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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百九十二話 審問の、刻(四)

 ……よい。では語ろう。


 儂が「武田の金貸し」になった経緯を。


 まず先に言っておくが、儂は最初からこの甲斐の地へ、商いに来たわけではない。

 金で人の腹を操るのが楽しくて、ここへ転がり込んだわけでもない。


 ――殺しに来たのじゃ。


 村上の庭で、儂は「策」を売って生きていた。

 参謀などと呼ばれるが、実態は便利な刃だ。

 戦の前に言葉で敵を殺し、戦の最中に噂で味方を殺す。

 褒美は名ではなく、次の仕事。

 報いは忠義ではなく、使い捨て。


 村上家は、武田家と良好な関係を築いていた。

 そんな中、御家から与えられた値札はこうだった。


 《武田の若い主を消せ。今のうちに》


 目を疑った。ここで初めて儂は気づいた。

 表向きは仲睦まじい様子を見せておきながら、裏では武田を潰さんと画策していたことを。


 武田晴信。

 まだ若く、家中も揺れていた頃。

 今なら倒れる、今倒しておけば武田は歯を失う。

 村上家は、そう読んでいた。


 儂はその命に、うなずいた。

 うなずくしかない身分でもあったし――何より、それが儂の“価値”であったからだ。


 そして儂は、名を捨てた。

 近衛一太夫泰山という名は、その時点で一度、土に埋めた。

 誰にも覚えられぬ顔と身分を作り、甲斐へと入った。


 武田の館へ近づく手段は、いくらでもある。

 武士として正面から入れば、刀で測られる。

 僧として入れば、経で測られる。

 商人として入れば、銭で測られる。


 儂は、銭の道を選んだ。


 金は恐ろしい。

 刀は抜けば疑われるが、銭は渡せば喜ばれる。

 刀は血を流すが、銭は顔色を変える。

 そして何より、銭は、人を動かす《理由》になる。


 飢えた者に銭を握らせれば、口が滑る。

 借金を背負った者に期日を告げれば、足が走る。

 家中の小さな穴を見つけ、そこへ銭を流せば、いずれ大きな割れ目になる。


 儂は、まずそうして武田の周縁へ染み込んだ。

 農の端に、蔵の端に、番の端に。

 小さな貸しから始め、返せぬ者には取り立てをしない。

 代わりに「話」を取った。


 ――誰が誰と繋がっているか。

 ――米はどこへ動くか。

 ――誰が不満を抱えているか。

 ――誰が主に近づけるか。


 金貸しとは、ただ銭を貸すのではない。

 人の腹の奥にまで手を突っ込み、そこから“次”を引きずり出す者だ。


 その「次」の核が――若い主、晴信殿であった。


 近づく機会は、意外と早かった。

 主が若ければ、側は硬くする。

 硬くすれば、硬い部分からは水が入らぬ。

 ならば、柔らかいところから入ればよい。


 柔らかいところ――川辺だ。


 まだ躑躅ヶ崎が今ほど堅牢ではなかった頃。

 晴信が外へ出ることもあった。

 無論護衛も付いてはいたが、幼い主の目は常に外を見ている。

 魚の跳ねる音、石の白さ、流れの冷たさ。

 そういうものに引かれる年頃だ。


 儂はそこに、さりげなく現れた。


 ――通りすがりの男。

 ――話のうまい老人。

 ――川の浅瀬を知る者。


 「危のうございますぞ。そこは足を取られます」

 「こちらなら石が平らで、転びにくい」

 そう言って、幼い主を川の少し深い場所へ、少しずつ誘った。


 誰にも疑われぬ距離で。

 誰にも騒がれぬ手つきで。


 溺れさせるのは簡単だ。

 幼い子は、声を上げる前に水を飲む。

 水を飲めば体が固まり、固まれば沈む。

 周りが気づいた頃には、もう遅い。


 儂は、その一歩手前まで、確かに武田晴信を連れていった。


 ――あと半歩、押すだけだった。




 その時、晴信殿がこちらを見た。





 いや。

 「こちらを見た」というのは違うな。






 あれは――覗き込まれたのだ。






 幼い目だ。だが、濁りがない。

 人を疑う濁りではなく、底まで見通す澄みだ。

 目が逃げず、心が揺れておらぬ。


 その目が言うた。





 ――お前は、何者だ。と。





 言葉にはしておらぬ。

 だが、目がそう言うた。

 まるで、こちらの腹の中の刃を見抜いたように。


 儂は、その瞬間、ぞくりと背筋が冷えた。


 不思議なものじゃ。

 儂はこれまで多くの主を見てきた。

 立派な主、愚かな主、優しい主、残酷な主。

 だが、幼い主の目に――“天下”の匂いを嗅いだのは、あれが初めてだった。


 溺れさせれば、村上は喜ぶ。

 儂の値札も保たれる。

 だが――あの目を沈めるのは、惜しい。


 惜しい、という言葉は軽いな。

 もっと正確に言えば、沈めたくないと思うたのだ。




 儂はそこで方針を変えた。


 刃を引き、笑みを作り、晴信殿の手を取った。

 「危うございましたな」

 そう言って、浅瀬へ戻した。


 その時の晴信殿の目は、まだ儂を見ていた。

 助けられたからといって、無邪気に笑ったりはしない。

 ――疑いを捨てない目。

 だが同時に、相手の動きを覚える目でもあった。






 ああ、と思うた。


 この主は、殺すに値する。

 だが......生かしておけば、もっと面白い。






 儂の中で、仕事の意味が変わった。


 村上の命で来たはずが、儂は村上へ戻る道を捨てた。

 武田へ仕える、と決めたのではない。

 《武田の内側》に入り、もっと近くで、この主の行く末を見たいと思ったのだ。


 そこで必要になったのが、名と身分。

 そして「居場所」じゃ。


 武田の館に居座るには、武士では遅い。

 僧では薄い。

 だが、銭を扱う者なら、いつの時代も隙間に居られる。




 儂はそこで、ようやく《武田の金貸し》になった。




 ただの商いではない。

 武田の腹の中へ入り込むための、仮の皮だ。


 貸す銭は小さく、取る情報は大きく。

 返せぬ者には首を求めず、代わりに“道”を求める。

 米の道、噂の道、人の道。


 そうして儂は、松尾泰山という名で、武田の地に根を下ろした。


 ――殺すために来た主を、生かすために。


 ああ、そうだ。

 矛盾しておる。だが、策とは往々にして矛盾で出来ておるものだ。


 そうだろう?武田晴信よ




ーーーーーーーーーーーーーーーーー




 泰山はそこで一息つき、地に置いた小枝へ目を落とす。

 指先でそれを転がしながら、薄く、ほんの薄くだけ笑う。


 そして、上座の晴信を見た。


 まるで、昔の川面を見ているように。


 「……大きくなられましたなぁ。晴信様」



 広間が、さらに深く静まった。

 晴信は、ゆっくりと目を細める。


 なぜ「松尾泰山」を名乗り続けたのか。

 なぜ村上の影を、いまこの時まで引きずったのか。


 その答えに向け、ゆっくり歩み出すように。

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