第百五十九話 縋る者、伝えゆく者
「晴幸様、殿にはお会いましたか」
「いや、まだじゃ」
「左様でしたか、ならば今日明日のうちに城へ向かいましょう」
「ああ、儂も早いうちに参らねばと思っておったところだ」
屋敷に上げた綱頼と甘利は、俺に見舞いの品として果物を拵えてくれた。立ち歩くことが難しい俺は、そこに置いて欲しいと二人に指示をする。それにしても、まさか武田の重臣であろう者が見舞いのために屋敷まで来てくれるとは微塵も思っていなかった。今までの立場からすれば考えられない出来事である。身を案じてくれる嬉しさよりも、驚きの方が大きかった。
「それにしても、無事で良うございましたな。甘利様」
「......」
綱頼の言葉に甘利は答えない。
どういうわけか以前俯き加減の甘利に、空気を察したように黙り込む綱頼。
静まり返った空気に耐えかねた俺は、口を開いた。
「其方等、何を隠しておる?」
その発言に二人は驚きがちに互いの顔を見合う。
そして、覚悟を決めた表情で俺を見つめた。
「晴幸殿は、摩訶不思議な力を持っておるそうだな」
......え?
甘利の発言に、心臓が跳ねた。
目を見開き、思ってもみなかった言葉に全身が凍る。
まて、どういうことだ?
もしや、俺の持つ術の事を言っているのか?
「……何を、言って……」
「晴幸殿、少しばかり儂の話を聞いて貰いたい」
俺はごくりと唾を飲み、睨む甘利の目を見つめた。
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「其方は逃げるのか?答えよ、甘利」
甘利は殿にそう問われ、言葉を失ってしまった。
そんな儂を見かねたのか、暫く経った頃に殿はこう仰せられたのだ。
「それほど其方を悩ませているのならば、一度晴幸の許へ行くとよい」
「晴幸殿にございますか、何故......」
「あの者には、常人には見えぬものが見えておる。
人の秘めたる《想い》を、あの者は知ることが出来る」
何を仰っているのか、この時の儂には皆目分からなかった。
ただ部屋の外で聞き耳を立てていた者が一人、部屋を後にした儂の前に現れた。
その者というのは、多くの荷を背に担いでいた真田殿じゃ。
「恐ろしい形相ですな、甘利殿」
「何をしておる。其方は砥石城の改修に身を投じていたはずではなかったか」
「は、少しばかり物が足りず、取りに参ったのでございます。
それより、拙者も晴幸殿の許へ参るべきだと思いまするぞ」
「……聞いておったのか。何故じゃ」
「晴幸殿はかつて呪術を学んでいたと申しておりました。
どうやらあの者は死者の声を聞くことも出来るそうですぞ。誠か否かは分かりかねまするが、あの者の申す言葉一つ一つが、どうにも理に適っておるのです」
儂は呪術など欠片ほどにも信用していなかったが、人は何かに縋りたいと思えば、《考える》ことすら放棄してしまう生き物なのだと、儂は悟ってしまったのだ。
「其方は、備中守の声とやらを聞いたのか」
「いえ」
「其方も知りたかったのだろう。ならば何故頼まなかった」
「私にはそのような資格がありませぬ故、知りたいと思うことさえ、罪深きことにございます」
「幸綱殿」
幸綱殿は微笑みながら背を向けた。
「それでも私は、知りとうございます」
どこか寂しげな声に、私は何も返せなかった。
幸綱殿は矢沢殿に共に向かうよう伝えおくと言い残し、ゆっくりと歩き去ってしまった。その時の彼の表情を、儂は知ることができないまま......
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「...... 其方を前にして口にするのもなんだが、やはり儂は騙されておるのやもしれぬ。それでもほんの気休め程度にはなると思うておる。
どうかその呪術とやらを用いて、儂に備中殿の言葉を伝えてはくれぬか」
「私からもどうか、御願い致します」
二人は深々と頭を下げる。俺は戸惑いながらも彼らの心情を内心理解していた。
甘利の言う通り、縋りたいと思う者には考える余地など微塵も与えられない。だからこそ自身の正当化を図りたくなる気持ちも分かる。選べなかったのではない、あえて選ばなかっただけなのだと。
(それにしても幸綱め、呪術やらなんやらと胡散臭い言葉ばかり並べやがって……)
「......甘利殿、何か備中守殿に関するものをお持ちではござらぬか」
「備中殿に関するものなら、何でも良いのか」
頷く俺に、甘利は懐に手を伸ばし、取り出された直方体型の箱を差し出す。
蓋を開けると、そこには束状の髪の毛が納められていた。
「幸綱殿が備中守から刈り取った髪じゃ、これでも良いか」
「十分でございます、少しばかり御借りしますぞ」
「あ、ああ」
俺はその髪をぐっと握り、目を閉じる。途端に握った手から光が現れ、俺の身体を一瞬にして包み込んだ。
次に目を開けると、そこはとある村の一角。丘の上に巨大な松の木が立っている。その根元に、刀を支柱にして座る一人の青年がいる。
「備中守殿にござるか」
俺の呼びかけに、彼は強かな笑みを浮かべる。
若かりし横田高松の姿が、そこにはあった。
備中守は今、何を語る