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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百九十話 審問の、刻(二)

 「――お主の思い通りには、させぬ」


 晴信の声は低く、刃物のように研ぎ澄まされていた。それは怒りでも威圧でもない。ただ、冷徹な事実として、盤上の全決定権を握る者が下した最終宣告であった。  

 泰山は、ぱちりと無邪気に目を瞬いた。刹那の沈黙の後、わざとらしく両肩を竦めてみせる。


 「これはこれは。殿にそう言われてしまっては、儂の商いは半値以下でございますなぁ」


 広間の端で、近習の誰かが思わず息を呑んだ。その僅かな動揺が、張り詰めた空気をさらに硬化させる。 板垣の眉が僅かに跳ね、甘利の視線は獲物を射抜く鷹のごとく鋭さを増した。

 一方、飯富は石像のように表情を消し、ただ泰山が放つ特有の“間”を凝視している。


 晴信は重ねて言葉を放つ。

 その語り口は静かだが、一語ごとに泰山の逃げ場を塗り潰していくようだった。


 「其方は盤を整え、石を転がし、皆の足が揃う様を眺めておると申したな。

  だが、その盤が武田の地の上とあらば――主の許しなく、石は置けぬ」

 「……左様にございますな。地は殿のもの。

  されど地がある限り、上に落ちる影は止められませぬ」

 「影を語るな。筋を語れ」


 晴信の一言で、場の空気が締まる。

 板垣が、待っていたとばかりに歩み寄った。


 「松尾泰山。改めて問う。

  収穫量の虚偽申告と帳面の改竄――その手口。誰の指図だ」

 「板垣殿、えらく性急じゃのお。それが最も危ういというのに」


 泰山は首を傾げた。

 今度は芝居ではない。その問いは本質を外していると、心底から侮蔑を含んだ落胆の表情だ。

 その不遜な態度に、板垣の眼光が血走る。


 「危ういだと......?それは己の立場を弁えての発言か?」

 「はははっ、いやはや失敬失敬。言葉足らずでござった。危ういのは、首が落ちる方の危うさではなく――“道が塞がる”方の危うさじゃ」


 甘利が、ふっと笑った。

 笑みは薄く、骨だけが見える。


 「ほう。道が塞がる、とな。

  ならば松尾殿、その道を塞がぬように――今ここで語って頂こうか」


 泰山は甘利へ視線を向け、軽く会釈してみせる。


 「ほぉ、大したものじゃ。甘利殿は相変わらず、人を急かすのがお上手い……よろしい。道を塞がぬよう、お話しいたしましょう。とその前に、この両手の縄を解いていただけますかな? どうもきつくてきつくて血が止まりそうじゃ。このままでは話す前にぽっくり死んでしまうのぉ」

 「解いてやれ。どうせ逃げ道などない」


 晴信の短い許可を受け、側近が泰山の縄を切る。  

 泰山は「ふう」と長く息を吐き、鬱血した手首をさすりながら、無造作に傍らの小枝を拾い上げた。


 「先ず......虚偽の申し立てについて。

  これは“増やした”のではございませぬ。

  逆じゃ。――少なく書いた」

 「どういう意味だ」


 ざわり、と小さな波が走る。

 板垣の眼が細くなる。

 泰山は小枝を振りながらかかかと笑った。


 「そう難しく考えるでない、そのままの意味にございます。理由は一つ。余剰米を《余剰》に見せぬため。

  帳面上、余りが出れば詮議される。

  故に初めから、余らぬように、持たぬように書いたまでのこと」


 板垣は忌々しげに舌打ちをした。  

 この男の言が真実ならば、検地で見つけ出した隠し米は氷山の一角に過ぎず、その背後には膨大な「存在しないはずの米」が眠っていることになる。

 果たして、どこまでが真実だというのか。

 この男と話すほどに、その境目が曖昧になってゆく。


 「では、貴様は何のために余剰米を蓄えておる」

 甘利の問いに、泰山はぱっと笑みを浮かべる。


 「おお、出ましたなぁ!宝探し!

