プロローグ その一
もしグロデスクな表現が苦手な方がいらしたら、プロローグはすっ飛ばしてくれて結構です。本編からでも読めるようにはなっておりますので、どうぞ気兼ねなくお読みください。
それと、この作品はひとまず五話を区切りに更新します。反響の良し悪しで続きを書くかどうか決めますので、もし続きが気になった方がいらしたら、ブクマ、感想等をお願いします。
秋も終わりの末つ方、ガルトリア帝国とサン・バ・アルト王国の国境に横たわる『微睡み峠』はうっすらと雪に覆われていた。例年よりも少しだけ遅い積雪だった。
この日ものっぺりと広がる雪雲が太陽を覆い隠し、昼であるにも関わらず夕刻のような錯覚を覚えさせ、蛇のように這う登頂用の峠道を一層不気味なものにしている。
ガルトリア側の峠道を三台の馬車が一列になって登っていた。先頭と最後尾には帝国の紋章の刻印された立派な黒馬車が付き、間には大変みすぼらしい、幌すら張っていない中身のむき出しの馬車がある。
その馬車に乗せられた男女四人の囚人たちは破れかぶれの貫頭衣と下着だけのひもじい格好で小雪に晒されていた。一人は黒髪の少年、一人は、金髪の大男、一人は、腹の膨らんだ青髪の女性、一人は同じく腹の膨らんだ赤髪の少女だった。
この囚人たちに気を配る者は誰もいない。帝国の紋章をつけた馬車にのる憲兵たちは彼らに目を向けることなく馬を進めていく。
やがて馬車は『微睡みの砦跡地』に到着した。崩れた門に焦げ跡や大穴のある城壁、中央の石造りの塔は半ば倒壊し、かつて繰り広げられた干戈の息吹が未だ香っている。
ここは処刑場だった。
中央広場に置かれた断頭台の下は、赤黒くなった血溜まりがどんよりと広がり、ここで処刑された囚人の怨念が染み付いているのか、一切の植物が生えていない。
馬車は中央広場で停まった。先頭と最後尾からそれぞれ四人ずつ武器を携帯した憲兵が降り、中央の囚人を乗せた馬車を囲む。その馬車の馭者が囚人たちを追い落とした。
「お前たち! 早く立つんだ!」
憲兵の鋭い命令に従おうにも、手足の枷と寒さによる筋肉の収縮で思うように動けない囚人たちを、憲兵は無理矢理立たせると、断頭台の方へ突き飛ばした。言うまでもなく囚人たちは雪の染み込んだ泥へ顔を突っ込むことになる。
憲兵が腹の膨れた赤髪の女囚を突き飛ばしたときだった。
少女も他の囚人よろしく前につんのめって倒れると思いきや、彼女の倒れた先には運悪く崩れた塔の大きな欠片があった。少女は両手で庇うことすら出来ず、強かに打ち付けて腹を潰した。
「ギャッ……!」
砦跡地に響き渡るほどの断末魔と共に、裂けた股から下着を突き抜けて大量の血が噴き出した。そして、何か大きい物体が下着に落ちた。少女は死んだ。
全身を泥だらけにした囚人たちは、ゆっくりとしかし着実に断頭台へ歩き出した。少女を偲ぶことは許されなかった。憲兵は少女の死体を担ぐと予め掘ってあった墓穴に放り込んだ。
誰も振り返らなかった。
誰も振り返れなかった。
涙はとうに枯れ果て、出てくるのは嗄れた嗚咽のみ。落ち窪んだ眼孔、こけた頬、骨皮ばった囚人たちに出来ることは何もなかった。
いよいよ、三人になった囚人たちは断頭台に登らされた。
「おい! 大男、一番最初はお前だ!」
しかし、大男はそうではなかった。
荒れた大地にしがみつく枯木のように、彼は動かなかった。
飢えた獣のように、彼は荒く浅い息遣いをしていた。
熱せられた鉄から鋭い剣が出来るように、彼は暴れ狂う激情を金剛に勝るとも劣らない、冷えきった拳に込めた。
「おいっ! 聞いているのか!」
「うおおぉぉ!」
大男は近づいてきた憲兵に殴りかかった。倒れ込んだ憲兵に馬乗りになり、手枷の重さと元来の腕力に言わせて、両腕をハンマーのように何度も何度も振り下ろした。
「何をしているっ! 離れろ! 囚人、離れるんだ!」
しかし、大男の拳は止まらない。止まる筈もなかった。憲兵が三人がかりで止めようとしても、それを振り払い憲兵を殴り続けた。
「ええい、仕方ない! この男を殺せ! 殺せぇぃ!」
憲兵たちが抜刀し、次々に突進していく。
大男は体中を貫かれて死んだ。彼の頬に一筋の涙が伝い落ちた。激情の拳から熱が消えていき、ただの拳となった。
