第百五十話 参謀、動く
記念すべき(?)150話目です。
《四半刻前》
「案ずるな、儂に任せよ。必ずや我等の手で、殿を御守りしよう」
偽りなどない。俺は己の言葉を反芻し、頷く。
途端に意識は周囲へと飛ばされる。二人が鋭い眼差しを俺に向けていた為だ。
置かれた状況に、時が無いことを悟りながら、俺は再び息を吐いた。
この男達は、俺を深く信頼している。表面的に取り繕っただけの参謀を、彼等は信じ切っている。
俺は気付いていた。たった一つの振舞いだけで、人々の思考はこうも容易く変化させてしまえることを。
ふと胸の内が熱くなる。
脳裏に思い返すのは、《山本晴幸として初めて目覚めた》あの日のこと。
働き、食し、眠る。そんな何気ない日常が跡形もなく崩れ去った、あの日のこと。
彼等は、晴幸の正体を知らない。
この皮膚の下にあるものは、理不尽な運命に抗う現代人の気魂。
悪く言えば、考えようとしない。自ずから動こうとしない。
終わりもしない仕事を押し付けられ、飲みたくもない酒を飲まされる。
否定せず、ただ上司の言葉に従っていただけの、無能な社会人。
体裁と偽善で生きていた、つまらない人間の魂である。
可笑しさを覚え、俺は微笑する。
なぜ忘れかけていたはずの自分の過去を掘り返してまで、こんな事を思ってしまうのか。
答えなど、当に分かり切っている。
乱世を生きる上で、過去の自分の無能さに気付いてしまったのだ。
昔の俺はいわば、今の俺に与えられた役割とは真逆の存在。
今の俺には、過去の生き方は通用しない。
思考を止めることなどできはしない。許されはしない。
生きたくば、変わるしかない。
だからこそ、晴幸はあの日から、過去の《おれ》を捨ててしまったのだ。
「綱頼殿、其方に味方する者は何人程だ」
「は、はっ、集められても五十程と……」
「十分だ。良いか、良く聞け。これより五十の兵を三隊に分け、綱頼殿率いる隊を第一陣、作兵衛率いる隊を第二陣、そして儂が率いる隊を第三陣とする」
「わ、私が大将ですか!?」
「ああ、案ずるな作兵衛。儂の申す通りに動けば良い。
まず綱頼殿率いる第一陣が、先程の隊を追い先導し……」
俺は屈み、素早く指で雪の上に地図を描いてゆく。
己が編み出した策は、我ながら見事なものだった。
これならば、五十騎という少数でも、敵を壊滅へと導くことが可能かもしれない。
語り終えた後に呟いた綱頼の顔は、微かに笑っていた。
吹雪は、未だ止む気配を見せない。
頼綱は緊張の面持ちで、味方の到着を待っている。
俺は馬上で、作兵衛と共に一寸先の暗闇を眺め続けていた。
「……もはや、遅いのではありませぬか」
「何がだ」
「敵の動きからして、本隊は既に追いつかれているはず。
既に殿が危険な目に遭っていてもおかしくは……」
「確かに、此処からそれほど遠い訳ではない。だが、殿はきっと御無事じゃ。
寧ろ、暫しの猶予すら有ろう」
「何故分かるのです」
決まっているだろうと俺は笑い、作兵衛を見た。
「殿は儂が殿の許へ来ることを見越して、今頃時を稼いでおる筈だからだ」
未だ止まらぬ武者震い。言葉では言い表せない感情。
興奮し熱を帯びる身体に、笑みを抑えきれずにいる。
互いを信じ、互いに命を預けている。これほど面白いことはない。
作兵衛はそれ以上は何も言わず、前を向き続けている。
その様子に俺は悟る。長い間共に過ごしていれば、気付けるはずだった。
俺の言葉に、万に一つも確信など無いということを。
歴史知識のない俺は、この時代に生きる人々と同じ。
これから起きることを何一つとして知らない代わりに、一つだけ信じている事がある。
所詮、不安を拭う為の言葉に過ぎない。そんなことは分かっていた。
それでも、俺は信じるのである。
晴信、御前はこんな場所で死ぬ男ではない。そうだろう?
「味方五十騎が到着致しました!!」
「晴幸様っ……!」
声を聞き、俺は我を取り戻す。
大きく息を吸い、目前の暗闇を再び睨んだ。
「手筈通りだ、必ず巧くいく」
そう呟き手綱を引く俺の目には、かつてと同じ鋭敏な光が宿っていた。
『俺』の編み出した、打開策。
次回、その全貌が明らかに。