入領問答
とりあえず何処に行こうか。
師匠に聞いた話だと、僕と師匠が暮らしていた『オドロの森』は四つの国の国境に接する大森林で、北にガルトリア帝国、東にトレフュス共和国、西に通商連合会、南にボウンシア法国があるとのこと。現在、僕は森を真っ直ぐ北上してきたから、ガルトリア帝国にいるはずだ。
初めての場所というものはいくつになっても落ち着かない。なにせ、僕は師匠以外の人間に出会ったのは十三歳のとき以来なのだ。きちんと受け答えは出来るだろうか? 粗相はしないだろうか?
などと不安を募らせていたけれども、僕の心配事はもう少し後でしてもよさそうだ。何故って、『オドロの森』を抜けたと言えども、森の付近に民家があるわけじゃあない。寧ろ、森は危険な場所なので精々木こりの小屋があればいい方だ。
だから、人と出会うのはもう少し後になる。昼間だとはいえ『オドロの森』に近付くの輩はそうそういないからね。
そう考えると、僕が出会った赤い髪の人間は相当な変わり種ではあるまいか? 十三歳で浅い所とはいえ『オドロの森』に足を踏み入れるとは……むむむ。
兎にも角にも僕が考えるべきなのは、赤い髪の人間のことではなく今後の道筋だ。
「では、早速使ってみますか」
師匠からいただいた剣をすらりと抜き、僕は魔力を流し込む。そして、それを地面に突き立てた。
すると、僕の視界に摩訶不思議な光景が浮かび上がった。
神殿と思しき巨大な建造物と、そこに出入りする、白い礼服を身にまとった人々。それは老若男女問わず往来し、口々に神への祝詞を唱えている。
僕が息をのむとそれらの光景は煙のように掻き消え、代わりに純白の輝きを放つ天衣無縫の羽衣が映し出された。
「これは……一体どういうことだ?」
師匠は僕の進むべき道が示されると言っていたけれど、どうみても示されたのは僕の道筋とは言い難いものだ。なにしろ、僕はあのように荘厳な建物は似合わないがさつな田舎者なわけだし、そこへ赴く理由もない。
僕が首を捻ると、それらの幻影はすうっと消えていった。後には地面に突き立てられた一振りの剣があるだけだった。
僕は剣を鞘に仕舞い、今後の道筋を考え直すことにした。
結論はすぐに出た。
「とりあえず近場の町へ行ってみよう」
そこへ行ってみれば何かが分かる筈だ。それは僕の生活についてかもしれないし、或いは幻影のことかもしれない。なんにせよ、今僕に必要なのは明日の暮らしを保証できる何かである。今しがた見た幻影のことは何処かに腰を落ち着けてからゆっくりと考えることにしよう。
僕は左目の眼帯を手で撫でた。
少し疼いた気がしたのだ。
近場の町は歩いて一時間くらいのところにあった。僕の貧弱な予想よりも随分と立派な町だった。
梯子を掛けてでないと登れないようなくらい高い環状壁が張り巡らされ、それらは更に大きな堀に囲まれている。一見した限りでは出入り口は東西南北に照らし合わせた四ヶ所しかなかった。
もっと観察してみると、それぞれに槍を携えた門兵が二名ずつついており、荷馬車は大門から、徒歩の人はその横の小さな門から入るようだった。そして荷馬車は何かの書状が必要なこと、一般の人は軽い問答で入れることが分かった。
僕は早速行ってみることにした。
小さい門の奥は受付が設けられており、どうやらここで問答をするようだ。
「次の人はこちらへ!」
「は、はい!」
「名前は?」
「え、えーと……」
「名前は?」
「マ、マリスヴェルです!」
「ここ何しに?」
「し、職を探しに来ました」
「その目はどうしたんだ?」
「これは……えーと、む、昔魔獣に襲われて……それで」
「腰に提げてる武器はそれだけか?」
「は、はい」
「他の荷物は?」
「これだけです」
「これだけ? 何処から来たんだ?」
「『オドロの森』からです」
ここで受付はしかめっ面をした。どうやら僕はヘマをやらかしたらしい。努めて一生懸命に答えたつもりだったのだが、何がいけなかったのだろうか?
