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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百七十七話 疑念、不信

 一方、弥兵衛は村外れの小道を歩き、茂みの先にある小屋へと向かう。以前、泰山の指示でここへ来たときの記憶を辿る。あの時は、村人たちが忙しそうに米俵を運び込んでいた。今はどうなっているだろうか。


 やがて小さな橋が見え、その向こうには粗末な倉が一棟建っている。人気がなく、周囲は静寂に包まれているが、弥兵衛は声を潜めて呼びかけた。

 「倉番殿、おられますか?」


 しばしの沈黙の後、板壁の陰から男が現れた。中年ほどの農夫姿。弥兵衛は俺を見て、眉をひそめる。

 「そちは……松尾様の使いか?こんな時に何の用だ」


 弥兵衛は深く頭を下げ、穏やかな声を作る。

 「某は、領主の山本晴幸様に仕える弥兵衛と申す者。松尾泰山殿が謀反の嫌疑を受けておられることは、其方も存じておられるでしょう。その件で確かめたいことがあるのです。松尾殿が余剰の米を密かに蓄えていた意図は何だったのか。もし存じておるならば、お聞かせいただけませぬか」


 男は周囲を警戒するように見渡し、「中へ入れ」と指で示す。倉の中は薄暗く、埃と米袋の残り香が立ちこめる。閉ざされた空間で、男は声を低めて語り出した。


 「実を申せば、我らも混乱している。泰山様は確かに余剰の米を隠すよう仰せられた。だが、時が来たら意味を明かすと言われただけで、その理由を知らされぬまま日が経った。最近、何者かが夜更けに倉へ侵入し、幾つかの米俵を抜いたんだ。俺らは驚いたが、それでも泰山様の指示ではないかと疑ったさ」


 男は腕を組み、苦々しげに言葉を継ぐ。

 「だが、伝令もなく、使いの者も来ない。その上、松尾様が謀反などと聞かされれば、誰を信じればいいのか……もし、外から侵入した奴がいるとしたら、そいつは何を狙っていたのか。松尾様の意図を見抜いて、米を利用しようとした者かもしれん」


 その言葉に、弥兵衛の中で疑念が膨らむ。

 (外からの者が米を奪った? それとも内側に裏切り者がいて、松尾殿に濡れ衣を着せようとしているのか?)


 「あと一つ、気になることがある」

 男の声に、弥兵衛は我に返る。

 「先月、領内の何処からか運び込まれたと言われる上質の種籾があった。泰山様が自ら指示されたとのことだったが、収穫量の報告には含まれてはおらぬ。余剰の米だけでなく、その種籾も隠されていたらしいが、誰も本当の意味を知らぬ」


 種籾、か。より収穫を増すための戦略か、それとも他領から持ち込んだ何か特別な意味を持つ籾なのか……一向に考えが尽きぬと言わんばかりに、弥兵衛は息を吐いた。

 「貴重なお話、感謝いたしまする。どうか、今しばらく村や倉を見守ってくだされ」


 男は訝しげな表情ながらも、一応首肯した。


 倉を出ると、青空が広がっている。

 弥兵衛は内心で思いを巡らせる。晴幸様は今頃、城内へ向かい情報を集めているはずだ。若殿は村の屋敷で待機しておられる。両者が何を掴み、次にどう動くか。これから先の行く末は予断を許さない状況である。


 その問いが胸中で繰り返される中、弥兵衛は再び村へと戻る道を歩み出した。青々と茂る草葉が揺れ、鳥の声が遠くで響く。穏やかな田園の風景に似つかわしくない、疑念と不安が、弥兵衛の足元に纏わり付いて離れなかった。


-----------------------------


 「御戻りですか、晴幸様」


 頭巾を深く被った作兵衛が、城門前の人混みの中で静かに言葉を放つ。その声音には、かつてのような朗らかさは微塵も感じられない。ここは城門前。行き交う者たちが足を止め、何事かと様子を窺う中、奇妙な空気が広がりつつあった。


 「……ああ、戻った」


 俺は作兵衛の正面に立ち、その表情を探る。つい五日前まで、俺の家臣として村人たちとも気さくに言葉を交わし、穏やかな笑顔を振りまいていた男が、今は硬い沈黙に包まれている。

 風が、石畳に積もる埃をわずかに舞い上げる。

 やがて、作兵衛は問いかけるのである。


 「...晴幸様は、今でも松尾殿を御信じですか」

 「…信じたいとは思っておる。何か相応の訳があるに違いないのだ」


 作兵衛の問いに、胸の奥がさざめく。

 泰山を全面的に信じてはいない。だが、あの男が単純な裏切りを行うとは思えない。必ず理由があるはずだと、俺は信じたかった。

 俺の答えに、作兵衛は小さく息を吐く。

 「そうですか...しかし晴幸様、あの男は貴方様を信じてはおりませぬ」


 鋭い言葉が胸を突き、そして気づく。

 作兵衛(このおとこ)は、泰山に何かを吹き込まれたのやもしれぬと。


 俺は視線を逸らさず、低い声で続ける。

 「……俺にはあの者の思惑を知る策がある。城内へ入れば、何らかの手掛かりが得られるだろう。噂のみで事を運べば、武田家そのものが揺らぎかねない。作兵衛、其方もその為にここへ来たのだろう?」


 俺の問いに、作兵衛は答えない。代わりに、わずかに身じろぎし、その場から動かぬまま微かに首を振るような仕草を見せた。

 彼は城へ向かおうとしない。まるで城門が一種の《境界》であるかのように、そこから先へ足を踏み出す意思はないらしい。


 周囲の視線が背中に刺さる。未だ春風が旗印を揺らし、淡い光が白壁に反射している。

 俺は踵を返し、城内へ歩みを進めた。



 そんな俺の後ろ姿を見つめたまま、作兵衛は呟く。




 「...貴方様は、裏切りなどいたしませぬ...そうですよね、晴幸殿...」




 其の声は平淡、されど虚ろ。

 俺は足を止めることもなく、城内へと消えていく。

 広場で取り残された作兵衛は、頭巾の奥でどんな表情を浮かべているのか――考えても意味はない。


 ただ心底に沈み、辺りに小さな波紋を広げていることだけが、はっきりと分かるのだった。


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