第百四十九話 優しさ、強さ
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弓を引く音。敵の向ける刃先が、晴信目掛け光を放った。
暗闇に紛れ忍ぶ敵の気配を察しながらも、晴信は一切動じることはない。
板垣達は一歩も動けず、ただ目前の光景を眺めている。
「板垣殿……!」
「駄目だ、動くな、動いてはならぬ」
「し、しかし、かようなままでは殿の御身が……」
依然続く緊張状態。かつ劣勢である現状に、板垣は歯を食いしばる。
極限まで張り詰めた雰囲気が、板垣達の身体を蝕む。
下手に刺激を与えるべきではない、《本能》がそう告げている。
主君を守るという、ただそれだけのことさえ出来なくなっている。
「政信とやら。此方からも、一つ訊ねさせてはくれまいか?
何故そこまでして、戦意を露わにする」
晴信の言葉に、彼の表情が変わった。
睨みを利かせる晴信に、顎を引き睨み返す政信。
その表情こそが、彼の全てを物語っていた。
「……もしや」
現に板垣の傍で呟く甘利は、険しさを帯びた表情を見せる。
察していたのは板垣も同様、彼等の思考は一致していた。
やはりそうだったか。
義清は再び、我々と関係を結ぼうとしている。
回りくどさを覚えるのは、武田側が安易に考えを覆さないことを知っていたせいだろう。
《此処で我々の申し出を断れば、どうなるか。》
誰もが身に染みて覚える重圧。言葉なくして、その圧力は効果を増す。
武力をもってそれを見せつけることで、我々の考えを大きく変える。村上勢の狙いは其処にあった。
義清も一寸の希望を見出していたのだろうが、最終的な決定権は晴信にあり、当の晴信はその動きに気付いている。
関係を打ち砕いたのも、信念を貫き通したのも、全ては我々の愚行と言えば、それは正しかった。
「ここまでして、なお己の信念を貫きますか、晴信殿」
信念とは違う。晴信は目を細め、拳を握る。
機会を与えてくれているのは、奴なりの優しさなのだろう。
支城を攻め込んだ者に同盟を請うなど、安易に出来ることではない。
相当の覚悟を持った上での、決断だったに違いない。
言ってしまえば、自尊心がそれを許さなかった。
我ながら馬鹿らしい理由だと、晴信は遂に頬を緩める。
優しさに背き、棘の道を進む。
常日頃から胸に抱いてきた思いを、晴信は無碍にできなかった。
優しさから目を背けることが、果たして強かだと言えるだろうか。
正しいと、言えるだろうか。
答えは、自明である。
強いわけがない。
正しい、わけがなかった。
「……我が殿の御好意を無碍にするとは、
晴信殿、貴殿には心底失望致しました。
ならば、致し方なき事」
「殿っ!!」
その時、一人の男が晴信の前に立った。
途端に敵側から放たれた矢が、男の頭を貫く。
「な、ぁ……」
甘利はその出来事に、声を失う。
倒れる男、その血を浴びる晴信。
微かな生温さを肌で感じ、晴信は遂に、我を取り戻すのだった。
「とっ、殿を囲め!!皆の者、殿を御守りするのじゃ!!」
板垣は居たたまれず、味方に告げる。
もはや時を稼ぐことは出来ない。このままでは、本隊壊滅は必至。
一刻も早く、この場から晴信を遠ざける方法を模索する。
「……板垣。其方は、儂に失望したか?」
呟きに似たか弱き声に、板垣は目を向ける。
晴信の表情に、得体の知れぬ苦しさを垣間見ていた。
「殿、此処は危のうございます。御下がり下さい」
「板垣」
「私は、付いてゆきたい御方に付いてゆく、ただそれだけにございます」
板垣の言葉は、晴信を素直に驚かせた。
平然と即答した板垣にとって、考える必要など皆無だった。
常人には考えもしない事をやってのける、そんな生き方に憧れを抱いたこと。
《付いてゆきたい者に付いてゆく》。板垣の中にある理由とは、ただそれだけのことである。
「……儂を守ってみせよ、板垣」
其の言葉に、板垣は強く頷く。
後方へと下がる晴信を囲み、刀を構える武田家臣。
政信が再び手を上げると同時に、敵兵は武器を構えた。
その時、敵側の方から鋭い悲鳴が上がった。
「な、何じゃ」
突然の事に混乱を見せる村上軍。政信は後方を振り返り、どうしたと問う。
直ぐに叢から現れた男は息を切らし、片膝立ちで叫んだ。
「も、申し上げます!!
砥石城より此方へ向かっていた碁詰隊が壊滅の模様!!」
「な、何だと!?」
その瞬間である、
馬に跨る一人の鎧武者が、敵兵の背後から現れた。
凄まじいといえる速度で突き抜ける鎧武者は、次々と敵兵を踏み倒してゆく。
「な……何者だ……!」
前線へ姿を現すや否や、鎧武者は手綱を引き馬を止める。
血に塗れたその姿に、晴信は笑みを浮かべた。
「遅いぞ……晴幸……っ!!」
降りしきる雪は、徐々に弱まってゆく。
赤い鎧に、黒い陣羽織を羽織った、赤き目を持つ隻眼の男。
板垣達は呆然と、月明りに照らし出されたその姿を見ていた。
一筋の光に照らされた男は笑みを浮かべ、深く息を吸い、高らかに咆哮した。
「儂は武田家当主、武田晴信が家臣、山本晴幸であるっ!!
我が殿を御助けに、此処へ参上仕った!!」
晴幸(俺)は、一体何をしたのか
第4章、クライマックス。