「言い間違いか?」
「いえ、僕は『オドロの森』から来ました」
「……」
「……何か問題でしょうか?」
問題ならば早く指摘して欲しい。そうすれば僕はすぐにその問題を解決して門兵の期待に添うような受け答えをしよう。
「問題も糞もあるか。『オドロの森』に住んでます、とか冗談でも笑えない。もし、俺をからかっているのなら……」
受付は視線を後ろに立て掛けた槍の先に向ける。どうやら、さもないとつつき回すぞという脅しらしい。しかし、僕は嘘など吐いていないわけで、寧ろそれ以外を答えればそれが嘘となるわけで、これで信じてもらえないのなら僕にはどうにもすることが出来ない。
「まさか! そんなわけないじゃないですか! でも、本当なんです。僕は本当にあの森に住んでいたんです!」
「嘘を吐け! あの森は浅いところでも推定危険度金級の化け物がうようよいるんだぞ!? 最深部には金剛不壊級のドラゴンまでいるって噂もあるんだ。それにここ五年は隻眼のゴーストが出てきて、冒険者たちもお手上げの有り様。そんな場所に住んでいたとか抜かすのなら、もう通さねえからな!」
ん? ごーるどくらす? ああ、冒険者たちが決めているモンスターの等級のことかな? そういえば、冒険者はお金の入りがいいと書物に載っていた。しかし……”ごーるど”とか”あだまんたいと”なんてまた大層なものを……。
確かに、あの森には沢山生き物がいたけれども、そこまで誇張されるほど強い生き物はいた記憶はない。ましてや隻眼のゴーストなど僕は見たことがないし、まあ、ドラゴンについては師匠のペットもドラゴンだったからそれかもしれないが、そこまで危険な生き物はいないと僕が断言できる。
とはいえ、ここで僕が張り合っても得になることは一つとしてないので、ここは僕が折れることにした。
「わかりました、わかりましたよ。 はいはい、嘘です。僕は『オドロの森』の近くの農民の出です。出稼ぎに来ました」
「……やはりお前は俺をからかっているらしいな」
「ええ!?」
「農民が剣を二振りも持っているわけないだろうが!」
「……」
言われてみればそうかもしれない。常識的に考えて農民に武器は不要だ。道中の身の安全を考えて携帯していても一振りでいい。
冒険者になるとでも言っておけばよかったのだろうか?
「入領不可! 帰れ!」
こうして僕は追い返されてしまった。
通行人を観察でもしようかと跳ね橋の中間あたりに腰を下ろすと、門兵が嫌そうな顔をして僕を指差し追い払う仕草をした。どうやらここも駄目らしい。
町の外なのだから放っておいてくれとも思わないでもなかったが、まあ、自分の家の側に知らない人間がたむろしているのは気分のいいことではない。僕は重い腰を上げ、堀を渡りきったすぐの大岩の天辺に寝転がった。
この町、いやこの領地は広大な草原の中にポツンとあるので、視界を遮るものが存在せず、遠くの地平線まで見渡せる。空も落ちてそうなくらい何もない。天球には燦々としたお日様が一つ僕を見下ろし、その眩しさに僕は目を瞑った。
すると、何処に潜んでいたのか睡魔がひょっこり顔を出し、僕の瞼にキスをした。
「…………! ……ねぇ! ねぇってば!」
「……むう」
僕の目が覚めたのは日も暮れ始める頃だった。お日様は赤くなり、地平線の彼方に今にもくっつきそうになっている。寝ぼけ眼を擦りながら体を起こすと、僕の眼下にお日様もかくやと思われる程真っ赤な髪をした人間が立っていた。
やたらふわふわで動き辛そうな格好をしている。胸元が大きく開いているけれど一人で着るには難しそうな格好をしている。艶やかな光沢のある服は真っ黒で、お日様の色にも染まらないような格好をしている。
きっと何かの服なんだろうけれど、僕の語彙では何て言ったらいいのかわからなかった。
それに、頭も色々と飾りつけられていて、顔も普通――僕が跳ね橋で見た人々――と少し違う。何というか透き通っていて、森に生えている一輪の花のような……ううむ、兎に角よくわからないが他の人とは少し違う人間だった。
「やっと起きた!」
「……起こされた」
ふと見れば、下にいるのは赤い髪の人間だけではなかった。その人間の回りにはしかつめらしく武装した兵士が四五人僕の方を警戒している。
それにしても何の用だろうか? 折角人が気持ちよく寝ていたというのに、それを邪魔するとは少し無礼じゃないのか?
「ちょっと、降りてきてってば! これじゃ話が出来ないじゃない!」
「じゃあ、君が登って来たらいいんじゃないか?」
「貴様! 姫様に無礼であるぞ!」
周りの兵士が次々に叫んだ。
「わかったわ」
「姫様!? いけません姫様! そのようなお格好で、しかも見るからに怪しい者に近付いては!」
「いいの! 私が自分で決めたんだから、あんたたちが口を挟まないでくれる?」
「ですが、もしものことがあれば……我々はどう申し開きをすれば……」
「そんなの自分で考えなさい。と、言いたいのだけれどそれは流石に酷だから、自殺したと伝えておいて」
「そんな!」
彼らは一体何をしているのだろうか。これが芝居と呼ばれるものなのだろうか。しかし、そうなると僕を巻き込んでのものになるわけで、僕はそんなの嫌だからさっさと退散したいのだが、姫様と呼ばれた人間は既に大岩に半分ほどよじ登っていた。
むむむ……ここで飛び降りたら性格悪いよね。仕方がない、登ってくるまで待とう。
それに、開き直ってみると、兵士たちが姫様の一挙手一投足に百面相みたいな顔をしていて面白い。ミョウチキリンな叫び声もする。
それならば彼ら自身登って姫様とやらを止めればいいじゃないかと思うのだが、兵士たちの格好はどうみても岩登りには適していない。きっと足も上がらないだろう。
遂に姫様は登りきった。こんなものは御茶の子さいさいと言わんばかりの眩しい笑顔だ。
「おめでとう」
「別に、こんなの御茶の子さいさいだわ」
「……」
本当に言った。