第百十一話 二人の、転生者 (第3章最終話)
一五四六年九月。
紅葉が山道を彩る季節。
そこに無心で歩き続けながら、小枝を拾う一人の男。
片目には眼帯、頬には大きな傷。
隻眼の男は不意に見上げ、目の前の存在に微笑みかける。
「何をしておるのだ」
「少しばかり隣村に用があってな。其方は薪を集めておるのか」
「ああ、幾度も屈む御陰で、腰が痛い」
「はっ、幾ら策士と言えど、老いには敵わぬと申すか。
そうじゃ。後に山菜を其方へ届けよう」
「忝い」
俺は、男の背中を目で追う。
俺と同じ境遇を背負う、もう一人の転生者。
真田幸綱、彼が武田家へ現れて半年が経った。
今や例の一件から完全に回復し、剣豪・塚原卜伝殿に剣を指南して貰っているらしい。
彼の持つ驚異的な回復力に、俺は影で感服していた。
良し、こんなものだろうか。
薪によって籠が満たされ、俺は元来た道を引き返す為に方向を変える。
その途端、吹き抜ける突風。
「っ......」
木の葉が舞い、思わず目を閉じた。
同時に、記憶の一片が蘇る。
たった一月前に交わした幸綱との会話を。
俺は静かに瞼を開ける。
最近は、何気ないものにも既視感を覚えてしまうな。
俺は立ち止まったまま、天を見る。
あの日も今日の如く、よく晴れた日だった。
幸綱は俺に全てを語った。どうやら第三の術は、触れた相手を主従関係に出来る術で間違いはなかった。
幸綱によれば、《相手に触れながら命令を一つ語り掛ける》ことが、術の発動条件だという。術の効果は一人から周囲に伝染してゆき、その効果が切れるのは命令を達成した時、もしくは主君もといえる幸綱の死によって為される。また術を同時に二人以上の人間に使用する事や、直接死に関わる命令を掛けることは不可能だという。だが、婉曲的に死を迎える可能性はあるみたいだ。
様々な情報を一気に投げつけられたような気分だったが、大方予想のついた事柄ばかりであった為、理解に苦労はかからなかった。
ただ一つだけ、気がかりな事があるとすれば、高田のこと。
幸綱の術は所謂洗脳の一種であり、術の発動中は命令に背くことが出来ない。しかし、あの時術で視た高田のように心で自我を保つことは可能だという。
ただ身体が思い通りにならない事によって、自我を保とうとする事がどれほど苦痛なのかは自明。
もしかしたら、高田の死因は我々にあるのではないだろうか。
あの日からそう思えて仕方がなかった。
「幸綱殿、儂はいつ死ぬ」
俺が幸綱に訊ねたこと。
それに対し、幸綱は目線を外に向けたまま語る。
「案ずるな。まだ十年以上先のことじゃ」
今思えば、答えを聞いたところで意味は無かった。
《寿命》と《死》の違いは、しばしば誤解される。
《天寿を全うするまでに残された期間》、それが寿命。幸綱の見たもの、それは単なる寿命に過ぎない。
仮に俺がここで腹を切って死ねば、その術の結果に意味は為さなくなる。
明日さえ不明瞭な乱世。
この世界において、我々が得た力は非力なものだと悟る。
歩みながら、眉間に寄る皺。
俺達は、一体何を信じるべきなのか。
唯一分かるとすれば、存在することが証明となる事柄だけ。一つ挙げるなら、今此処に生きていること。限りある命を削り、守っていること。
未来ではそんなことに疑問を持つこともなかった。
我々に必要なのは知識だけではない。一人では生きられない我々を辿り着くべき場所まで導いてくれる、血濡れた己が身を洗い流してくれる仲間の存在。
俺にとって幸綱は、そんな存在に成り得るだろうか。
術を使うのは、我々の出現によって狂い始めた歴史を元の軌道に戻す為だと、幸綱は口にした。
しかし、我々はただ己の術に振り回されているだけなのではないか?
それは、本物の晴幸さえ同じこと。
得体の知れない力に縋るのは、あまり良いことではないのかもしれない。
日暮れが迫る。
屋敷に戻った俺を待つのは、いつもの光景。
一人の女性に微笑みかけ、俺は床の間に腰を下ろす。
「晴幸殿、御城には向かわぬのですか?」
若殿の声に、俺は頷く。
「ああ、今日は此処に居る。
久方振りに、其方の飯が食べたくなったものでな」
若殿は予想外の言葉に戸惑いを見せつつも、頬を緩ませる。
去った若殿に目を向けることなく、俺は縁側に留まる蜻蛉に目をやる。
其方は儂が憎いか?
こんな境遇に落とされた事を、恨んでいるか?
微かに聞こえた声に、俺は微笑む。
恨んだところで意味はない。そうだろう?
途端に、脳裏に走る雑音は、原型を無くしてゆく。
俺は立ち上がり、縁側まで歩む。
背筋が凍る心地を覚え、俺は息を吐く。
今宵は、肌寒くなりそうだ。
そう思いながら、俺は縁側の障子を
ゆっくりと閉めるのであった。
第3章 完
これにて第3章完結です。ありがとうございます。
第4章は歴史を大きく狂わせる出来事が、俺(晴幸)と幸綱に降りかかります。
第3章完結のあとがきを、後ほど活動報告にて更新します。そちらも是非お楽しみに。