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武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第3章 第二の、転生 (1546年 2月〜)
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第百十話 秋空、訪問者

 季節は廻り、秋の訪れを告げる。

 その村にも昨年と変わらず、鮮赤色の紅葉が色づく。


 「じじ様、御水を汲んで参りますね」

 「おお、済まぬな」


 とある屋敷に二人の男。

 床に臥せる老人と、彼に背を向ける少年。

 笑みの中に、垣間見た不安。

 口に出さずとも伝わる。家族とはそういうものだと、老人は呑込む。


 誰も居ない部屋で、老人は己の無力さを悟る。

 かつて挙げた手柄も、語り継がれた武勇も、歴戦の傷も、こうなってしまえばもはや意味を為さない。

 《価値》というものは、過去になってしまう瞬間に、泡沫の如く消えてしまう。

 全ては夢だったのではないか、そんな錯覚さえ本気で思えるほどだ。


 老人は横たわりながら、果敢な面影を忘れ、皺まみれになった掌を見る。

 ある出来事によって、家を追い出された身。

 己の価値が失われてゆく恐怖にかられていたものだが、今では何処か馬鹿らしい。

 つわものが見ることの出来なかった世界を、この村は教えてくれた。

 故に、後悔など微塵も無い。

 

 草を踏む音がした。

 首を横に向けた老人は、何物かが縁側の前に立っているのを見る。

 老いのせいか、視界が白濁に包まれ、表情は見えない。

 ただ、佇まいから、村の者ではない事だけは分かる。


 「失礼いたす」

 男は菅笠を取り、縁側へと歩む。

 老人は徐々に明らかになる彼の様子を眺める。


 「爺様、御水にございます」

 「勘太、ちと薪を集めて来てはくれぬか」

 「え、」


 明らかな声色の変化。少年は少し怖気つきながらも、老人と呼応するように部屋を去る。



 「……上がり給え」

 白髪を生やし、皺を寄せながら男を見上げる《里丸》。

 その男、《長野業正》は表情を変える事無く、ただ一度頷いた。





 「その羽織に描かれた紋、上杉の者であろう。

  腰刀二本、上等な召物からして、重臣を担う者の様じゃな。

  そのような者が敵国に足を運ぼうとは……主君に許しでも得たのか?」

 業正は主君に〈暇を頂きたい〉という旨の文を提出したと説明する。

 無論、散々な結果を招いた憲政には反論の余地など無いことを承知の上で。


 「貴方様こそ、かつては(つわもの)であらせられたようですな」

 「......何故そう思う」

 「貴方様と同じにございます。数々の兵をその目で見てきたからこそ一瞥即解、つまり我が身について手に取るように分かったのでしょう。今となっては面影すら消えてしまったようだが、只村の長を勤めている訳でない事は一目瞭然にございます。隠し切れる筈もありませぬぞ」


 業正の笑みに応えるように、里丸は微笑みながら俯く。


 「本間殿は、死んだのか」

 突然、確信を突く里丸。

 途端に、業正の表情から笑みが消える。

 勘づいていたのだろう。業正が此処に現れた時から既に。

 業正は懐からとある物を取り出し、里丸に差し出した。

 

 「此れは、本間近江守殿の日記にございます。

  北条と上杉との戦の後、上杉の許に贈られたもの。

  此処に、この村の暮らしについて書かれておりました」

 「日記......?」


 里丸はゆっくりと表紙を捲る。

 細い字で細かく綴られた、何気ない日常。

 その筆跡は間違いなく、本間近江守のもの。


 日記に目を落とす里丸。

 その様子をただ眺める業正。

 二人は、互いに語ることは無い。

 鳴り止まないのは、紙を捲る音だけ。

 


 「そうか……近江守というのか……」


 突然、紙の上に落ちる一滴の雫。

 業正は瞼を細め、口を噤む。


 共に笑い合った思い出たちが、涙と共に里丸の中に蘇えり、次々に溢れてゆく。それらは止まることを知らない。



 いつぶりだろうか。こうして涙を流したのは。

 たった一年前の出来事だというのに、何故こんなにも懐かしい気持ちになるのだろうか。


 

 本間は最後まで、己の官名を語らなかった。

 きっと、戦無き平穏と敵国に忍ぶ恐怖のはざまで思い悩む日々を送っていたからだろう。

 それを悟らせなかった彼は間違いなく、強い人間であったに違いない。

 

 次々に落ちる雫が文字に染み、滲む。 

 「不甲斐無い姿を見せてしまったな……」

 里丸は目元を袖で拭い、業正を見る。


 己がかつて仕えた家が、勝った。

 心に残ったのは、複雑な感情だけ。

 勝利に関わる喜びなど、これっぽっちも浮かばなかった。


 だが、一年が(ひととせ)巡り、遂に解れた気がした。

 本間が命を落としたという報告には、悲しみは勿論、安堵さえ覚えていた。

 今まで思い悩んでいた事を、事実として知ることが出来たからだ。



 「来てくれて嬉しかったぞ。長野殿」

 

 腫らした目で、屈託なき笑みを浮かべた里丸に、業正も笑みを零す。

 きっと本間も喜んでいる筈だ。

 いや、そう信じたくなるのは、人間の本能なのだろうな。



 

 里丸は屋敷に泊っていくよう薦めるが、業正は断った。

 そのまま村を去る業正の背中を見送り、里丸は再び床へ潜る。

 その時、背後に気配を感じた里丸は、振り返った。


 「勘太……」

 そこには、裾をぎゅっと握り立つ勘太の姿。

 彼は涙をぽろぽろと零し、袖で顔を覆い隠す。


 「泣くでない、男であろう」

 里丸はそう言いながら、笑う。

 自分も泣いているというのに、可笑しなものだな。

 年を老えば涙もろくなるものだと、子供じみた言い訳を零した。












 庭に転がったたきぎの束。

 その上には一匹の赤蜻蛉が、まごう事無き秋空を見上げていた。

次回、第3章完結

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