第百五十二話 本音と、痛み
2018年8月25日 武田の鬼 第1話投稿。
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「……御言葉ですが、晴幸様。これ以上、重臣として身勝手な振舞いを為されるのは、言語道断にございますぞ」
男達の怒号が山中を木霊する中、草履越しに伝わる冷たさに、微かな身震いを覚えた。
《怒り》。感情という部類の中で、他者に影響を及ぼしうるものの一つ。
当に今、俺は目に見えぬそれを目の当たりにしている。
まあそうだろうな。同意を得られようとは、端から思ってなどいない。寧ろ作兵衛は、俺の身勝手な行動から目を逸らしてくれていた方だと思っている。
俺は作兵衛が発した言葉の裏側にある真意を捉えつつも、己の行為を否定しようとはしなかった。
今回は許されようとも、次こそ許されない可能性が高い。そんなことは百も承知だ。
そもそも晴信は幸綱の身を案じてなどいない。本隊を離れ、砥石城に向かったことが知られた時点で、罰則は免れないだろう。だからこそ、晴信に知られる事無く行動する必要があった。
ただ今から砥石城へ向かうとなれば、帰陣までに本体との合流を図れるとは到底思えない。幸綱を救うには、利点よりも欠点の方が多いと作兵衛は言いたいのだ。
それでも俺は、歩みを止めようとはしなかった。
「許せ、作兵衛」
「なりませぬっ、晴幸様!!」
馬を引きつつ、叢へと歩を進める俺を作兵衛は追う。
腕を掴まれた俺は、振り返ることなく言い放った。
「何を申そうと、儂は儂の考えを変えるつもりはない。」
作兵衛は驚嘆し、思わず腕を放す。
俺は直ぐに目を細め、己を悔やむ。
誤魔化しなど効かないと、端から知っていた筈なのに。
「何故、其処までして……」
もはや、無駄だ。
俺は遂に振り返る。
「……奴は、儂と同じ、未来から……」
そう言った途端に、《見えない力》が俺の身体を潰し始める。
鋭さを増す痛みに耐え、悟られぬよう拳を握り、微かに歯を食いしばった。
「みら、い?」
俺は必死に首を振るう。本当は、建前など要らなかった。
《本音を語ることのできない身体》だからこそ、建前に縛られる俺は苦しんでいる。
「……奴は儂と、同じ境遇を辿った、仲間だからだ……っ!」
途端に、痛みが嘘のように消える。汗が頬を垂れ、肩を上下させながら息を切らす俺は、俯きがちに作兵衛を睨んだ。
理由、そんなものは至極明快である。
あの男は、何百年という未来から飛ばされた、俺と同じ境遇を辿った初めての仲間。故に失いたくはない。それは、この時代へ来て二度目の感情だった。
「……晴幸様」
作兵衛は俯く。
晴幸の中に芽生えた変化。それを察した作兵衛の中に、少しずつ現れ始めたもの。決して心変わりなどしないと、そう決めていた筈だった。
どれだけ御人好なのだと、己を恨む。そんな事すらも、惨めに思えてしまう。
作兵衛は遂に、深く息を吐いた。
「行って下され」
「さく、べえ……?」
「私が時を稼ぎます。晴幸様、必ず帰陣までにお戻りください」
俺は目を見開き、作兵衛の顔を見る。
そこにあるはずの、失望に塗れた感情。
彼が俺に見せていたのは、予想とは真逆の表情だった。
「御急ぎ下され!!」
叱責に似た作兵衛の言葉。決意を露わにした表情に、俺は遂に微笑む。
「……忝い、作兵衛っ!!」
作兵衛は、手にしていた松明を俺に渡す。
俺は松明を片手に、年齢に似つかわない身軽さで馬に乗り、全速力で駆け出した。
これで、良かったのだ。
作兵衛は、暗闇に溶ける後ろ姿を目で追う。
口を噤み、彼は自身の言葉の数々を、脳裏で反芻する。
晴幸を前に俯く作兵衛は、晴幸と初めて出会ったあの日の事を思い出していた。
彼にとって、先程の言葉は全て《正直に語った》故の産物である。
そうだ。儂は、《次々に筋書きを壊してゆく晴幸様の生き様》に、心惹かれたのだ。
百程の手勢を相手にする程の短時間の間に、幸綱を連れ戻る。
誰もが十中八九無理だと決めつけるだろう中で、彼だけはやり遂げてみせる。
それが、山本晴幸という男なのだと。
作兵衛はふと笑みを零し、ゆっくりと振り返る。
一瞬の平穏もつかの間、其処に広がるのは血に塗れた男達による、惨たる光景。
「私は信じておりますぞ、晴幸様」
作兵衛は腰刀に手をかけたまま踏み出す。
視界が徐々に明るくなる。
少しずつ、狂った世界が近づいてゆく。
雪を被った木の枝が頬に当たる。頬が切れ、血が垂れる。
それでも俺は、速度を緩めようとはしない。
作兵衛の言葉を、ここで無碍にしてはならない。
風で松明の火が消えてしまわぬよう、俺は身体の前に火を翳す。火は自分の身体側に壁を作る方が消えにくいと、何かの記事で読んだことがあったのだ。
振り落とされそうな速度で走る俺の目は、唯一点を向いている。
遠方で未だ燃える、砥石城の姿。
「もう直ぐだ……幸綱……!!」
そう呟いた途端
聞き覚えのある声が、頭の中に響いた。
突然、馬が甲高い声を上げる。
「っ!?」
突然の事に驚く俺は、気付く。
一本の矢が、馬の身体に刺さっていた。
暴れる馬に放り出され、俺はそのまま地面に叩き付けられる。
鈍い音を立て雪の中を転がる俺は、木の幹に勢いよく身体を打ち付けた。
「痛……っ」
あまりの痛みに声が出せない。
頭を打ち、兜の破片が其処等に落ちている。腰刀の鞘も外れてしまった。
俺は立ち上がろうとするも、右足の激痛に耐えられなかった。
どうやら足と腕を中心に、数ヶ所ほど骨をやってしまったようである。
同時に、馬が何処かへ逃げてしまったことにも気付く。
一人取り残された山中で、俺は静かに歯を食いしばった。
このままでは自力で向かう事も、戻る事すらも不可能である。
膝立ちの状態で拳を握る俺は、乱れる思考の中で思い出す。
「……はる……ゆき……」
掠れた声で呟くが、返答はない。
地を向いたまま、俺は自身を嘆く。
惨めなものだ。あの男を救いに行くことすら、叶わないのか。
「……い……ぬし……」
その時、声を聞いた俺は、目を見開いた。
しかし、それは晴幸の声ではない。
「お主、武田の者か」
俺はゆっくりと見上げる。
其処に佇むのは、十人ほどの雑兵。
彼等の背後に見えたのは、村上家の旗差。
其処に、希望はない。
第4章、残り4話(予定)