第百五話 生を、望む者
徐々に帰陣を果たす者達。
彼等の刎ねた首は、優に三千を超す。
その一つ一つが陣の前へと積まれ、異質な光景を生む。
漂う異臭や見た目に、当時の男達も目を背けるほど。
転生直後の俺ならば、一秒たりとも見ていられなかったはずだ。
これらが、志賀城(敵)の前へと晒される。
これを見た笠原達は、相当な精神的ダメージを負う事だろう。
此処まで耐え、救援を絶たれたことに、諦めを覚える他ない。
首の他に集められた、良質な兜や刀。
俺は覚悟を決め、その中の兜に触れる。
意識を集中し、《三つ目の術》を発動する。
触れた部分から光が現れ、大きくなり、俺を飲み込んでゆく。
風が吹いた。其処は暗闇の中。しかし、彼等の表情が手に取るように分かる。
目前で繰り広げられる戦いの中で、彼等は血で血を洗う。
呆然たる表情の男達を、板垣隊は飲み込んでゆく。
その中にある、男の姿。ただ一人、奴は抗っていた。
「高田憲頼」
彼の名が脳裏に浮かび、声に出す。
男は此方を向き、立ち止まる。
途端に音が止み、俺と高田の二人以外の時が止まった。
「……何が起きておる」
「此処では全て儂の思い通りになる。
高田殿、其方だな。内山城への侵攻を謀ったのは」
俺は彼に一歩近づき、笑う
「いやはや、儂の謀が見事に狂わされた、天晴じゃ」
それは本心からの言葉。俺は俺なりに、彼に対して称賛の意を述べた。
しかし、火に照らされた高田は俺を睨む。理由は言わずとも分かるだろう。
「其方は何を知っておるのだ」
「知らぬ。何もな」
俺は高田に背を向ける。
彼はどうやら、幸綱の術について知りたがっている。
仲間の変貌に、やはり戸惑いを隠し切れていない様だ。
しかし、驚いたな。術が伝染していく中で、この男だけは唯一、自我を失っていなかったみたいだ。
「逃げよ。其方はまだ生きておるのだろう」
「儂を助けようとするつもりか……」
俺は振り返る。高田は変わらず俺を睨んでいる。
そうだな。助けようとしなければ、敵兵にこんなことは言わない。
それに、理不尽な戦いを強制させてしまった我等にも責任はある。
「其方の助けなど要らぬ。もはや雌雄は決したとはいえ、
儂はまだ戦い、殿の為に御身を捧げる覚悟じゃ」
「其れは本心か?」
高田は目を丸くする。
それはかつて平和を生き、《生きる》ということが人間のあるべき性だと知っている俺だからこそ、言える言葉。
「其方は賢い。敵の参謀が企てた策を欺く程の才を持つ男じゃ。
死んではならぬ、其方の知恵があれば、殿を、領民をも救うことも出来ようぞ」
高田は口を噤む。
俺は頬を緩め、彼の目を見続けていた。
高田憲頼
セントウ 一三四一
セイジ 一七九二
ザイリョク 九六八
チノウ 一八五三
《死ぬ》ことが武士の誉れだと思い込む者達。
彼らは、かつて《生きる》ことを説かれることなど無かっただろう。
諏訪頼重や矢島満清、俺はかつて、彼等にも生きることを薦めた。
しかし、その言葉が聞き届けられる事は無く、命を落とした。
きっとこの時代にとって、《生きる》ことを望むのは禁忌なのかもしれない。
それでも、この時代で彼らに伝え続けることこそが、
この時代に飛ばされた俺に与えられた、一つの使命なのだろう。
「……其方の助けなど……欲しくは無かった」
そう呟き、高田は背を向ける。
「お主、名を何と申す」
「……我が名は、山本晴幸じゃ」
「山本晴幸。きっと儂は、其方の名を忘れまい」
そう言い残し、彼は走り出す。一度も振り返ることなく、暗闇へと姿をくらませる。
俺は沈黙のまま、ただ彼の背中を目で追い続けた。
途端に動き出す時間。
再び始まる合戦の中に、彼の姿は無い。
(俺の言葉は、どれほど彼に届いただろうか)
死を望み、生を捨てること。
それが戦国乱世に生きる者の業なのだとしたら、きっと抗いようがない。
それでも俺は、彼の行く末を知りたいと思う。
俺は満天の夜空を見上げ、目を閉じた。
目を開けると、青が広がる。
暫く夢現を彷徨い、辺りを見回せば、多くの者が積み上げられた首を運び始めている。
まだ、それほど時は経っていない様だ。
疲労感を覚えつつも、俺は真剣な表情で前を向く。
長かった一ヶ月も、もうすぐ終わる。
もうすぐ会えるぞ、若殿。
俺は己を奮い立たせようと、己の両頬を叩く。
今するべきことを脳内で羅列し、ゆっくりと歩き出した。
其の頃、山中で目を覚ます一人の男。
己が置かれた状況を把握した彼は、泥だらけの姿で立ち上がる。
まだ傷口が痛む。それでも彼の目は遠くを見ていた。
「やまもと、はるゆき……」
彼は脳裏に残った、見ず知らずの名を呟き、苦笑する。
まさか、敵から生きることを説かれるとは。
我ながら変な夢を見たものだ。
高田憲頼は拳を握り、勢いよく走り出すのだった。
幸綱、高田、金井の運命は
第三章、残り五話