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第五話:還虚合道


 この世界が夢の中だと気付くのに一秒もかからなかった。気が付くと俺は現実の世界では居眠りをしているらしい。


 どうしてここが夢の中だと断言できるのかって? 


 そんなのとても簡単なことだろう。

 

 目の前に広がるこの光景が、いつも通りの日常的な場面だったから。


 教壇には少しばかりやせ気味の数学教師が黒板にひたすら白のチョークを走らせ、周りを見渡すと一生懸命ノートに文字を書き写すクラスメートたちの姿。


 そう。これはいつも通りの日常。

 不変的なことなど絶対に起こりえない現実の世界。


 それが俺たちが生きるべき世界。平凡な、ごく普通の中学生たちの生活。


 味気ない世界で生きていたって仕方がない?

 面白くもないこの場所で平凡に生きて行く方が間違っている?


 ああ、そうだろうな。おまえがそう思うのならそうなのだろうよ。――それもまた、世界が許した己の渇望なのだから。


 目に沁みるほどの鮮やかな色彩のなかを、時計のゼンマイに似た螺旋状の階段を一歩一歩降りていくような感覚。そして、その階段を降りていくたびに聞こえてくるのは、柔らかく澄んだ音叉の音色。


「―――」


 だがしかし、この階段はあまりにも酷く脆かった。ここはまるで薄氷の上を歩いているみたいに危なっかしいところ。綱渡りでもしているかのような危うい心地。


 彷徨う魂は虚空を揺蕩い。


 辿り着いたその先には、砕け落ちる悪夢の始まりに過ぎなかった――











 目を覚ますと、まず最初に飛び込んできたのは下着姿の少女の後ろ姿だった。身に着けているのはたった一つ、ピンク色のパンツのみ。今この状況は恐らく、ブラジャーに手をかけるところだったのだろうと推測する。


「ああ、やっと起きたか柊。お前のせいで部室のカギが絞められなかっただろう? 罰として、お前は私と一緒に下校しろ」


「……は?」


 いやちょっと待て。

 これはいったいどういうことだ?


 どうして俺は()()()()なんかで寝ているんだよ。自分の記憶が正しければ、さっきまで教室にいたはずだろう。


「おいおい、まだ寝ぼけているのか? 生徒の八割はもうとっくに下校しているぞ。お前の親友も今日は"やることがある"とか言って帰っていったな」


「あの馬鹿……」


 結局、永嗣から詳しい事を聞くことはできなかった。


 というか、俺は一体何時間眠っていたんだ?


「なあ、静乃。今は何時だ?」


 彼女の名前は鏡水静乃。


 我らが三年の顔と言っても過言ではない存在。成績優秀、容姿端麗、無病息災。そして運動神経抜群と、完璧に形成された人類の鏡のような存在。そして静乃はこの学校の元生徒会長でもあり、裏生徒会の副首領でもある。


「んー? 四時半過ぎだな……? それがどうかしたのか?」


 俺の記憶が途切れた時間は朝の九時過ぎだった。あれから俺は――七時間も寝ていたと言うのか?


「あぁ、おい……嘘だろ」


 いったいどうなっている、自分自身の記憶が信じられない。


「はは、やばい。頭が悪くなりそうだ……」


「何を今更、そんなの前からだろう」


 五月蝿い。今はそんな冗談に付き合っていられるほどの余裕はない。


 ――って、ああもう。取り敢えず一旦落ち着こうか、冷静に事態を分析するんだ。


 怒りと焦りの混ざった感情を何とかグッと押し殺す。不安で千切れそうになっていた心に僅かな癒やしを与えたい。それが今、この瞬間の刹那的な渇望だ。


「そう言えば、柚希はどうしたんだ?」


 ふと気になったのは、年中脳みそお花畑の幼馴染の存在。


「さあ? 私は見ていないな。柚希のやつも四時間目が終わったと同時に帰ったんじゃないか? 卒業式を控えた三年生は特別に四時間で帰れるからな。恐らく、そういうことなんだろうよ」


 それは今朝通学路で柚希から聞いた話。自信満々のドヤ顔を浮かべて俺にスマホを見せつけてきたな。


「……どうしたんだ? 今日のお前は何かおかしいぞ?」


「気にするな、ちょいとばかり理解が追い付いてないだけだから」


「んぅ……? まあいいや。それよりも柊、そろそろ下校しないとマズいな」


「なんだ? 何かあるのか?」


「……お前は本っ当に話を聞かない奴だな。もうすぐ、我らが三年生の卒業式だろう?」


 ああ、確かにそうだった。

 思えばあと一日か……、長いようで短い時間だな。


「その為の準備だとか言って教師は生徒達を早々に帰らせてるんだよ」


 思い返せば、色々なことがいっぱい出てくる。この学校に来て、確かに辛かったこともあった。逃げ出したいような時もあった。だが、それでも辛いことや大変なこと以上に楽しいこともたくさんあったと自覚できる大切な時間を過ごせていたという優越感にも浸れる。 


「―――?」


 いや待て、なんだこれは。会話をしているようで、まったく話が噛み合ってないような感じ。呑気に思い出に耽っている場合ではない。


 話を戻し、俺は再び現実を見据えようと静乃に目を向ける。


 だがその途中、俺はある違和感に襲われた。


 なんだか、とてつもなく嫌な予感がする。まるで世界がひっくり返ってしまったような、正しいと思っていたこととか、信じていたこととか、そういうものが全て覆ってしまったような。気味の悪い感覚が俺の全身を駆け巡った。




「なあ、静乃。つまらないことを聞くかもしれんが――今日は一体何曜日なんだ?」




 俺にとって、このしょうもない情報こそが重要。前提からして今の俺はこの状況に飲み込めていない。まるで世界の理に俺一人だけ取り残されてしまった感覚に襲われる。


 このままだと駄目だ。マズいぞ、俺の心が負の感情に飲まれてしまう。……大丈夫だ気をしっかり保て。おまえなら問題ない。


 必死に自分自身を鼓舞をして平穏な心を取り戻す。どくんどくんと波打つ心臓の鼓動は高まり、気持ちの悪い興奮が表面上に出てきてしまいそう――




「今日は()()()。――卒業式前日だ」




 紡がれた言葉を前に、俺は自分の耳を疑ってしまった。



「木、曜日……?」



 何故だ。どう考えても可笑しい。


 理解の出来ない違和感が全身を駆け巡る。ぞわぞわと嫌な予感が具現化されてしまったかのような既知感。


 嫌だ、絶対に嫌だと俺は何度も叫んだことがあったような気がする。だがそれがいつの日だったのかは思い出せない――


 それでも何かが始まる予兆は不思議と感じられた。どう頑張っても逃れられない世界の理。決した運命のレールから外れることなど、一介の人間が成し遂げられることなどではないと。


 それはこの後に訪れる"ある出来事"が、総てを物語っていた。

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