第五話
鬱蒼と生い茂った草木に日の光が遮られ、薄暗い森の中をゼファーとバッカス、そしてトキの三人が歩いていた。
土地勘のあるバッカスとトキが並んで歩き、その三歩ほど後ろにゼファーが続く形だった。
森に入ってから三人の間に会話はない。元よりゼファーは自分から話しかけたりするタイプではないし、バッカスに関しては先程派手に喧嘩したため会話どころではないのだろう。
そうなると村長であるトキが頼みになるが、トキは先程から辺りを注意深く監視しており、口を開こうとはしなかった。
森に入ってかれこれ二時間ほど経過した時、不意にゼファーが足を止め、呟いた。
「いるな」
その声に背中に担いだ大剣に手をかけながらバッカスが返す。
「ああ、右側に一体嫌がる。トキ婆、少し下がってな」
バッカスは魔物がいると思われる場所に目を向けたままそう言うと、ちらりとこちらに視線をやった。
「おい、ゼファーだったか?お前はどうする。俺の背中に隠れてるか?」
「冗談。僕もやりますよ。そのためにこの村まで来たんですから」
バッカスの馬鹿にしたような発言にゼファーはムキにならずに平然と答えた。
ここで戦わなければこの村はおろかこの世界においてもゼファーの存在価値が無くなってしまう。
ゼファーには最初から選択の余地などないのだ。
バッカスはゼファーの返答に鼻を鳴らすと、ジャリっと音を立てて背中の大剣を抜き放った。
「来るぞ。多分Ⅰ種だ」
魔物は大きく三つに分けられて、それぞ第Ⅰ種、第Ⅱ種、第Ⅲ種と呼ばれている。
その分類方法は主に大きさで判断する。魔物は年を取ると共に大きく、強くなるので、一番大きい第Ⅲ種が最も強い魔物に分類されることになる。
今回、ゼファー達が遭遇したのは魔物の中で最も弱い第Ⅰ種だった。
しかし、弱いと言っても魔物は魔物、ある程度戦闘訓練を積んでいない者であれば、あっという間に食い殺されてしまうだろう。
バッカスの予想した通り、茂みから出てきたのはゼファーの顎に届くくらいの体格の第Ⅰ種だと思われる狼のような姿をした魔物だった。
魔物は基本的に動物に似た姿をしており、性質も同じ姿をした動物に似ているが、一番の違いは肌の色だ。魔物達は例えどんな姿をしていようと一様に赤黒い肌を持っているのだ。
現に今、目の前にいる狼形の魔物は赤黒い肌をしている。
ゼファーは自分を無視してバッカスに気を取られている魔物に素早く近付いた。
☆☆☆
「ちょっ!?おい、止まれ!」
バッカスはいきなり自分の前に躍り出たゼファーにたまらず叫んだ。
基本的に短気で気の荒いバッカスでさえ、魔物と対峙した時は先ず相手の身体的特徴や周りにある障害物などを確認して、それから戦闘に入る。
しかし、このいまいち何を考えているのか掴めない眠そうな目をした青年はなんの躊躇もなく飛び出していった。とてもまともとは思えない行動だった。
これでもバッカスは十五年もの間戦場に身を置いた男だ。いくら、バッカスのパンチをかいくぐる事ができるゼファーでも、戦場で迂闊な動きをすればあっという間に命を失ってしまうことを知っていた。
そんなバッカスの制止を無視してゼファーは腰に下げた刀も抜かずに前傾姿勢で魔物に接近する。
両者の距離が十メートル程になった時、それまで肌と同じ赤い目でこちらをじっと窺っていた魔物が動いた。
魔物が一直線にゼファーに飛びかかる。
狼より遙かに強い脚力を使った凄まじく速い飛び出しだった。
その時、一陣の風が吹いた。
ゼファーは村の通りでバッカスの拳を避けた時と同じ様に半身になってそれをかわすと、すれ違いざまに腰の刀を抜いて魔物の首の後ろに斬りつけた。
斬られた魔物はゼファーに飛びかかった勢いのまま地面に倒れ込むとそのまま最期の遠吠えもできずに動かなくなった。
バッカスは思わず低くうなっていた。
間違いなくゼファーが自分より強いことが今の戦闘で嫌でも分かってしまった。バッカスならこんな早技で魔物を葬ることはできない。そして、ゼファーはバッカスが見ても分かるくらいに加減をしていた。魔物と命のやり取りをする中で加減ができるのは余程の強者か魔物の事を何も分かっていない馬鹿者くらいた。
ゼファーはきっと前者だろう。
「どうじゃ?」
トキが声を潜めて聞いてきた。老いても衰えることない眼光は何やら手を開いたり閉じたりして、口をへの字にしているゼファーに向けられている。
「癪だが、あいつは強えよ。あの時両手を落とされなくて良かったぜ」
バッカスの答えにトキはうむと頷くと、ゼファーのもとへゆっくりと歩いていった。
「ん?」
バッカスはここであることが頭をよぎった。どこかの戦場でゼファーの動きに似た者を見た気がするのだ。
しかし、その者がどんな人相だったのかいまいちよく思い出せない。
「まあ、いいか」
元からあまり記憶力がいいわけでもない。バッカスは直ぐに諦めるとトキに続いて足を進めた。
☆☆☆
