第百十三話 些細な、疑心
同じ頃、屋敷で黙々と作業に打ち込む一人の男。
縁側に座る俺は、遂に満足気な笑みを浮かべる。
短刀を片手に、鋸の要素で竹を切り、それらを網状に編む。
そうして出来上がったのが、傍に置かれた竹籠。
「作兵衛、此れを若殿に渡してはくれぬか。
長らく使っていた籠が壊れたと申しておった故、喜んでくれるであろうよ」
「は、しかし、晴幸様の手から直接お渡しになった方がよろしいのでは」
「儂はこれからやることがあるのでな。それに、一刻も早く渡したいのじゃ」
作兵衛は戸惑いながらも受け取り、部屋を出る。
頼むぞ、と背中越しに声を掛けた。
誰も居なくなった部屋で、俺は静かに佇む。その表情に、笑みは無い。
「晴幸」
呟いた途端、背筋に気配を感じた俺は振り返る。
良い出来じゃ。そう呟き近寄る《瓜二つの男》に、俺は顔をしかめる。
自分から呼び出しておきつつ、そんな表情をするのには理由がある。
「竹籠を編むとは、其方は誠に器用であるな」
「乱世に来る以前は、器用貧乏と嗤われたものだ」
「ははは、器用貧乏か。儂にはそのように見えぬものだが」
高らかともいえる笑いの後、晴幸は小さく呟く。
「やはり其方は、儂と似ても似つかぬ存在じゃ」
俺は応える事無く、唯一点だけを見つめていた。
「晴幸、一つ訊いても良いか」
「何じゃ」
曇天の秋空。枯葉が風に舞う。
俺は彼を睨みつけた。
「何か、隠し事をしておらぬか?」
閑散とした空間に、乾いた風が吹き抜ける。
首をかしげる晴幸。まるで俺の言葉を理解していないような素振り。
それを悟り、俺は言葉を付け加えた。
「毎夜、儂は御前にこの御身を返しておる。それは御前が儂に請うた頼みであろう。その頼みを聞き入れた儂には、三種の術のうち、ただ一つ使えぬものがある」
晴幸の表情から笑みが消える。
まるで、俺から只ならぬ雰囲気を感じ取ったが故に。
「御前ならば分かるであろう、《他人の最期を夢に見る術》のことじゃ。夜間に御身を返すことにより、御前の《行為》が儂の《夢》として上書きされてしまう為だ。それを踏まえたうえでの南部殿の一件の後、基い御前が儂の前に現れた頃から、その術だけは精度が格段に落ちておるという事実。これが何を意味しているか、分かるか?」
「……何が言いたい?」
晴幸の声色が変わった。
それを悟った俺は、再び彼を睨みつける。
「御前は、儂に《偽り》を申していたのではないか?」
脳裏で思い返すのは、以前武田の逆賊として相対した高遠頼継のこと。
晴幸の術で見た光景は正しかった。高遠があの戦で命を落とす光景が見えた。
しかし晴幸は、《ここで高遠が死ぬことは無い》と嘘を吐いた。
俺は此れまで、術の精度が落ちている事に疑問を持ちつつも、その可能性を想定するまでには至らなかった。何故なら、晴幸がその様な素振りを見せなかったからである。
俺と晴幸、口に出さずとも思考が共有できる存在である故に、当時の映像(状況)すら脳内で改ざんすることもできよう。ただ、これらはあくまで全て可能性の話であり、棄却しかねない仮説にすぎない。しかし、晴幸が俺の前に現れてから、術の不正確さが顕著に現れ始めたのは事実だ。
「……そう思われたとておかしくは無いな。
だが、儂が其方に偽りを申す道理など皆無じゃ。そうであろう?」
俺は口を噤む。
そうだ、晴幸が俺に嘘を吐く理由は無い。その根拠が見つからないからこそ、可能性の話に留まるのである。
だからと言って、晴幸に身体を返さないという選択肢を取るのは、至極ナンセンスといえる。俺が晴幸の頼みを聞き入れたのは、万が一夜間に何者かに襲われることを想定していたからだ。
「いや、少しばかり気になっただけじゃ。
もしそうであるなら訳を聞かせて貰おうと思っていたが、違うのなら良い。忘れてくれ」
真偽が定かでない以上、これ以上の追及は意味を為さない。俺は晴幸に背を向け部屋を出る。その姿を目で追い続ける本物。
唯一人取り残された彼の表情に、笑みは無かった。
核心の始まり。