市を歩けばそんな声が掛かり、屋敷に戻れば若殿が照れくさそうに、けれど誇らしげに周囲の者と準備を整えている。

 殺伐とした武田の日常の中に、ぽっかりと空いた陽だまりのような時間。

 だが、その幸せな喧騒を縫うようにして、主君・晴信様からの呼び出しが届いた。


 俺は袴の皺を伸ばし背筋を正して、晴信様の私室へと向かった。


 「山本晴幸、参りました」


 声をかけ、襖を開ける。

 そこには、文机の前に座り、地図を凝視していた晴信様の姿があった。

 そしてその傍らには、武田の双璧の一人、板垣が不動の姿勢で控えている。


 室内には、市の賑わいとは対照的な、ぴんと張り詰めた「戦の予感」が漂っていた。


 「……来たか、晴幸。噂は聞いているぞ。

  何やら、この館で一番の浮かれ男がおるとな」


 晴信様がいたずらっぽく、けれど慈しむような眼差しを向けてくる。


 「恐れ入ります。お騒がせして、申し訳ございませぬ」

 「構わぬ。其方の平穏は、この甲斐の平穏にも繋がる……だが、その前に済ませねばならぬことがある。信方」


 晴信様が促すと、板垣が重い腰を上げ、俺の前へと歩み寄った。

 板垣は、俺の正面に立つと、昨日の和解よりもさらに深い、武士もののふとしての誠実さを込めてその場に膝を突いた。


「晴幸殿……先日、信濃調略の審問の折、儂は其方の腹を探り、無体な疑いをかけた。

 儂の目は、其方の知略の鋭さにばかり気を取られ、その胸にある『忠義』の形を見落としておった」


 板垣は、主君の前であることも厭わず、深く頭を垂れた。


「誠に、済まなんだ。

 此度の祝言、武田の柱石として心より祝わせてもらいたい。

 そして……これからは、儂の背を預けられる『戦友とも』として、共に歩んでくれ」


 武田家を支え続けてきた宿老の言葉。

 その重みは、俺の胸に痛いほど響いた。

 この地には、こうして俺を「家族」として、あるいは「戦友」として迎え入れようとする者たちがいる。


 「板垣様……もったいなきお言葉。

  私めも、貴方様のような大器に背を預けられること、誇りに思います」


 俺の返答を聞くと、晴信様が満足げに頷き、扇をパンと叩いた。


「よし。これでわだかまりは消えたな……さて、晴幸。

 祝言の前に、一つ仕事があるぞ」


 晴信様が指し示した地図の先――そこには、信濃。 北へ突き進む武田の矛先を阻む、険しき山々と「村上義清」の名があった。


 「お主の知略、そしてお主の『守るべきもの』の為に、その知恵を改めて儂に貸せ。

  ほれ、早う。近う寄るのじゃ」


 やれやれ。暇を十分に休めなかったというのに、

 この期に及んでもどうやら、休ませてはくれぬようだ。

 そうだ、この家はとんだブラック企業だったと、俺は苦笑したのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 信濃の冷徹な空気は、春を待つ甲斐の陽光とは対照的に、まだ鋭く肌を刺していた。


 葛尾城かつらおじょうの奥深く、村上義清は、届けられたばかりの報告書を文机へ投げ捨てる。

 その瞳は、深淵を覗き込むような暗い光を宿している。


 「……やはり、途絶えたか」

 「はっ。諏訪から秘密裏に運ばれるはずだった兵糧米、及び中継地点の隠れ里からの連絡、全て音沙汰無しにございます」


 側近の近習が、震える声で答えた。

 義清は、背後の壁に掛けられた信濃の地図を見上げた。 その地図には、表向きの街道とは別に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた「裏の補給路」が赤く印されている。

 それは義清が、この時代の常識を超えた知見をもって築き上げた、武田を干殺しにするための生命線だった。


 「泰山め。ようやく死に場所を見つけたか」


 義清の口角が吊り上がる。

 米が届かない。それは、義清が甲斐に送り込んだ最大の駒であり、協力者であった近衛泰山が、その役割を終えた......あるいは、武田晴信という男によって「処理」されたことを意味していた。


