第百四十七話 危機、打開策
粉雪は、赤く冷え切った掌に滲む。其処に、本物の晴幸の姿はなかった。
俺は綱頼と向き合いながら、本物とのやり取りを思い出す。
一度身体を返せば、当分は此方側に戻ってくることはない。
彼の意識は、身体と乖離していても繋がる筈だった。
その間、彼は何処で何をしていたのか。それだけは決して、本物は語ろうとしなかった。
「綱頼殿、其方は何か、おかしな事を吹き込まれたりはしなかったか?」
「い、いえ、何も……」
俺は出来心で訊ねるが、返ってくるのは期待通りではなく、予想通りの返答ばかり。否、寧ろ自覚が無いというのも当然といえよう。
手掛かりすら掴めない今の状況では、そう割り切る他なかった。
いや、手掛かりはなくとも、予想くらいは出来ている。
敵に潜む転生者の存在。
その正体も、既に。
「晴幸様!」
声の先に、作兵衛が走り寄る様子を見る。
そうだ、すっかり忘れていた。俺に与えられた役目とやらを。
俺は微笑みながら、「大事無い」と告げる。立ち上がり様に短刀を仕舞い、悴んだ手をそっと差し出した。
「立て綱頼殿。少しばかり後れを取ったが、我等も殿の許へ向かうぞ」
「は……はっ」
綱頼の様子に悟る。未だ理解が追い付いていないようであった。
無理もない。城攻めのはずが、色々な事が同時に起きすぎている。
それに術の記憶が残らないというのは、今までにもあったこと。
逆に言えば、術の存在を肯定できる証拠にもなり得るのである。
追い付いていなかったのはまた、作兵衛も同じ。
だだ臨機応変さに長けていた彼は、既に次の一手を見つめている。
彼にも乱世を生きる者の力が身についてきたものだと、感心せざるを得なかった。
冷たい風が吹く。降雪は既に、吹雪に変わりかけている。
そんな中、俺は目を見開く。
何だ、この感覚は。
いつかの時と同じ、一言で表せば、《厭》な感覚。
激しい悪寒に、身が一度震える。
背後から何かが、来る。
「伏せろっ!!」
「!?」
俺は驚く作兵衛の口を押さえ、頭を押える。
綱頼も何かを察したように、体勢を低くした。
叢の奥から聞こえる金属音。
一方向に歩む大軍の影に、俺は呟いた。
「あれは、敵の軍勢か」
「……あの方向には確か、殿の率いる本隊が列を為して居る筈」
「もしや、義清殿の狙いは……!」
そうか、そういうことか。
俺は舌打ちし、過ぎ行く大軍を睨んだ。
義清は、撤退を図る晴信達を一気に狩ろうとしている。
このような木々の生い茂る狭い山中で挟み撃ちなどされれば、太刀打ちも出来ないだろう。
「晴幸様!直ぐに戻らねば、殿の命が危のうござりますぞ!!」
「落ち着け作兵衛……!ちと考えさせよ……!」
俺は焦る作兵衛を諫めつつ、顎に手を当て思考する。
直ぐにでも晴幸の許に向かい状況を伝えたところで、何が出来るというのか。それに、今向かえば必然的に我々の姿を見られてしまう。
ただ一番の問題点は、《圧倒的に人数が足りないこと》にあった。
「晴幸様!!」
作兵衛の声に、俺は歯を食いしばる。
頭に手を当て、遂には唸り声を上げた。
駄目だ、あきらめるな。打開策はきっとある。
考えろ、考えろ、考えろ、
「……いや、《見つかっても良い》のか……?」
その時、脳に刺す一筋の光明。
敵が抱える小さな穴に気付き、俺は手を放す。
暫くして息を吐き、力が抜けたように項垂れる。
顔を上げた俺の表情に、作兵衛と綱頼は驚嘆した。
「……義清は我等が此処に留まっておることを知らぬ。今はそれを利用するしかない。綱頼殿。其方に一つ、任せたき事がある」
「は、はっ!」
「案ずるな、儂に任せよ。必ずや我等の手で、殿を御守りしよう」
俺はゆっくりと拳を握る。
まだ策はある。諦めてはならない。
今回ばかりは本物に頼らずとも、やりきってみせる。
俺は、武田晴信の参謀だ。
そう心の中で呟く俺の口元は、笑っていた。
晴信と晴幸。
二人が浮かべる笑みは、吉と出るか