第八話
ネネは勢いよく今日から自分の家となる古い木造の住居から飛び出すと、足を止めてほっと息を吐いた。
「うう、恥ずかしかったです」
先程の発言を振り返り、また顔が熱を持ち始める。
日が落ちて、少し冷たくなった風がいい具合にそれを冷ましてくれて心地いい。
ネネは奴隷だが、羞恥心がない訳ではない。まだまだ年若い乙女なのだ。男性経験もないため、先程ゼファーに背中を流すと申し出るのは結構な勇気が必要だった。勿論、ゼファーに奉仕しようと思っているのだが、即却下されて少し安心している自分もいた。
「あ、こんな所でぼーっとしている場合ではないのでした」
考え事は後ですればいい。今は食材を調達してゼファーに食べてもらう事が何よりも先決だ。幸い、ネネは料理が得意なので、もし材料が限られていてもそれなりの物は作れる。
何としてでもゼファーにネネが使える人間だと思って貰わなくてはならない。
そうしないと……
「また、見捨てられてしまいます」
ネネはそう呟くと、小走りで家を後にした。
ネネが昼間は様々な店が並ぶ、この村で一番大きい通りに着いた時、ゼファーが行っていたように皆店を閉める準備を始めていた。しかし、完全に閉めた訳ではなさそうなのでどうにか間に合ったようだ。
ネネは八百屋だと思われる店に近付くと、店主に声を掛けた。
「すみません、まだ大丈夫ですか?」
「うん?お嬢ちゃん、随分別嬪さんだが知らねえ顔だな。どこの者だい?」
店主である中年の男性はこちらに振り返ると、首を傾げてそう言った。
「私は中央からいらっしゃった騎士、ゼファー様の奴隷である、ネネと申します。以後、よろしくお願いします」
頭を下げるネネに店主は声を荒げた。
「中央から来た騎士だって!やっぱり噂は本当だったんだな。お嬢ちゃんもそんな奴にこき使われる羽目になるなんて可哀想にな」
「別にこき使われてる訳では……」
そう言ってネネはまだ出会って間もない、どこか浮き世離れした雰囲気を持った少年について考えた。
確かに、いきなり飛び込んできて押し倒されもしたが、今考えると少し過剰な反応と思えなくもないがネネにも非はあるので仕方ない反応だったとも言える。
普通、奴隷というものを見た時大抵の人は哀れむような視線を向けてくる。加えてそれがネネのような女性だと男の人に下卑た笑顔で全身を舐め回すように見られる事もあった。
しかし、ゼファーにそんな所はなかった。押し倒されたときは正直色々なことを覚悟したが、何もされなかった。そもそも、そんな下心を持った人間がネネの申し出を断る筈がない。
ゼファーは少し怖いが誠実な人間だ。
というのがネネの今の所の評価である。
しかし、店主はそれを否定する。
「それはまだお嬢ちゃんを手懐けてないからだよ。悪いことは言わん今の内に逃げた方がいいぞ」
「あの、あなたは今まで旦那様、ゼファー様に会ったことがあるんですか?」
ネネの問いに店主は首を振った。
「いや、会ったことはない」
「じゃあどうして……」
「どうしてもこうしてもない!お嬢ちゃんはそいつの使いで何か買いに来たんだろうが、生憎もう店仕舞いだ」
そう言って背中を向ける店主にネネは慌てて声を掛けた。
「待って下さい!ここで買えないと今日の夕食が無くなってしまうんです!」
「そんな事知らん!誰が中央の騎士なんぞにサービスしてやるか!買いたいなら営業時間内に来な!」
店主の怒気にネネがビクッと体を強ばらせている間に、店主は奥に引っ込んでしまった。
その後、周りにある店全てに駆け回ったが八百屋と同じで取り付く島もなかった。
「どうしましょう。このままじゃ……」
見捨てられてしまう。
ネネは思い足を引きずって、とぼとぼと帰り道を歩いた。