 「あやつ、無闇に晴信の懐に潜り込みおったな…だが、おかげで分かった」


 義清は立ち上がり、窓の外に広がる峻険な信濃の山々を睨みつけた。

 その脳裏には、《山本晴幸》という男の歪な存在が浮かんでいる。


 義清は、机の上に置かれた一振りの刀を手に取った。

 それはこの時代には存在しないはずの、極めて高純度の鋼で鍛えられた一振り。


 「面白い。

  武田の軍師として牙を剥くか、

  それとも幸せな現世うつしよの夢を見るか。

  どちらにせよ、因果の鎖からは逃れられぬぞ」


 義清の喉から、野獣のような笑い声が漏れる。

 それはまるで、狂気を含んだ歓喜であった。


 山本晴幸。我ら転生者が、どちらがこの時代の正解こたえか、血を流して証明しようではないか


 葛尾城に吹き抜ける北風が、まるで宣戦布告のように不気味な咆哮を上げた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 一五四七年、七月

 俺と若殿は、遂に祝言の儀を上げる。

 そこには、祝う多くの者がいた。


 甲斐の山々は、深い緑に包まれる。

 俺と若殿の祝言は、躑躅ヶ崎館の一角を借り、武田家の重臣たちが見守る中で執り行われた。

 

 「若殿様、もの凄く綺麗よ、本当におめでとう!」

 「ありがとう、菊様」

 「やっぱり素敵ね、あーあ。私も早く良いお相手を見つけたいものだわ」

 「その時は、精一杯お祝いさせていただきますね」

 原虎胤の長女、菊は俺の方を指差した。


 「晴幸様、若殿様を泣かせたら、承知しませんわよ!私の父が!」

 「は、はい......」

 それは原虎胤の怖さを知っている俺にとっては、十分すぎる脅しであった

 その隣で、若殿は笑うのだった。



 「晴幸殿、本当におめでとうございます!」

 「これからは、二人で武田を支えるのだな。心強い限りだ!」


 板垣、甘利、かつて俺を疑い、あるいは品定めしていた者たちが、

 今日ばかりは相好を崩して杯を差し出してくる。

 かつて忌み嫌われていたはずの俺が、

 今では、こんなに多くの仲間に囲まれているのだ。


「晴幸殿、此度は誠におめでとう」

「幸綱か。ああ、有難う」


 喧騒に紛れ、疲れ切った俺の元へと歩み寄る幸綱は、白い歯を見せて笑った。


 「その白無垢、お前には勿体ないほど綺麗だったぞ。決して泣かせるなよ、軍師殿」

 「ああ、当然だ」


 その喧騒を割るように、一人の男が風を連れて現れた。


 「――晴幸、間に合ったぞぉ、ヒック」

 「庵原様!?」


 そこにいたのは、どぶろくを片手に顔を真っ赤にした庵原忠胤であった。

 駿河から国境を越え、馬を飛ばして駆けつけてくれたらしい。

 だが、真面目に祝ってくれる様子は一切なく、庵原殿は既に、この上なく酔っ払っているようだ。


 「ひっく、こりぇほど美しき伴侶を得るろはのぉ、ひっ、ハルユキ、そなたは果報者よぉ!今川の雪斎師からも言伝を預かっておりゅぞ......『甲斐の奇才もぉ、ようやっと女の膝元に年貢を納めりゅ気になったか』となぁ!ギャハハハ!!」

