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第六話:雲笈七籤


 それは卒業式当日の出来事だった。


 俺、柊狩羅は人生におけるある種の特別なイベントを前に最高に焦っていた。それも初歩的な理由。卒業式という大事な日に限ってどうして"寝坊"などという愚かな過ちを犯してしまったのか。


 それも全て、月宮永嗣という唯一無二の親友の存在が原因。


「おい、永嗣……俺はおまえのことを絶対に許さない」


 そう怨念じみた形相でひたらすらLEINにメッセージを送っていた。おそらく、今アイツのスマートフォンはピコンピコンという通知で埋め尽くされているであろう。


 そしてまた、俺の方にもピコンっという通知が届く。簡潔にそのメッセージの内容を話すと「お前もオレと同類だからな」ということだった。


「ふざけるな。おまえみたいな奴と一緒にされる覚えはないし、とてつもなく心外だ」


 ぶつぶつと恨み言のように繰り返しメッセージを送る。全ての元凶はおまえだと。


『何でだよ! アレは完全にお前のせいでもあるからな!?』


 おっと、無意識に今言った言葉をLEINに打ち込んでいたらしい。怒りと驚きが混ざったようなメッセージが軽快な通知音と共に受信された。


『いったい誰のせいで遅刻していると思っている……』


 それもちろん永嗣、おまえだ。


『いや確かにそうだったとしても、あの状況で相手の挑発に乗ったお前も悪い!』


『それも全ておまえが先に煽ったからだろう? なぜ俺に責任転嫁させようとしているんだ』


『責任転嫁も何も、お前があのとき謝っておけばよかったんだよ……』


 謝る? なぜこの俺がそんなことをしなければいけないんだ?


『撃ち合いをしている途中に人の前を通るからだ。あれでヘッドショットをしてしまってもしょうがないだろう? ……これだからキル厨は嫌いだ』


『お前それ、完全にブーメランだからな』


 などと、こんなどうでもいいやりとりをしている場合ではない。パッと視界の右端に写った時刻に気付くと。よく見ると時計の針は七時四十分は指しており、このままでは遅刻になってしまいそうな時間だった。


『こんなところで言い合っていても仕方がない、ゆえに――己が拳で白黒つけようじゃないか。永嗣、おまえは格ゲーも得意だっただろう?』


 口喧嘩ほど無意味なものはない。

 男と男の喧嘩は拳で決着をつけなければ。


『そうだな、確かに文字だけじゃあ伝わらないことはたくさんある。……いいぜ、乗った。お前が言ってる"格ゲー"はもちろん――』




 リアルファイトのことだよな――?




 と、その返信を見て、俺はニヤリと口角が上がるのを抑えられなかった。ゲームの喧嘩の勝利者とはつまり、己が強いという気概だけでこの状況が成り立っているといっても過言ではない。


 それゆえ両者の間で合意は成された。いざ尋常に、中学生活最後の喧嘩で締め括ろう。俺たちの始まりは、絶対に終わりを迎えなくてはならないのだから。


『じゃあな、親友。また学校で会おう――』











 ゆらゆらと舞い落ちるのは、綺麗なピンク色をした桜の花びら。

 

 中学校の通学路を歩くのは今日で最期。いつもと違う情景に心が安らいでいるのが良く分かる。


 この道を歩けなくなるのは何だか寂しい気持ちだが、それもまた自分が成長していく過程だと思えば不思議と歩く速度は上がっていく。


 すれ違う人々、信号機の前で笑顔を振りまく地域の方々。それら全ての人達と縁を切る準備は出来ていた。それが高校生、そして大人になるということ。


 柊狩羅という人間は守られる存在ではなく、人を守る存在になりたいと切に思っている。


 それゆえに、人を守れるだけの力が必要。みなまで言わずとも俺はかなりの武闘派だ。別に武勇伝を自慢する気もないが、役員を引退するまで"裏生徒会"の特攻隊長を任されていたときだってある。


 俺と永嗣は二人で一人、いわば一心同体と言っても過言ではないだろう。そしてそれは同時に相手も同じことを思っているということでもあった。


 永嗣と出会ったのは中学一年の春。


 まだ若々しい、好奇心の塊だったような時期だ。


 そのときの俺は何かと喧嘩っ早い性格で、他人をひたすら煽っていたという記憶が残っている。今思うとただひたすら恥ずかしい思い出で消し去りたい黒歴史の一つでもあったりするのだが。


「………」


 気が付くと俺は決戦の場である、屋上の階段へと足を踏み入れていた。こつこつと上履きの擦れる音が無人の廊下に響き渡る。


 ガチャンと小気味の良い音を立て、屋上の重く古びた扉はゆっくりと開いていった。


「おう、遅いぞ狩羅~。やる気を見せろやる気を〜!」


 屋上の扉を開けると、一人の男子生徒がフェンスに寄りかかっている。その男は言うまでもなく、――月宮永嗣というごく普通の人間。


 気怠い声を纏いながら、空気を揺らす。そして永嗣は俺の前まで一歩ずつゆっくりと近づいてきた。


「そういうおまえからは全くやる気が感じられないけどな。……それで? これからどうするんだ?」


 わざとらしく俺は永嗣に言葉を投げかけた。互いに心は落ち着き合ったまま。


 傍から見れば、仲の良い中学生同士が校舎の屋上で黄昏ているようにしか見えないだろう。だがそれもあながち間違ってはいない。現に俺たちは今校舎の屋上で黄昏ているのだから。


「どうするも何も決まってんだろ――?」


 まあ、確かにそうだな。俺たちはいったい何の為に教師たちの目を掻い潜ってまでも、ここまで来たと思っている。ただ黄昏るために来たんじゃないだろう……?