  さぁて、聞きたいのはそこでしょうなぁ」


 泰山は膝をぱんと叩き、一転して声を潜めた。


 「……易しく申しましょう。備えです」

 「誰に対する備えだ」

 間髪入れずに斬り込まれた晴信の問い。

 泰山は笑みをわずかに引き締め、拾った小枝で土の上に丸を三つ描いた。


 「飢えへの備え。戦への備え。

  またはー―米を握り人を動かさんとする者への備え」

 「では貴様は、米を握る側ではない、と?」

 泰山は、また軽口に戻って肩をすくめる。


 「ははは、握っておれば今ごろ牢で黴を食うてはおりませぬよ。

 ……儂は“握る手”を探しておる側でございます」


 晴信が、低く言葉を落とす。


 「探しているなら、何故隠す。何故改竄する」

 「隠さねば、動かぬからです」

 泰山は即答する。そして一度だけ、場を見回した。目が合った者から、目を逸らさせるような視線。


 「米が余っている、と帳面に書けば皆が守ろうとする。守りさえすれば、外の手は出てこぬ。

 ほれ、もう誰が噛んでいるか分からぬだろう?」

 「はは、《噛んでいる》か。つまり貴様は、餌を撒いたと?」

 「餌というと下品ですなぁ、

  せめて田を潤す“誘い水”と申してくだされ」


 飯富虎昌が、静かに一言だけ刺す。


 「では......其方の申す誘い水で、誰を誘ったというのじゃ」

 「無論、外の手でござる。武田の蔵を狙う手。

  あるいは――武田の中の誰かを使って、外へ流そうとする手、とも言えましょうな」


 泰山は、ここは分かりやすく――とでも言うように、顎を二度小さく打った。


 「腹が減ると、人は素直になりますからなぁ。

  米の行く先に《腹を空かせたい者》がいるのか、《腹を満たしたい者》がいるのか。

 どちらにせよ、米は――兵より先に征くものよ。貴方様ならばお分かりでしょう、晴信様よ」


 泰山は、口角を上げる。逃げるのではない。

 焦点をずらして、核心だけを残す笑み。


 「誰がより、どう渡るかが要ですぞ、殿。

 米は一度、武田の名を外して、荷の顔を変え渡る。

 札が変わる。縄が変わる。担ぎ手が変わる。

 ころころ変わり、受け取る手は、もう武田の手ではない」


 「遂に吐いたな。米を外へと流しておると」


 板垣の声が、畳を叩いた。

 広間の視線が一斉に泰山へ刺さる。――“外へ流した”の一言は、それほど重い。


 しかし泰山は、肯定も否定もせず、困ったように口端を歪めた。


 「おおお、板垣殿、それは言い方が怖い。《流した》と申すと、まるで私が桶を抱えて川へざばーっと……。いや、縄は解かれたが、まだ体が鈍っていて演じにくいのう。惜しい」


 「戯れ言で逃げるな!」


 板垣が身を乗り出すが、晴信は微動だにしない。沈黙という重圧で泰山を縛り上げる。  

 泰山はひょいと顎を上げ、わざとらしく大きく肩を回した。


 「逃げる? いやいや、逃げ道など初めからありませぬ。ここは甲斐……殿の掌の上でございましょう」


 泰山は、板垣に向けて子供を宥めるような表情を作った。


 「板垣殿、言葉が怖いと言うたのは、他でもない。《外へ流した》とすれば、儂が主犯で、儂が命じ、儂が動かした――ように聞こえてしまうではありませぬか。かような大仕事を、この老いぼれ一人で捌けると思うておいでか。

  儂が申しておるのは、もっと地味な話。米が《外へ出る》際の仕掛け――それが、通常の商いとはあまりに違うという話じゃ」


 甘利が、薄く息を吐く。


 「違う、と言うなら。何が違う」

 「段取りが決まっておる。決まりすぎておる。

  誰が運ぶかではなく、いつ動かすか。どこを通すか。何で知らせるか……そこが揃いすぎておる」

 《米が外へ出ておる》――そこまでは否定いたしませぬ。

  ただし、儂が持っておるのは――出るときの印、通り道、合図だけじゃ」


 泰山は、そこでわざと一拍置き、板垣の目を見た。


 「……ほれ。聞きたいのは、そこではござろう?

  同じ刻、同じ抜け道、同じ合図。

  商いの癖ではない。これは“軍”の癖じゃ。

  ――我が武田の軍法では、ない」

 「ならば、その癖とやらを持つ者の名を言え!!」

 板垣の叱責に、泰山は困り顔を造る。


 「板垣殿、名を口にすることは容易い。

  ……でも、それを言うた瞬間、殿は私をお斬りになる。斬れば癖は消え、次が掴めぬ。

  その間に露が生まれ、また新たな癖が現れましょう」

 「其方は、まだ“次”を見ているのか」

 晴信の声音には、殺気にも似た冷徹さが宿っていた。しかし泰山は「にいっ」と道化の笑みを崩さない。

 その奥底にある瞳は、冬の湖のように冷え切っている。


 「ははっ、何とも愚問でございますぞ。

  ええ見ておりますとも。

  儂の首が落ちても、米は独りでに歩き、人も歩く。まあ何とも不思議で愉快なものじゃ!

  ......殿が止めたいのは、老人の減らず口ではなく――その足でございましょう?」


 その瞬間、板垣の眉がぴくりと動く。甘利の視線が鋭くなる。

 飯富虎昌は相変わらず黙っているが、空気だけがさらに沈む。


 晴信が、短く言った。





 「よい。ならば直接問う。

  余剰米は、今も《北》へ動いているのか」





 泰山は即答せず、計算し尽くされた間を置いた。

 唇の端がわずかに震える。それは笑いではなく、獲物を罠に誘い込んだ時の、歪な悦びの形だった。



 「……さあ。おいでなすった」



 泰山が誰にも聞こえぬほどの声で呟いた瞬間。

 外で、激しい足音が響いた。

 迷いのない、速い踏み込み。

 側近が身を翻し、審問の場に続く重い門を開け放つ


 そこに現れたのは――


 「……はっ……はっ......はあ……っ」


 肩を激しく上下させ、額に脂汗を浮かべた男。

 泥に汚れた草履が、地を無作法に掻く。

 その姿を認めた瞬間、広間の空気は弾かれたように跳ね上がった。


「――晴幸、殿」


 誰かが掠れた声で名を呼んだ。

 板垣の眼が極限まで細められ、甘利は怒りとも嘲りともつかぬ複雑な顔で口角を引き結ぶ。

 飯富虎昌は、ただ静かに――暴発を抑え込むようにその身を沈めた。


 俺は顎をくっと引く。

 “答え”を見に来た者と、“答え”を見せる者。  

 今、この殺伐たる舞台に、全ての役者が揃ったのだ。


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