第六話
家に突入して数分経ったが、ゼファーは未だに部屋にいた少女、ネネの拘束を解かないでいた。
一見この優しそうな少女に敵意はないように見えるが、そんな風に見せかけて忍ばせていた刃物で相手を殺す可能性だってある。
ゼファーが今まで生きてきたのはそんな世界だった。
背中に嫌な汗が流れる。
先程からネネはぴくりとも動かず、全く抵抗する素振りを見せないが、ゼファーからすれば激しく暴れてくれた方がよかった。
魔物との戦いに、基本的に男性より身体能力の劣る女性は出ない。そんな戦場に生きてきたゼファーは女性と接したことが殆どない。
だから、ネネの上に覆い被さっている今の状況は余り好ましくなかった。ネネの吐息や果実のような甘い香りがいちいち気になって仕方ないのだ。気を抜いているつもりはないが、こればっかりはどうしようもなかった。
ゼファーは人間との戦いは苦手なのだ。
心中でどぎまぎしながらもネネへの警戒を弱めないゼファーに、ネネがはしばみ色の瞳を右に左に揺らしながら、恐る恐る口を開いた。
「あ、あの」
「なんだ、抵抗するなら直ぐにお前の首を切り裂くぞ」
「ひっ」
脅すように低い声で言うと、ネネは一瞬怯んだが涙を溜めた目を向けてきた。
「あっあの、私は何か粗相をしてしまったのでしょうか?」
「粗相?」
意味が分からずゼファーが聞き返すと、ネネは不思議そうに首を傾げた。それは男に押し倒されている状況には余りにも不釣り合いな仕草だった。
「え~と、あなた様は中央からいらした騎士様……ですよね?」
「そうだが、どうしてお前がそんな事知っているんだ?」
「先程、村長のトキ様と一緒に家の外にいらっしゃるのを見たんです」
それならば、ネネがゼファーの事を知っているのも頷ける。
しかし……
「見たってどこから?」
問うと、ネネはちらりと家の壁に目を向けた。
「あそこに穴が開いていて、そこからです」
見るとネネの言うとおり小さな穴があった。あそこからならちょうどゼファー達が立っていた場所が見えるかもしれない。
だが、まだ疑問は残っている。
「そうか、じゃあどうして此処にいたんだ?」
ゼファーの問いにネネは消え入るような声で答えた。
「私があなた様の……奴隷だからです」
「奴隷?」
魔物に村を襲われ、文無しになってしまった生き残りが奴隷になることは知っていたが、ゼファーは今まで奴隷を買ったこともなければ、今後買う気もない。
「俺は、お前を買った覚えはないんだか?」
「あの、ですね。私を買ったのはトキ様なんです。でも、所有権はあなた様にあります」
「俺に?なぜ?」
「すみません。分かりません」
ネネが本当に申し訳なさそうに謝罪してくる。
そんなネネを余所にゼファーは考えを巡らせていた。
簡単に考えればトキが余計な気を回したのが妥当だが、先程の去り際の表情を考慮すると、どうも違う気がする。だが、いくら考えても分かりそうにない。
そんな事より今はこの少女の扱いを考えなくてはならない。
ゼファーが問題の少女に目を向けると、ネネはその整った容貌を歪めていた。
「おい、どうした?」
「すみません。その……少し痛くて」
そう言ってネネはゼファーに掴まれた自分の細い腕に目を向けた。強く握りすぎたようで、赤くなっていた。
「す、すまん」
慌てて飛び退くと、ネネは腕をさすりながら上半身を持ち上げた。
そこで、ネネを自由にしてしまった事に気付いたがネネは何かを仕掛けてくる様子を見せない。
しかし、まだ油断する訳にはいかない。
「あの、どうかしましたか?」
ネネがふわりとブラウンの髪を揺らして首を傾げる。ゼファーが未だに警戒していることに気付いたのかもしれない。
「お前は、っ!」
そこまで言った所でゼファーは慌ててネネから目をそらした。正確にはネネの胸元から目をそらした。
ネネは今綺麗とはとても思えない所々ほつれたワンピースを着ており、伸びてしまったのか襟口が大きく開いていて、そこからネネの豊満な胸が柔らかそうな谷間を作っていた。
ゼファーの様子に何を思ったのか、ネネが慌てて頭を下げた。当然ながら胸も揺れた。
「すみません!こんなみすぼらしい格好で家に上がってしまって、今すぐ脱ぎます!」
ネネは立ち上がり言葉通りスカートの裾に手をかけると、本当に脱ごうとする。
胸に続いて雪のように白い太腿にも目がいってしまうが、それどころではない。
「ちょっと待て!脱げなんて言ってないだろ。俺はただお前が凶器を隠してるんじゃないかと勘ぐっていただけだ!」
ゼファーの必死の制止にネネは手を止めた。やっと分かってくれたようだ。
だが、ネネはゼファーの予想を裏切り、再びスカートを掴んだ。
「では、凶器を持ってないことを証明するためにやっぱり私脱ぎます!」
「もうお前が敵意を持ってないことは分かったから脱ぐ必要はない!」
「信じて、貰えるんですか?」
「ああ」
ゼファーは頭を抱えたくなった。女とはここまで扱いづらい生き物なのだろうか。
「ありがとうございます」
ネネは礼を言うとにっこりと微笑む。それはネネの雰囲気にあった穏やかな笑顔だった。
外を見るともう日が陰り始めていた。ここは王都とは異なり、街灯もないため日が落ちれば直ぐ真っ暗になってしまうだろう。
「お前、料理はできるのか?」
ゼファーが問うとネネが相変わらずのにこにこ顔で頷いた。
「はい、出来ます。お風呂の用意もできてますが、先に夕食になさい……あっ!」
「どうした?」
「夕食の食材を買ってませんでした。これでは何も作れません。どうしましょう~」
ネネは途端に涙目になっておろおろと部屋の中を動き回りだす。
「食材を買ってないって、お前……」
何だか頭が痛くなってきた。