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第十二話 南部と、藤三郎

 その頃、俺と同じく、未だ止まぬ酒の場を離れる一人の男がいた。

 彼は厠へ行くことを口実に、自身の部屋へと戻る。


 「ああいう場は皆揃って酒臭い、

  どうも好かんのじゃ」

 「作用にございますか」


 男の家臣(名を藤三郎)は、部屋で茶を点てて居る。

 男はそれを横目に、胡坐をかいた。


 南部なんぶ下野守しものかみ宗秀むねひで。男の名である。出身は甲斐南部氏、武田家家臣。


 実を言うと、南部が酒の場を抜け出すのは、一度二度の事では無い。

 故に、家臣の藤三郎は食事後に決まって茶を点て待つのである。


 「何故笑っておる」

 「いえ、何も」

 不意に出た藤三郎の笑いを、南部は咎めようとしない。

 

 南部が酒の場を離れる理由。

 其れは、酒臭さを嫌っている為では無い。

 実は〈酒に弱い〉事を隠して居るだけだと、藤三郎は知っていたのである。

 またその事を、南部も薄々気付いていたのだ。


 「そう言えば、新たに武田家に参った者がおるそうですな

  名は確か、山本晴幸と申す者」


 「酒の場におったわ。妙な男よ。

  片眼には眼帯、頬には切傷、

  誰とも語らず、唯座っておるのみ」

  

 南部は湯呑に酌まれた茶を眺める。

 其の表面には、波紋が広がる。

 縁側を吹き通る夜風が、冷たい。


 「寂しいものだな、儂も、其奴も」

 南部の呟きが、夜風に掻き消される。

 桜の花弁(はなびら)が一つ、藤三郎の湯呑に落ちる。

 其の様子を眺め、南部は目を細めた。


 「然し、些か気に入らんのだ」

 「?」

 「其の晴幸とやらじゃ」


 南部は湯呑を置く。


 「噂が立って居るぞ、

  牢人風情に破格の優遇だと」


 藤三郎は微笑する。

 其のまま南部の湯呑を手に取り、〈御代わり〉が要るかと訊ねる。

 南部は、黙って頷くのだった。







 「晴幸、其方は毛利に仕えた事も有るそうだな、

  其れで、毛利元就は如何なる男か」

 「人並み外れた将器を持つ御方に御座います、

  其の方の軍才、私には測り知れませぬ」

 

 夜が更け行く。部屋の四隅で行燈(あんどん)の灯が揺らめく。

 俺は、近隣諸国の情勢について晴信に語る。


 俺は博識を装っているが、御存知の通り、ただ日記の内容を語っているだけ。

 実際の知識など、皆無に等しい。

 故に口を開く度に、内心苦笑していた。


 「そうか。

  ならば有田城の戦の話、あれは誠か」

 「……っ」


 晴信の言葉に、俺は硬直する。

 日記には、その様な戦についての記述は無い。

 



 「元就殿の初陣にござりますな、

  安芸武田氏の重鎮、猛将と知られた熊谷元直率いる軍を撃破し、討死させたと」

 

 口籠っていると、横に座る板垣がそう口にする。

 そういう時、如何(いか)にも知っていたというかの様に頷いておく。そうすれば、大抵の事は流される。

 転生前にしばしば使っていた荒技、所謂(いわゆる)〈知ったかぶり〉という奴だ。


 助かった。顔には出さなかったが、心の中では安堵していた。


 俺は、板垣を横目で見る。

 板垣(このおとこ)は、今も俺を恐れているのだろうか。

 いや、少なくとも、侮ってはいないことだろう。

 此処に来て初めて、俺の中の〈異物〉が役に立ったと感じる。

 



 「亡き父上が語って居られた、

  安芸国の毛利こそ、いずれ我らの脅威となろうと」

 晴信の言葉に、顔を上げる。

 行燈に照らされた彼の目は、鋭く、また妖しく光る。


 此の男に、スキルは使えない。

 しかし、その様な事、今となっては如何どうでも良くなってしまった。

 俺は唯、その目の向く果てを、見てみたいと思った。

 

 武田晴信。

 彼の目には一体、何が映っているのだろうか。

 

 

 

 


 部屋を後にした俺は、板垣の背後を付く様に歩く。

 お互い、口を開こうとはしなかった。

 「では、私はこちらの方故、」

 城外へ踏み出す板垣による第一声は、別れの挨拶である。

 板垣の背が見えなくなると、俺は天に目をやる。

 月光に照らされる散りかけの夜桜、其の近辺でしきりに響く蛙の声。

 もうじき、梅雨がやって来る。それが過ぎれば、もう夏だ。



 明日も分からぬこの時世で、俺は悟る。


 この時代を生きる、その為に必要なこと。

 其れは、〈死なない為に、誰かを殺すこと〉。

 そして、〈誰かを利用してでも、這い上がること〉だと。


 自らの行為や感情を、

 正当化したいだけなのかも知れない。

 だが、誰しも其れを、

 大事な要素だと信じて居るのは確かだ。


 ふと足元を見ると、桜の花が一枚。

 俺は何事も無かったかの様に、歩き出す。





 「只今戻った」

 「御待ちしておりましたぞ、晴幸様」


 屋敷で待つ男、名を作兵衛という。

 此度の機会に、家来として晴信が俺に与えてくれた。

 家来という形ではあるが、作兵衛かれ自身の身分はそれほど低いものではないらしい。何も、板垣の従弟だという話もある程だ。


 「晴幸様。誠に良いのですか?」

 「何がだ」

 「今宵は酒盛りだそうで」

 「儂は領主じゃ、かの地を放ってなどおけぬ。作兵衛。其方こそ良いのか?」

 「私は家来にございますから」


 板垣とは偉い違いだ。

 この男なら、人の家の前で待ち伏せなんて真似はしないだろう。

 俺はあまりの可笑しさに、笑みを零す。


 「……私の顔に何か付いておりますか?」

 「いや、何でもない」


 此処からでも騒ぎ声が聞こえる。

 この調子では、暫く止むことはないだろう。

 その一方で、俺は早めに床についた。


 あぁ、良かった。

 今日が終わる。

 今日という日が、無事に終えられる。


 そう思った途端に、夜風が灯を吹き消した。

 

其れは、真の笑みか

其れとも、〈異物〉の嘲笑か

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