マリスヴェルの受難
「そういや君、姫様って呼ばれていたね。本当にお姫様だったんだ」
「何その素っ気ない反応は」
「おとぎ話でお城とかお姫様とかは聞いたことあるんだけど、僕は本物を見たことがなかったからいまいち実感が湧かなくて」
「この格好でも?」
シャンベルの格好を改めて見てみると、お姫様らしい格好に見えなくもない。ドレスが真っ黒なことを除けば確かにお姫様だ。
というか、どうして真っ黒なドレスを着ているのだろうか?
「お姫様は黒のドレスが基本なの?」
「あー……えーと……この格好は普通じゃないわ。今日はちょこっとだけ特別」
「特別って?」
「……実は今日お見合いがあったの。ポッド伯爵の息子さんとだったんだけど、私そういうの嫌いなの。だから、喪服で行ってやったわ!」
喪服でお見合いって……もしやこのお姫様は俗にお転婆と呼ばれている種類の人間ではなかろうか。
いや、間違いなくお転婆だ。よく考えてみれば、普通のお姫様が岩をよじ登ったり、僕みたいな身分不詳の不審者を馬車に乗せたりするわけがない。ましてや、喪服でお見合いなど無礼にもほどがある。
しかし、シャンベルの気持ちもわかる。きっと彼女はお見合いが嫌で仕方なかったのだろう。彼女の性格からして何かで縛られることを極端に嫌っていそうだ。
「痛快だった?」
「勿論! マリスにもあの顔を見せてあげたかったなー。もうね、唖然としているの。ポカンと口を開けて、胡桃でも置いて下から叩いてやりたくなったわ」
だからね、とシャンベルは座席の下の収納棚から一つの人形を取り出した。それは兵士の格好をさせられていて、やたらと口の大きな不自然な人形だった。おまけに頭の後ろにレバーまで付いている。
「じゃーん! 思わず買っちゃったの! 胡桃割り人形!」
シャンベルは人形の口に胡桃を挟み、よいしょとレバーを握り込んでしたり顔で割った。そして、中身を取り出すと口に放り込む。
「やってみる?」
「じゃあやってみようかな」
僕も真似をして胡桃を割った。思いの外殻が固くて驚いた。
僕らが胡桃を二三個ずつ食べた頃、馬車は止まった。どうやら到着したらしい。
窓から覗いてみると、さっきまで視界に収まっていたお城が、今ではどう足掻いても収まりきらない。
「ところで、僕の格好でお城って似合わなくない?」
「別に構わないわ。喪服でお見合いに行く姫の客人よ? 誰が来ても不思議じゃないわ」
「確かに」
そうこうしていると、外に何人かの気配を感じた。
ようやく出迎えてくれるらしい。だが、僕は不安しかなかった。何せ僕は完全に部外者あり、そもそもお姫様ともあろう人が勝手にお城へ人を招いていいのだろうか。
「今更なんだけどさ……本当に僕はここにいていいの?」
「大丈夫よ。私が話をつけるわ! それまで応接室で待っていてちょうだい」
ついにドアが開かれた。外に見えたのはたった五六人の召し使いたち。
てっきり、何十人ものお出迎えが来るもんだと身構えていた僕は、その空虚さに白けてしまった。
颯爽と馬車を降りるシャンベルに遅れまいと、僕も後に続いて降りると、一瞬見間違いとも思われた空虚さは、やはり事実だったと思い知ることになる。
「お帰りなさませ、シャンベルリル姫……」
物静かな立ち居振舞いで片眼鏡をかけた老齢の執事の一言を皮切りに、後ろに控えている五人のメイドたちが頭を深く下げた。
「本日のお見合いは……どうでしたか?」
「言わなくてもわかるでしょう? ご破算よ、ご破算」
最初から分かっていたのだろう。だから、出迎えに来た召し使いたちは眉一つ動かさず、シャンベルの漆黒のドレスを始めから見なかったことにしている。
しかし、執事は違ったようで、悲壮感漂う顔でシャンベルに頭を下げた。
「姫様! どうかお願いします。もうすこし品というもの身に付けてください……! 姫様はルギーレ=ガイザ・ラドヴァール・ノン・ガルト様の三姉妹が一人にてあります……そのような高貴なお方がこのような格好でお見合いなどとは……私めは、今は亡きあなた様の母君に会わす顔がございません……!」
「いやよ、最初に言ったでしょう? お見合いはしない、と――。それでも勝手に押し付けてきたのだから、こっちにも勝手にご破算にする権利があるわ」
「……姫様はもう十八です。世間ではもう大人と見なされるお年なのですよ……?」
「だから?」
「お世継ぎを――」
