第百三十九話 幸綱と、義清 (七)
テストの関係で、2週間ほど更新が滞ってしまいました。
お待たせしてすみません、本日より再開です!!
《武田陣・撤退準備》
「山本殿」
降雪は地を、また草木さえも白く塗り潰す。
歩んだ道の跡も、新雪によって何事も無かったかのようにかき消されてゆく。
山奥に立つ二人。白煙を吐く二頭の馬を目前に晴幸は振り返る。
先程とは打って変わり、綱頼は何とも言い表し難き表情を浮かべていた。
何を言い出そうものか、晴幸は脳内であらゆる想定をしていた。
撤退を命じられ、急ぐことを承知の上で声を詰まらせ、それでも引き留めた彼の心情を。
少しの暇も頭を働かせるというのは彼の癖であり曲げられぬ信念でもあるが、己に課せられた使命であるかのように思えて仕方がない。
こういった類は、あやつに任せるべきなのだろう。
しかし今は違う。そのような暇は与えられない。
「……いえ。山本殿も私達と似た境遇を辿っておられると、義兄上から耳にしておりましたので」
晴幸は目を細める。
何故だろうか。こういう時に限っては、相手の考えている事が分からない。少なくとも今まではそうだった。
それはきっと、《自ずから他人と関わることを選ばなかったことへの見返り》なのだと、晴幸は思い直す。
時が止まったような静寂、否、晴幸は無意思に雑音を遮断していた。
彼が己の中に住み着いたおかげで、今なら少しは分かる。
話したかった。語り合いたかった。ただそれだけ。
唯の想像だが、きっとそれだけなのだ。
晴幸の思考では、それが限界であった。
お主にとっての《異物》が儂であるように、
儂にとってもお主は《異物》に変わりは無い。
それでも縋る思いで、儂はあやつに命を繋いでもらった。
それも全て己自身のため。そう思っていたが、
知らぬ間に、本心とは裏腹に、
儂もあやつに教えられていたのだろう。
此処までして、一向に学ぼうとしない姿勢を、晴幸は悔い改める。
ここいらが、返し時かもしれない。
きっとお主の頭も、冷えた頃合いだろう。
そう思いながら晴幸は微笑み、馬の方へ歩み寄る。
ただ、今は事を済ます必要がある。晴幸の中にあったのは、その一心のみ。
「急ぐぞ、綱頼殿……」
そう言って馬に触れた、その時であった。
背に気配を感じ、晴幸は立ち止まる。
気付けば、綱頼が俺の後ろで刀を構えていた。
《砥石城天守》
「ここまでしてもなお、其方は儂をあまり良くは思っておらぬままか。
いや、違うな。ここまでした故、か」
幸綱は唇を噛む。黄色に光る義清の目に、彼は全てを悟る。
先程の義清の言葉は、幸綱に重大な事実を与えていた。
己の思考を読まれたこと、そして、己の術が使えなくなってしまっていること。
持っていたはずの術がいつの間にやら、この男のものになってしまっている。
義清の持つ三つの術。二つは既に分かっている。
『周囲の状況を瞬時に理解できる術』。
『転生者の術を奪う術』。
今、幸綱は全ての術を奪われている。黄色に光る瞳は、恐らく術の使用による影響。脅威ともいえる術であるのと共に、一度使えば相手に知られるという危険をも孕んでいる。
幸綱の術は、出会った時から既に知られていた。
今思えば、《触れられたところで意味など無かった》というわけだ。
「……御名答、流石は真田殿じゃ」
義清は一歩踏み出す。
幸綱は思わず一歩退く。
術を失った今だからこそ理解できる。
得体の知れない存在を、これほど脅威に思えたことは一度たりとも無かった。
「儂を、如何する気だ」
「山本晴幸を、其方の手で連れて来させようか。《其方の術》でな」
まて
やめろ
嫌だ
幸綱の表情が、崩れた。
どうしようもなく腰刀に手を伸ばそうとするも、腕を掴まれる。
怯える男と、笑う男。指の隙間から微かに見えた、光る眼を持つ義清の笑み。
そのまま引っ張られる様に、義清の手が、幸綱の顔を覆った。
幸綱、敗北ー
次回、義清編完結(予定)