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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第5章 十日間の、災厄 (1547年 3月〜)
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第百七十話 汚れた、決意

 駿河を訪れて3日が経つ。俺は若殿に連れられ、市へと出向く。

 あの頃のように、色取り取りの店を見回しては笑顔を見せる若殿。俺はその後方を歩む。

 此方へ伸びる影に、届きそうで届かない、そんな距離を保ち続ける。

 

 周囲の視線。以前は気にも留めなかったが、今は違う。

 俺は改めて、菅笠(すげがさ)の端をぐっと下げる。

 俺が武田の者であり、このような場所にいることを知られるわけにはいかない。

 幾ら暇を頂いていようと、常に気を張るべきだと己に言い聞かせた。

 

 「晴幸殿!」

 若殿の声に我を取り戻す。気付けば、若殿がこちらを振り返っている。

 思わず険しい顔をしていたようで、俺は少しだけ頬を緩ませた。


 「私、あの時の櫛を、まだ使っているんです」

 「櫛、でござるか」

 若殿が懐から取り出したのは、駿河を発つ前に若殿にプレゼントした小さな櫛。

 四年もの月日が経った割には、綺麗に手入れしてあるように思えた。


 「新たに欲しいとは思わぬのか」

 「はい。晴幸殿から頂いたものですので、大切に使いたいのです」

 「……そうか」

 「如何しましたか?」

 「いや、誰かに贈り物をして、これほどまでに喜ばれたのは初めてでな。嬉しいのだ」

 「私も、嬉しいです」


 あれから実に4年もの月日が経っているとは、どうしても思えない。

 すっかり変わってしまった街並みの中で、時が止まってしまったような錯覚を覚える。

 《万物が2人を取り残して、先に進んでしまったのかもしれない。》

 そう思い込んでしまうほど、あの頃と変わらない影法師が並ぶ。


 「若殿。儂と此処を訪れたのは、何か訳があるのだろう。」

 「…ふふ」


 春の陽気が、眠気を誘う。

 いたずらに微笑む若殿の横顔に、俺は目を細めた。


----------------------------

 若殿に手を引かれながら、俺は人気のない橋の前へ辿り着いた。

 「此処は」

 「晴幸殿。貴方が此処で仰ったこと、覚えていらっしゃいますか」


 若殿は橋の中央で立ち止まる。俺はくっと顎を引く。

 忘れるわけがなかった。己の中の止まっていた時間が、動き出した場所。

 ここから、全てが始まったのだから。


 「今、晴幸様の目には、この日本(ひのもと)はどの様に御映りですか?」


 思いがけない言葉に、思考が止まる。

 俺にとって、若殿が発した言葉は至極予想外だった。

 陽を背に立つ若殿は、俺を見下ろす。

 心なしか、以前よりも背が伸びたように感じた。


 俺は気づく。彼女が、あの時の答えを待ち詫びていたということに。

 春風が鼻をくすぐり、俺は遂に息を吸った。

 

 「…この世は、思っていたほど美しいものではなかった。

  まるで醜き獣のように争い続け、弱き者を喰らい続ける。

  きっとそうだ。己自身も、汚れてしまった。

  そうでなければ、ここまで生きることはできなかった」


 途切れ途切れの口調で、声を絞り出す。

 若殿は決して、目を逸らそうとはしなかったというのに。

 橙色に照らされた世界が、コントラストを増してゆく。

 俺にはこの世界の眩しさを見つめることなど、出来るはずがなかった。


 「儂の様にはなるな、若殿」

 「晴幸殿は、決して汚れてなどおりませぬ」


 俯いた俺にかけられた声に、目を見開いた。

 


 「晴幸殿は変わってしまいました。

  私達には到底、届かぬ処へと行ってしまわれた。

  それでも、晴幸殿は私の傍にいてくれたのです。

  どれほど揶揄されたとしても、決して折れることのない強さと優しさを持つ晴幸様を。

  眼差しはいつも強く、澄んだ目を持つ晴幸様は、ここにいます」

 


 「若殿...」

 言葉が出なかった。

 正確には、それ以上の言葉を口に出せなかった。

 

 何かを得る度に、何かを失わなければならないこと。今までの自分から、変わらなければならないこと。

 それはいつ何時も変わることがない、この世界の摂理だと思っていた。

 しかし、何も失ってなどいない。

 あの頃から何も変わってはいないのだと、この子はそう言っているのだ。


 


 もう一度、この眩しい世界に踏み出すこと。

 多くの犠牲を生み、見殺しにしてきた己にも、そんな権利があるのだろうか。

 少なくとも、若殿はそんな俺に手を差し伸べてくれていた。

 


 「私は、晴幸殿の仰る日本(ひのもと)とやらを、天下とやらを、この目で見てみとうございます」



 自信に満ち溢れた様な表情に、俺は力が抜ける。

 そして、小さく呼吸をする。

 俺は静かに、〈あの時〉と同じ決意の目を向けた。


 「若殿。」


 

 もう、良いか。

 寧ろ遅すぎたくらいだ。

 そして、俺は強く拳を握った。







 「どうか、この儂と」







 その時、後方から俺の名を呼ぶ声がした。

 振り返ると、何者かが此方に向かって走っている。




 「晴幸殿、やっと見つけました......っ!」

 「弥兵衛…!?お主、何故此処にいる」




 息を切らし、青ざめた表情を抜ける弥兵衛の表情に、俺は眉を顰める。



 「まっ......松尾殿がっ......!」

 「......は?」



 その知らせを耳に、俺は声を失った。


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