「――絶対にイヤ。大体、そういうのはお姉様たちの仕事でしょう? どうして私もしなくちゃいけないの?」
「それは……」
執事は黙ってしまった。
シャンベルも酷いことをする。執事が、もしものときの為とは口が裂けても言えないのを知っていて聞いているのだ。
「……シャンベル」
「何?」
僕は思わず口を開いてしまった。
「その言い方はないんじゃないか? あの人も君のためを思って言っているんだろう?」
「……でも」
シャンベルが僕を振り返って困惑した顔をする。きっと彼女は僕に窘められるとは思ってもいなかったのだろう。確かに、僕も横から口を挟むつもりはなかった。しかし、彼女の言葉はあまりに酷い。
「姫様……そちらの方は?」
執事がついに僕を見た。いや、最初からちらちらと僕を見ていたのだけれど、シャンベルの格好があまりに強烈で、そちらに引きずられていただけだ。
「ん? マリスのこと?」
「マリス様と言うのですか?」
「ううん、マリスヴェルよ。ほら私、五年前に眼帯をつけた男の子がどうのこうのって騒いでいたじゃない?」
「……そんなこともありましたなあ。それで? まさかそのお方がそのときの?」
「ええそうよ! 彼があのときの少年よ!」
執事は閉口してしまった。シャンベルを見る目が、狂人を見るような哀れみに溢れたものに変わった気がする。背後に控えているメイドたちも一様に口を引き結び、僕らの後から降りてきた兵士たちも同様の顔をした。
「……姫様、ご冗談がお上手で――」
「私、冗談は下手なの」
「…………」
誰も笑えない。僕も笑えない。
誰も笑わない。僕も笑わない。
「一緒に食事をしようと考えているのだけれど、何処かいい場所知らない?」
「姫様! いけません! 一国の姫ともあろう方が何処の馬の骨とも知らぬ輩と食事など……一体、この者は何処の生まれなのです?」
「そんなの関係ないわ。私が食事をする相手は私が決めるの」
「そういう問題ではないのです。姫様も昨今の反皇帝分子の暗躍をご存じでしょう?」
「マリスが反乱分子だとでも?」
「そうは言っておりませんが、しかし、警戒するには十分すぎるかと」
老執事は僕の左目を見ながら言う。確かに、怪しい奴だと言われたら、それを否定するのは難しい要素だとは思う。入領許可をもらうときに、眼帯を付けている人はいなかった。
だからと言って、眼帯を付けていることが反乱分子の要因にされてしまうのは納得いかない。僕は一度反論しようと思ったが、いやここは一度待った方がいいと思い直した。
「むむむ」
「人間、五年もすれば大きく変わるものです。いくらこの青年が姫様の旧友だとしても、もしかすると今は反乱分子の仲間かもしれません」
シャンベルは僕を見た。先程までの強気な顔は何処へ落としたのか、すがるように弱気な顔だった。僕は溜め息を吐いて彼女とバトンタッチした。
「僕は反乱分子ではありません」
「口では何とでも言えます」
「そもそも僕はこの国の人ではないんです」
「ではどちらの?」
「国と言うか……『オドロの森』から来ました」
「このようなときに冗談を言うのは関心しませんぞ。私は姫様の安全を第一にしなくてはなりません。本当ならこのまま憲兵に突き出してもいいところを姫様に免じてこうしているのです。真面目に答えてもらえますか?」
老執事の目が鋭くなる。
「僕は真面目です。本当に『オドロの森』から来たんです」
「どうやらマリスヴェル殿はこの辺りの国の方ではないようですね。『オドロの森』がどのような場所かご存じないところを見るに」
どうして誰も信じてくれないのだろうか。入領のときの門兵もそうだった。『オドロの森』をひどく怖がっているように思える。
「『オドロの森』は凄腕の冒険者たちを以てしても深部に到達できない秘境なのです。そのような場所に冒険者でもない若者が行けましょうか。ましてやそこで暮らしていたなどと……!」
最後に彼は世迷い言を、と付け加えた。そんなことを言われても、実際に僕は『オドロの森』にいたし、師匠と一緒に修行をしていた。
一番簡単なのは、僕の暮らした家をこの老執事に見せることだけれど、師匠の家を出てまだ一日と経っていないのだから、それも出来ない。
「姫様、いけません。この者はまったく信用ができません。反乱分子ではないようですが、素性のまったく知れない者を城に入れることは、いくら姫様であろうとも許可できません」
「そんな……」
シャンベルは悲しそうに俯いた。