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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百八十四話 改竄と、冤罪

 日暮れ

 幸綱の背を追い、俺は屋敷の門を潜った。

 庭の砂利を踏む音が、妙に大きい。

 胸の奥に残る、先程までの紅い残滓。

 あれが何であれ、俺は“知らないふり”をするしかなかった。


 座敷に通されると、幸綱は既に茶を点てていた。

 湯気が立つ。香りは柔らかいのに、空気は刃物のように張りつめている。


 幸綱は俺の前へ湯呑みを置いた。

 その手が、微かに震えている。


 「先程のこと、覚えておらぬのだな」

 「……ああ」


 喉が鳴った。

 俺は茶を口に含む。

 苦みが舌に残り、胸の奥のざらつきを薄めた。

 

 湯呑みを見つめながら、俺は思慮に耽る。

 様々なことが、頭の中を巡る。


 たった二日。

 泰山の再審問。

 晴信の命令。

 帳面の改竄。

 北信濃の籾。


 「成程。松尾殿は其方の村にいるのだな」

 「......っ」

 「やはり、其方は分かりやすい」


 幸綱はふと頬を緩める。

 幸綱には、相手の心を読める(スキル)がある。俺の考えることを隠すことはできない。

 俺は、ゆっくりと幸綱の方を見た。


 「……幸綱。お前は何を知っている」

 問いは強く出したつもりだったが、声は乾いていた。

 幸綱は一瞬、視線を伏せる。そして、懐から小さな布包みを出した。


 「これじゃ」

 布を解くと、掌にこぼれたのは――薄い藁色の籾。

 粒はやや長い。甲州のものではない。俺が川で見たのと同じだ。

 「其方はどうやら、松尾殿とやらに接触を図ったようだな。北信濃の籾とは、これではないか」

 「あ、ああ、そうじゃ。水路の上流で引っ掛かっていたものだ」

 「砥石城の下......流れが合わぬ。峠を越えた雪解けが甲斐へ入るのは分かるが、やはり籾が混じる(・・・・・)のはおかしい」

 幸綱は籾を畳に置く。

 「それだけではない、籾は俵ごと運ばれる故、水に流れ込むなら俵が濡れて裂けているはずだ。だが、裂けた跡がなかった」


 背筋が冷える。

 水は嘘をつかぬ。

 だからこそ、嘘をつくのは人の側だ。


 「……つまり」

 「水路へ【わざと】籾を落とした者がいる」

 幸綱の言葉が、畳に落ちて硬い音を立てた。

 「其方に気づかせるためか。あるいは其方を誘導するためか」


 誘導。泰山の言う【兆し】。

 俺は目を閉じ、松尾泰山の声を思い出す。


 『――風向きが読めぬときは、流れる水を見よ。』




 「松尾殿は、儂に“見つけさせた”ということか」

 「そうやもしれぬ。だが恐らく大事なのは在処ではない。誰が動いたか(・・・・・)じゃ。

  米の収穫量が書かれた帳面は、何者かによって改竄されていたのだろう」

 「もしや、改竄の刻が、泰山捕縛より後ならば……」

 「ああ。おそらく、泰山は冤罪の“材料”にされたのだろう」


 幸綱は言い切った。

 その時である。庭の方で、砂利が一度だけ鳴った。

 ――石が、二つぶつかった音。


 幸綱の指がぴたりと止まる。

 俺も息を止め、その方を見る。


 障子の向こう、誰かが砂利を踏む。

 踏みしめた音ではない。足を引いた、逃げる前の音である。

 障子の向こう。既に闇の中。

 誰かが、今の言葉を聞いた。


 座敷の端に置かれた水桶が、かすかに揺れた。

 水面が波紋を作り、月の名残りの光を歪める。


 「……幸綱、其方、もしやわざと聞かせたのか…?」

 「嗚呼、そうだ」

 幸綱の声に、感情はなかった。彼は茶をごくりと飲む。

 俺はゆっくりと息を吐いた。やはり、この男は侮れない。

 ――水は嘘をつかぬ。だが、水は音を運ぶ。

 俺は湯呑を置き、鋭い眼差しで幸綱を見た。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「はぁっ、はぁっ」

 その晩。荒い息遣いで走る一人の男がいた。

 昼間に弥兵衛と話していた、倉番の男(・・・・)である。

 彼は屋敷に戻るや否や、屋敷の門に(かんぬき)をかける。


 (……どういうことだ)


 自分が何を聞いたのか、

 どこまで理解したのか。彼自身にも分からない。

 ただ、彼の胸に残る言葉があった。


 ーー泰山捕縛

 ――泰山は、冤罪の材料にされた。


 彼の額に汗が滲む。

 男は洗い息遣いのまま壁に手をかけ、唾を飲み込む。

 「捕まったなど......聞いておらんぞ......まて、違う、違うっ、俺のせいじゃ......」

 自分は、言われた通りに動いただけだ。

 帳面を預かり、言われた通りの刻に、言われた通りの字を書いただけ。


 俺は、悪くない


 倉番はそう自分に言い聞かせながら、涙を浮かべる。

 そう思えば思うほど、胸の奥が、妙に冷えるのを感じた。

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