「ああ、俺たちがやるべきことはたった一つ」



 それは――

 


「この戦いに……」



 最初で最後の終末戦争。



「終止符を刻むことだよな――ッ!」




 そして俺たちは互いに呼吸を合わせた。


 両者とも全力で、喉が破裂しそうな声で叫ぶ。


 それは見飽きたいつもの笑み。


 軽い調子で気負いない、コイツらしい不敵な表情。


 今この瞬間だけはまるで、隔離された別次元の空間に飛ばされてしまったかのような錯覚。


 コイツの戦いは読めない。


 戦いのときのコイツは何を考えているのか全く分からない。


 だから、もはや何を言っても無駄だった。


 何を言っているのか分からなかった。


 それでもただ一つ、コイツの言う"やる気”とやらを、この刹那にだけは見せつけてやろうと――


「死ぬなよ……? お前とはまだ友達でいたいからな――」


 その気概だけで、己の心は奮い上がるのだから。


 普通、中学生同士の殴り合いには必ずしも限度ってものがある。


 成長段階の生身の手足でやり合う以上、その強度といったら可愛らしいものだ。


 その気になれば一瞬で破壊することなど容易であろう。


 刃は折れて無くなり、矢は一本残らず打ち尽くされる。もう武器が無い、それじゃあ止めようか。なんて、そんな簡単に決着がついてしまうほど俺たちの魂は死んではいない。


 勝負はつかない?


 ここは痛み分けでどうだ?


 なんて、ごく普通のありきたりな展開にだけは絶対にならないのだと分かりきっていた。


 これは中学生同士の軽い喧嘩などではない。




 言うなれば、――これは本気の殺し合い。




 殴られた眼球。

 その瞬間、視界の全ては真っ赤に染まる。


 桜吹雪の舞い散る屋上に少年たちの鮮血が飛び散った。


「はははッ! いいぞ、もっとだ! 本気で殴ってこいよ、狩羅ァ――!」


 両の拳はとうに砕け、爪や指。それらの部位全てがあらぬ方向を向いている。


 顔は真っ赤に腫れ上がり、口から吐き出されたのは赤黒く変色した奥歯だった。


 それでも殴って、殴って、殴って、殴って――


 倒し倒され、破れた鼓膜は音を拾わず、ただひたすらに脳を揺らしている。不快なノイズみたいなものがときどき流れ込んできて、思考もろくに回らない状態。


 脱臼した肩に、砕けた肋骨――


 それ以外に点々と、致命的な大怪我が俺たちの身体には無数に散りばめられていた。


 血を噴いて、血を吐いて――


 隣には一人で爆笑している永嗣の腫れぼったい顔が脳裏に焼き付いた。


 思い返してみれば、俺たちはいったい何て馬鹿げたことで殴り合いをしていたのだろう。


 今更、「どうしてこうなった?」などと格好の悪いことは言わない。


 こういう未来を選択したのは自分たちなんだし、この選択に後悔している訳でもない。




 むしろ、この選択こそが――




「良かったって言えるのか……?」


 即答されて俺は言葉に詰まる。


「分かんねーな……事実、このオレは物語ドラマの主人公なんて大層な立ち位置なんかじゃねぇし」


 おまえはいったい何を意味の分からんことを、


「深い意味なんて無い。これはそのままの意味なんだよ。そしてオレには不思議と分かってしまう、その既知感って奴がいったい何なのか――」


 続く台詞は吹き荒れた風に飛ばされ、聞き取ることが出来なかった。


 ただ、この勝負は互いの身体がいうことを聞かなくなるまで続行していたという記憶は残っている。


 勝ち負けなどこの際どうでもよかった。単純に暴れる口実が欲しかっただけ。それゆえ、決して綺麗な終わり方だったとは言えないだろう。


 これは単に意思の力でとかそういうレベルを超えた傷を負ってしまったせいで、プツンと糸が切れた操り人形のように動けなくなっただけ。


 卒業式当日に、俺たち二人はボロボロのズタズタ。まるで長年使い古した雑巾みたいな有り様。


 このまま放置でもされてたら、両方死んでしまうのではないかと思ってしまうほどの最低な結末だった。




 それでも――




「……楽しいな。……というか、オレたち前もこんなことしなかったか?」


 この気持ちは変わらない。


 そして、訪れた既知感さえも拭えない。


 その瞬間、俺たち二人は血に染まったコンクリートの上で笑い転げていた。


 まるでこれが、最初で最後の命を懸けた遊びとでも言うかのように……


「次やるときは、もっとド派手に逝きたいもんだ」


 ふざけるなよ。俺はもう、こういうことは止めるんだ。ごく普通の高校生として新たな人生を歩んで行く。


 来ると言うなら、落ちたおまえが上がって来い。それが俺たち二人がやらかしてきた罪を返済する――最後の善行なのだからな。


「―――」


 そうして、俺と永嗣はスッキリした笑みを浮かべた。


 最後には二人とも仲良く息を引き取るようにして、意識を環へと飛ばすのだった。

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