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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百七十八話 謀略、歯車

 二刻前のこと――


 砥石城の天守閣に立つ真田幸綱は、微かな風に揺れる木々の先、遥か彼方の甲斐の山並みに目を凝らしていた。

 砥石城周辺は、平時のごとく穏やかな空気に包まれている。家臣や雑兵は静かに命をこなし、穀物を扱う百姓衆さえ遠巻きに城の威容を仰いでいる。しかし、その静けさは決して平和を保証するものではなかった。


 風が、どこかぎこちなく、湿り気を含んだ流れを運んでくるような感覚。二人(・・)の伝手で届いた報せが、その確信を裏打ちしていた。


 「どうやらあの男、面倒なことに巻き込まれてしまったようじゃな」

 幸綱は微かに唇を歪め、低く息を吐く。


 数日前、偶然にも城を降り、周辺の情勢を探るために領内を巡っていた時、ふと通りかかった屋敷の近くで、武田家の重臣である甘利と板垣の姿を見かける。

 武田の中枢を担う彼らが、不審なほど神経を尖らせ、ある名を口にしていた。それが《松尾泰山》という名であった。


 幸綱はその名を知らなかった。公式な家臣録にも、主要な武士団の中にも該当はなく、いったい何者なのか見当がつかない。

 しかし、二人の緊迫した面差しは、その松尾泰山という男が武田家中でただならぬ存在であることを示唆していた。


 幸綱は城壁の縁に手をかけ、目を細める。


 その視線の先には、不動の山並みが鎮座し、大地は平然と横たわっている。しかし、その麓でどれほどの策略や陰謀が渦巻いていようと、山は一切を語らない。

 幸綱は不意に。村上義清がかつて己に語った言葉を思い出す。義清は甲斐の武田晴信と、その家臣である山本晴幸という男が、この世界の行く末に大きな影響を及ぼす「最重要人物」であると評していた。

 

 「...もし山本晴幸と武田晴信が要となるのならば、其方等の背後で糸を引く松尾泰山もまた、武田にとって最重要の駒…ということか」


 幸綱はそう呟くと、掌の中で微かな熱を感じた。興味と戦略的思考が合わさる時、幸綱の心には独特の昂揚が湧く。

 歴史の歯車が動き出す、そんな期待が心中で膨らんでいる。


 風が砥石城の石垣を撫でていく。遠くに見える山々は、沉黙を保ちながら天下の動乱を見下ろしている。甲斐の地にどんな変動が起こるにせよ、自然は微動だにしない。しかし、幸綱は逆に、その不動の山並みを背景に人が紡ぐ物語へ関心を強めていく。

 松尾泰山――無名ながら陰で動くその存在が、武田の行く末を左右する可能性があるのなら、放ってはおけない。

 現状の混乱が己の手に落ちれば、事態を利用し、有利な立場を得ることさえできよう。かの武田家が揺れるならば、そこに漬け込む隙が生まれる筈だ。


 上手くいけば、

 自身の手で武田晴信を天下へ導くことさえできる。

 

 幸綱は再び低く笑みを浮かべる。その笑みには、乱世を生き抜く武将としての本能が滲み出ていた。

 優れた武将は戦場で刀を振るうだけではなく、政略と情報の糸を巧みに操ってこそ得難い優位を築くのである。そして今、この松尾泰山という謎めいた存在が絶好の糸口となり得る。



 「力を貸してやろうか、晴幸殿よ」



 甲斐を舞台に動く若き当主・武田晴信と、その家臣・山本晴幸。それを陰で支える松尾泰山。

 もし奴らが時代の要ならば、自身がその絵図のどこかに食い込む余地はあるはずだ。今はまだ全容が見えないままだが、甘利や板垣が泰山の名を漏らした場面を反芻するだけで、十分な確信が得られる。


 砥石城を取り巻く静寂は変わらないまま、幸綱は新たな策略の輪郭を思い描く。情報を手繰り寄せ、利害関係を洗い出し、互いの思惑を知ることで、面白い絵が描けるだろう。

 戦場で槍を交えるだけが手段ではない。虚実織り交ぜて敵を翻弄し、隙を突けば、いくらでも自分の盤面を有利に変えていくことができる。


 「誰かあるか」


 その声は室内に反響する程ではないが、小姓を呼びつけるには十分だった。小姓が現れ恭しく一礼すると、幸綱は笑みをたたえたまま、静かに命を下す。


 その時、砥石城の上空、鷹が一声鳴いた気がした。

 その鳥は、乱世に生きる者たちの運命を嘲笑うように、または祝福するように、青空へと舞い上がっていく。


松尾泰山という男を中心に、皆が各々の思惑を背負い、動き始める。

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