第百十六話 戦の、要
《幸綱の屋敷》
「立て続けに出陣を命じるとは、何を考えている……」
幸綱は俺の言葉に、酷く項垂れる様子を見せた。無理もない、二ヶ月という短期間を経ての出陣である。先の戦で傷を負った幸綱の身を案じつつも、俺は毅然とした面持ちを浮かべる。
「晴信は、此度の戦の要となるのは《城攻め》にあると言っていた」
「城攻め……何という城だ」
「砥石城というらしいが、如何なる城であろうか」
「……っ!」
幸綱は目を開く。
変化に気付く俺は、彼を覗き込むような姿勢を見せた。
「砥石城は、我が真田に由来する城じゃ」
砥石城は、真田氏によって築城された外城。
その事実に気付き、俺は息を飲んだ。
「……まあ、海野平での合戦によって敵に奪われてしまったようだがな」
「その目で見た訳ではないのか?」
「左様、儂が転生を果たしたのはその後であった故、詳細は何も分からぬ」
砥石城攻めは、歴史的にもよく知られている出来事のようだ。俺は勝敗を訊ねる前に、己が抱いた疑問を解消しておくことにした。
恐らく、俗に言う海野平の合戦で真田家が敵対した者こそが、此度の相手で間違いない。
その敵とは、一体誰の事か。
「かの戦で敵対した大将は二人といわれておる。一方は其方の良く知る諏訪頼重。
もう一方は、信濃埴科の地を収める、村上義清という男じゃ」
(村上義清……聞いたことのない名だ)
まあ当然と言えば当然か。俺は己の無知さを再び実感する。少なくとも、奴は俺の思った通り侮れない男であることには違いないだろう。
「史実の通りならば、奴はこれから武田の侵攻を二度防ぐことになる。
だが、此度はどうなるか分かったものではない」
あの晴信を二度も出し抜いたともなれば、やはり並外れた軍才の持ち主。
果たして、晴信は村上義清という男をどれ程理解しているだろうか。
いや、大体の見当は付いている。恐らく晴信は、敵の器量を知っているからこそ幸綱が武田家に仕官した事実を逆手に取ったのだ。
しかし、当の幸綱は転生者。それも砥石城について知識のない赤の他人である。
故に、晴信の策はもはや効果を失っていると言っても良い。
この事実を晴信に伝えるべきか?
いや、伝えられたとしたら苦労はしない。
「如何した?」
「いや、何でも」
若干だが、幸綱の顔色が悪く見える。
心情を隠そうとしているのが、手に取るように分かる。
此度の戦は、間違いなく幸綱の存在が大きな鍵となる。其処に不安を覚えるのは当然だ。
俺は彼の肩に手を置き、微笑みかける。
俺自身に他人の不安を拭える力は無い。しかし、誰かの不安に寄り添うことは出来る。
幸綱は俺の目を見て、頬を緩ます。
滑稽なものだ。この時の俺は、自己満足に浸る唯の阿呆に過ぎなかった。
幸綱は其の先を見ている。知識皆無の俺にとっては、そんな事実に気付ける筈も無かったのだ。