第二話:煉精化気
ある日あんな時、こんな覚えはないだろうか?
目を覚ました直後やぼーっとしている時。
何かをしながら別のことについて考えていた時。
ふと気がつくと妙な事をしていた――そういう経験はないだろうか?
トイレに行こうとして立ったはずが、いつの間にかキッチンでケトル片手にガスコンロの前にいたり、ポストの新聞をとりに行くはずが洗面所で歯磨き粉のチューブをしぼっていたり。
観葉植物に水をやろうとしたはずが手にしたのはスマートフォンだったり、本来するべき行動に、意図していないまったく別の行動が挿入されて「あれ?」と首をひねる。
そういうことはないだろうか。まるで、今しようとしてたことを、唐突に覚えていられなくなったかのような不思議な感覚。
まるで、自分が自分でない『誰か』に乗り移られていたかのような。まるで、大事な『なにか』を忘れてしまったかのような……
「――っ!?」
――何かがおかしい。
そう気付き始めたのは、
真っ白な雪が降り積もる月曜日の朝のことだった。
――月曜日。
それは人間社会を生きる者ならば、誰しもが最も憂鬱になるであろう始まりの日。きっと大勢の大人子供が溜息を吐き、会社や学校へ行く準備をし始めるだろう。
そして、それは俺――"柊狩羅"も例外ではなかった。中学校生活で最後に締め括る季節は春。
卒業式を前にして訪れるのは冬の寒さ。小窓から流れ込んできた冷たい風が優しく頬を撫で回す。
「寒っ……!」
昨日の夕方、明日は晴れるでしょう。などとお天気キャスターがほざいていたはずなのに、いったいこれどういうことだ?
今朝の情報を確認すべく、ベッドに転がる黒のスマートフォンを手に取った。
「――異常……気象?」
まあ実際、その情報を目にした時までは特に異変は感じられなかった。いや、それがいつも通りの日常だと思っていたから――
「ん? ……なんだ、これ?」
それ以前に、俺は現在Twister上で話題になっているものにひどく惹かれていた。
画像や動画。
それらに映る奇妙な存在。アレは、なんて言えばいいのだろうか……
「――ラピ○ュタ?」
思い浮かべるのは――天空の城。
何故だろうか、その瞬間ひどく嫌な予感がしたんだ。まるでこれは、心臓が喉元までせり上がってくるかのような緊張感。
何かが間違っている気がする。
そして何かが始まろうとしている予感でもある。
もしかしたら、これはただの悪戯かもしれない。何も起こらないかもしれない。
だがそれでも……
今この瞬間だけは――不安で落ち着かない気分に掻き立てられた。
この選択肢を間違えてしまうと、先の見えない真っ暗な穴の中へと落っこちてしまうような。まるで人生の分岐点に立たされているかのような不思議な錯覚に貶められている感じ。
それは永遠のように長い一瞬。
一秒が十分のように長く感じられ、十分が一秒のように短い。
「――っ!?」
部屋のカーテンを開け、俺は言葉を失いかけた。
嘘だと思いたかった。
あれは、空想上の産物だと思っていたから。
だってそこには、本当に――
「……冗談だろ?」
天空の城が存在したのだから――
「はは……、笑えねぇよ』
でもなんだろう、この呆気にとられたような感覚は……、正直言うと物足りない感が否めない。
もう既に、自分の感覚が麻痺していることすら気付いていなかった。
それがもう当たり前なのだというように……
「っと、ヤバいな学校だ。……行くか」
だがこれで良かったのかもしれない。
心の尖ったところが春の陽に撫でられた氷のようにやさしく溶けて、穏やかに、平らやかになっていく感じ。
俺は気分を切り替えて、この後に待ち受けている学校という名の呪縛に囚われに行くのだった。