憲兵たちは大男の死体に罵りや暴力を加えて、少女の隣の墓穴に投げ捨てた。そして、囚人二人の前に来ると、お前たちもああなるぞ、と警告した。
「次だ! 女! こっちへ来い!」
今度は二人の憲兵が両脇について、慎重に断頭台まで青髪の女囚を連れて来た。断頭台に立っていた憲兵を束ねている隊長格の男が鼻を鳴らした。
「ほう、今度は大人しいな」
「……」
「女。お前の腹にいる子は誰の子だ?」
女囚はハッとして憲兵長の顔を見た。その顔は憤怒と怨嗟の入り交じった何とも言えない悲しい顔をしていた。段々と、それまで泥にまみれても隠せなかった美貌が、絶望に歪んでいく。
「少年! お前はこの女に惚れていたらしいな! ええ?」
憲兵長が少年の元に来ると項垂れている少年の髪の毛を掴んで持ち上げて怒鳴った。少年はせめてもの抵抗として憲兵長を睨み返すが、応酬として頬を思いきり殴られた。
憲兵長は再び女囚の元に戻り、女囚の貫頭衣を捲って腹を出させると、
「この腹の中の子は誰の子だ、と聞いている」
と、女囚の腹を小突きながら舐め回すようにいやらしく言った。
「……わかりません」
「あっはっはぁ! そりゃそうだぁ! この際だから教えてやろう。皆お前のことを何と呼んでいた知っているかぁ?」
「……い、いえ、知りません」
「おい! 耳を貸すな!」
遂に少年が声を上げた。
「五月蝿いぞ小僧ぉ! 俺はこの女と喋っているんだ! お前が口を挟んでいい道理はないぃ!」
憲兵長は少年をもう一度殴り飛ばす。拳を顎に喰らった少年は気絶した。
「それで? 何て言っていたと思う? 何でもいい、っほら、聞かせてみろ」
「……わかりません!」
女囚は震える声で必死に首を振る。
「いいから言えと言っているんだこの『郵便ポスト』がぁ! あっ……つい口走ってしまった……すまない。本当はもう少し焦らしたかったんだが、つい気持ちが逸ってしまった」
「……ゆ、『郵便ポスト』……?」
「ああ、そうだ。届けたいものがあると皆『郵便』出してくると言って、お前を尋問しに行っていたからな……くくく……あっはっはぁ!」
「そ、そんな……」
「コンコンッ、お届け物でぇえす! なんつってな!」
女囚は腰を抜かした。尻餅をつく寸前、憲兵長がその体を支える。ゆっくりと処刑台の床板に下ろすと、膨らんだ腹を撫で回し、とんとんと指先で叩いた。
「おいおい、危ないじゃあないか。お前さんは妊婦なんだろう? 衝撃に気を付けないとお腹の『お届け物』に悪いぞ?」
へし折られた誇り。泥をかけられ飲まされ塗りたくられた肢体。青髪の女囚は必死に歯を食い縛り、弱味を握られまいと無意味な抵抗を続けている。
しかし、このような状況においては、彼女のなけなしの矜持など大して役に立たない。これから処刑されるという大きすぎる重石が彼女にのし掛かり、容赦なくその矜持を押し潰す。
「お、お願いします……! お腹の子だけは……子だけは……」
「誰の子とも知らぬのに庇い立てするのか……男の俺にはわからぬが……それが女というものなのか? 子を孕めばそれが誰の子であろうと守ると……? ふうむ、甚だ理解に苦しむがそれが母というものなのだろう……。だがなぁ……お前の処刑はもう決まったことなんだ。今更変えるというわけにもいくまい」
憲兵長は女囚の耳に顔を寄せ、どうする? と囁いた。
女囚の唇が血が出るほど噛み締められる。それまで押し潰されていた彼女の矜持が再び息を吹き返し、小さな灯火を彼女の胸中に灯した。
「……わかりました。私の処刑が覆らないのならば、ここで我が子を産み落とすまで……それでいいでしょうか?」
泥かむりの奥に見える揺るぎない決意は、この雪でさえ折ることは出来ない。ましてや憲兵長以下十数名の憲兵たちを圧倒するのは訳なかった。それを誤魔化すための嘲笑も、女囚にとってしてみれば敗北宣言と同義であり、寧ろ一段と決意を固めさせた。
「では――」
「おい! ほ、本当に産む気かっ!?」
「ええ、産みます。でなければこの子は私と共に死んでしまいますから……」
「この寒さではどのみち死ぬぞ!」
「子に罪はありません。憲兵の仕事は無垢な民衆を守ることでは?」
「我々に託すつもりなのか!?」
憲兵長の顔は見る間に青くなっていく。彼は女囚の強さを見くびっていた。ただの女だと蔑んでいた。しかし、それは違う。彼女は一人の母であり、最強の守護者であった。