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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百八十三話 傀儡、敵

 俺はゆっくりと息を吐き、目を閉じた。

 次の瞬間、胸の奥から突き上げるような衝撃に身体が震え、一歩後退する。

 心臓を掴まれたかのような痛みが全身を駆け抜け、膝が折れそうになる。


 やがて――。

 ゆっくりと瞼を開けると、その目は紅く光を帯びていた。

 例えるならば、熱く乾いた炎の色。

 燃え盛る火焔が、瞳の奥底に潜んでいるかのようだった。


 「……山本晴幸」


 声が響いた。

 真正面に立つ幸綱の声。

 その声音は震えてはいるが、決して揺らいではいなかった。

 彼は深く息を吸い込み、吐き出すように言葉を叩きつける。


 「貴様、あやつを無碍に思っておるのではあるまいな」


 紅の光に照らされる空間で、幸綱の瞳は剣の刃のように鋭く光っていた。

 その瞳は、俺を越えて、奥に潜む何者かを射抜こうとしている。

 そして次の瞬間、怒りの矢が放たれた。




 「――これ以上、あやつを弄ぶのはやめよ!!」




 怒声が虚空を震わせる。

 その烈しい言葉を正面から受け止めたのは、薄暗い影の中に立つ、本物の山本晴幸であった。


 晴幸は影をまとったまま、口端をゆるめて笑った。

 俯きがちにくくく、と笑い、やがて低い声で語り始める。


 「儂があやつに何をしたというのじゃ。儂は、あの男の選ぶ道を、ただ見守っていただけぞ」


 その声音は重く、落ち着き払っていた。

 余裕に満ち、相手を翻弄する策士の声。

 胸の奥がざわめく。これこそが――武田信玄の参謀、山本晴幸。

 だが、その眼差しはただの冷徹な智将のものではない。

 探り、試し、相手の内を暴こうとする深淵の光が潜んでいた。


 紅の瞳が細められ、鋭く俺を射抜く。

 刹那、心臓を握り潰されるような感覚が走る。


 「……それより、転生者よ。貴様こそ何を企んでいる?」


 その問いは探りではなかった。

 揺るがぬ確信を伴った一撃。

 「な、何を……だと?」

 言葉が喉に貼りつき、唇が強張った。


 晴幸は薄く笑い、影の中から一歩踏み出す。

 その足音は乾いた地面に響き、心を削り取るようだった。


 「……『あやつ』の動き。あれは妙よの。心に影が差したのは、いつからであったか……」


 その言葉に、幸綱は目を見開いた。

 喉の奥が凍り付く。

 奴は名を出さない。だが、確実に気付いている。


 「答えてみよ。貴様は何を欲する?己が身を隠し、策を巡らすほどにー」


 「だまれっ!!!」




 怒声と共に、彼は晴幸に体当たりを食らわせ、地に叩き伏せた。

 そのまま馬乗りになり、刀を突き立てる勢いで喉へ押し当てる。

 押さえつけられた晴幸は、しかし苦悶の色を浮かべぬまま、笑みを深めた。


 「……良い、良いぞ......その怒り、その憎しみ……転生者よ、やはり其方も“こちら側”か」


 二人の間を冷たい風がすり抜ける。

 闇がざわめき、紅の光が揺らめく。

 未だ笑みを浮かべる晴幸を、幸綱は睨み据える。


 俺は拳を握りしめ、声を絞り出した。

 「貴様には関係ない!!ただ、某はあやつの決断を誤らせぬために――」

 「ほう、殊勝な言葉よな」

 晴幸は口端を吊り上げる。


 「だがな、其方は忘れておる。案ずべきは他人ではない。案ずべきは――其方自身よ」

 「……何?」

 「本物の真田幸綱。

 あやつは初めから、己の肉体を取り戻そうとしておるぞ。

 今もなお、其方の心の隙を狙っておるのだ」


 その言葉に、胸を突かれたように息が詰まる。

 心臓が乱打し、冷たい震えが骨の奥にまで染み込む。


 「我らを案ずるより、自らを案じよ。じきに、奪われる恐れを知るべき頃合いぞ」


 晴幸の声は鋼のように冷たく重く響いた。

 胸の奥がざわめき、理性が掻き乱される。


 それでも幸綱は唇を強く結び、紅の光を睨み返した。

 「……貴様には努努惑わされぬ!!何も知らぬくせに口を叩くな!!

  貴様の思い通りになどさせるものか!あやつは、貴様の傀儡などではないっ!!」


 その叫びに呼応するかのように、紅の光が一層強く燃え上がる。

 晴幸の笑みは、もはや笑いではなく、嗤いへと変わっていた。





 「面白い。ならば――やってみせよ。

  儂を、我らを、敵と見なすのであれば、な」





 その言葉と共に、晴幸の身体がふっと揺らぐ。

 次の瞬間――。

 全身を貫く痛みに似た衝撃が走り、俺の意識は現へと引き戻される。


 「......晴幸......殿......」

 「……っ、幸綱……!な、何をしておる......っ!!」


 荒い息を吐き、額に流れる汗を拭う。

 視界に映ったのは、呆然とする幸綱の姿。

 彼は深く息を吐き、刃を仕舞う。やがて立ち上がり、掠れた声で告げた。


 「……後程某の屋敷へ来い……茶を出そう」


 その声には、疲弊と憂慮が入り混じっていた。

 だが同時に、揺るぎない決意の光も宿っていた。


 息を荒げながら、汗を流しながら、俺はその背を黙して見つめていた。

 ただ一つ確かなのは――幸綱と晴幸の対話が、俺の記憶からは抜け落ちているということ。

 だからこそ、その眼差しに込められたものが憂慮なのか、決意なのか――

 俺には読み取ることができなかったのだ。

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