 「……庵原様、声が大きすぎます」


 庵原は豪快に笑い、俺の肩を叩く。

 酒臭く、思わず顔を逸らした。


 「はいはい庵原殿と申しましたか、水を飲んでお休みいたしましょう」

 「なめるな!わしゃまだのめりゅぞ!はなしぇぇぇぇ」

 幸綱が庵原殿の両脇を押さえ、引きずっていく。

 俺は苦笑ながら、その一部始終を見ていた。



 その時である。



 祝宴の熱気が最高潮に達した時、俺の視界の端に、居るはずのない影が映った。

 純白の装束を纏い、周囲の誰にも気づかれぬまま、柱の陰に立つ男。


「……泰山」


 思わず口にした名。

 松尾泰山。 あの審問の日、晴信様の慟哭によって「死」という完璧な幕引きを奪われ、「共に地獄を生きろ」と命じられた男。

 今は隠居の身として、相変わらず俺の村の隅っこに居座り、村人に小銭を貸しては嫌味を言っている「ただの金貸し」だ。


 泰山は、ひょこひょこと千鳥足でこちらへ歩み寄ってくると、懐から古びた算盤を取り出し、それをパチパチと鳴らしてみせた。


 「いやぁ、お熱いお熱い。

  これだけ館の広間を熱くされたんじゃ、

  わしの懐の小銭まで溶けてしまいそうですなぁ、晴幸殿?」


「……泰山。わざわざ来てくれたのか」


 「おやおや、わしは祝儀を寄越せと急かされたから来たまでじゃが」

 「急かしてなどおらん!!変なことを言うな!!」

 「かっかっか!ほれ、これはわしからの祝いじゃ。

  といっても、金ではないぞ。

  貸せば利息で、お主らの子供の代まで首が回らなくなるからのぅ。くくく」


 そう言って泰山が俺の手に握らせたのは、一振りの古い短刀だった。

 装飾こそないが、驚くほど手入れが行き届いている。


 「……泰山殿、これは?」


 「わしが昔、ある男から預かった『お守り』よ。

  今はもう、わしには不要なものじゃ……

  祝言、おめでとう。お主が守りたかった景色の半分は、これで終いじゃな」


 泰山の目が、一瞬だけ鋭い「策士」のものに戻った。

 だがすぐに、またいつもの食えない老人の顔で「酒だ酒だ!」と庵原たちの中へ混ざっていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 祝言の儀が終わり、館の喧騒が遠のいた真夜中。

 俺は一人、月の光に照らされた庭へ出た。

 そこには、約束していたかのように泰山が待っていた。


 宴が果て、夜の帳が館を包んだ頃。

 俺は一人、夜風を浴びに庭へ出た。

 そこには、月明かりを浴び、一人で酒を煽る泰山の背中があった。


 「……まだ起きていたのか」


 「お主こそ。

  新妻を待たせて、策士同士の密談か? 風情がねぇのう」


 泰山は振り返らず、空の杯を月に掲げた。


 「晴幸殿。お主は今日、この時代の『家族』という鎖に自ら首を突っ込んだ。

  それは、お主という存在がもう二度と『根無し草』には戻れぬことを意味する……

  この世の『ことわり』も、今頃は盤の上で

  お主の駒を、ただの客分から逃れられぬ当事者へと塗り替えている頃だろう」


 俺は彼の隣に座り、夜の静寂を見つめた。


 「帰る道など、あの審問の日に捨てた。

  儂は……あやつと生きていく。

  それが例え、仏の掌の上だったとしても」

 「……はは、相変わらずおめでたい男じゃ」


 泰山は低く笑い、俺を横目で見た。


 「晴信様はな、お主に託したのだ。

  己が守れなかった『影』の分まで、光の下を歩けとな……だが忘れるな。

  お主が掴んだその温もりは、いつかお主の足を止める枷になる。

  村上義清は、お主のその『弱点』を見逃しはせんぞ」

 「……分かっている」

 「良い良い。せいぜい、死ぬまでその枷を愛でてやれ。がははは」


 泰山はふらりと立ち上がり、闇の中へ消えていこうとする。

 去り際、彼は足を止めず、背中越しにポツリと零した。




「……今日の酒は、二十年で一番、不味くて……旨かった。有難う。そして、おめでとう」




 その背中は、かつて命を捨てようとしていた時よりも、どこか軽やかで。

 それでいて、ひどく孤独に見えた。


 泰山が去った後、俺は、静かに月を見上げた。

 山本晴幸、御年五十四歳、 一五四七年、夏。

 もはや、元には戻れぬ。

 俺はこの時代の人間として、愛する者を守る為の「永い戦い」の始まりを、静かに誓った。

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