ゼファーは刀を鞘に納めると、ぐっと右手に力を入れてみた。
「やっぱりか……」
やはり、上手く力が入らない。五年間も牢獄に閉じ込められていたことを考えれば当然なのだが、昔の三分の一にも及ばないというのは何か別の要因がありそうだ。
「まあ、対応策は考えてあるがな」
ゼファーがぽつりと呟くと、トキが此方にやってきた。
「いやあ、見事なお手並みじゃな。あたしが見てきた中でも五番目に入るくらいじゃよ」
「それはどうも」
「そして、合格じゃ。喜んでここアルムの村におぬしを迎え入れよう」
「合格?」
ゼファーが意味が分からず問うと、トキの後ろからやってきたバッカスが答える。
「俺とトキ婆はお前が本当に使えるのか試してたんだよ。いきなり殴りかかって悪かったな、ゼファー」
「はあ」
ゼファーが気の抜けた返事をすると、トキが手に持った杖でバッカスの太い足をコツンと叩いた。
「まあ、こやつが喧嘩っ早いのは嘘じゃないんじゃがな」
バッカスが慌てて弁解する。
「ちょっと待ってくれよ。俺だって初対面の奴にいきなり殴ることはないぜ?」
「どうだかのう?」
軽口を交わして笑い合っている二人を余所にゼファーは状況を整理していた。
「つまり、バッカスさんが殴ってきたのも森で魔物と戦わせたのも全部試験だったってことですか?」
ゼファーの問いにトキは得意げに頷いて見せた。
「そうじゃ。先ず、バッカス相手におぬしの力を計り、もしダメなら森へも行かせないつもりじゃった」
トキの言葉をバッカスが引き継ぐ。
「魔物との戦いだって本当は俺と共闘させる手筈だったんだぜ?それをお前がいきなり飛び出していくんだから、こっちは冷や汗ものだったよ」
それなら、バッカスが「背中に隠れてるか?」と言ったのも強ち嘘でもなかったのだろう。
「でも、もし第Ⅱ種やⅢ種が出て来たらどうしてたんです?村長さんなんか逃げられなかったかもしれませんよ」
「なあに、この村を守ってくれる人を試すんじゃ。命くらい張らんと割に合わんじゃろ」
トキは当然のようにそう答えた。
村に戻る頃には日が傾き、村は茜色に染まっていた。
「では、ゼファーを新居に連れて行こうかの。と言っても、誰も住まなくなった家を掃除しただけで大して新しくもないんじゃがな」
「俺の家の近所みたいだからな、おれもついて行くぜ」
ゼファーは二人の申し出に無言で頷いた。それにしても、さっきまでゼファーを試していたくせに用意がいい。森からの帰り道でトキがまともに魔物と戦えるのがバッカスくらいしか居なかったと言っていたので、ゼファーにへそを曲げられたら困るからだろう。と勝手に判断した。
何度か村を歩くと、そんなに広くない村だ。全体像も見えてくる。
このアルムの村は正方形のような形をしており村長トキの家はその真ん中、南に入り口、北に森があり、村長の家を探していた時に歩いていたのはこの村のメインストリートだったようだ。今振り返ってみると、確かに何かの店が多かった気もする。
そんな事を考えていると、二人が足を止めた。
どうやら件の新居に到着したようだ。
「ゼファー、これが今日からおぬしの家じゃ。少し古いが、これでよいか?」
それは村の西側にある木造の家だった。平屋のようで、二階はない。周りの家に比べると少し小さい気もするが、一人で住む分には問題なさそうだった。
一つ不満をあげるなら、トキが言うように誰も住まなくなっただけあって、少し古いことだろうか。
「まあ、雨風をしのげればそれでいい。ありがとうごいます」
「そうか、それはよかった。じゃあの、今日はゆっくり休むといい」
「じゃあな」
それぞれ別れの挨拶をしてトキとバッカスは帰って行った。
しかし、その二人が去り際、口元に笑みを作っていたことをゼファーは見逃さなかった。
「まだ、試験は続くみたいだな」
一つそう呟いてドアノブに手をかける。カギはかかってないようだ。
ゼファーがこんな事を気にするのには理由がある。
この家の中に何かが「いる」からだ。
気配からして魔物ではないだろう。
幸いまだ相手はこちらに気付いてないようなので先手必勝、こちらから仕掛けたほうか良いだろう。
「よしっ」
ゼファーは腰の刀に手をやると、ドアを開き右に続く廊下を一瞬で駆け抜けた。
その何者かはゼファーの接近に慌てて振り返ったがもう遅い。ゼファーはその者が何かする前に床に押し倒した。
「きゃあっ」
組み敷かれた相手はゼファーの早技に声も出ないって……きゃあ?
「ん?」
ゼファーが抑えつけている相手の顔に目を向けると。
一人の少女と目があった。
年はゼファーとそう変わらないくらいの少女だった。
ふんわりとした明るいブラウンの髪は鎖骨あたりで緩く巻いていて、はしばみ色の目は大きく少し垂れ目がちで優しそうな印象を受ける。肌は透き通るくらいに白くて今握っている手は細く、少し力を入れたら折れてしまいそうだ。
「お前、名前は?」
ゼファーの問いに少女は少し目を泳がせた後、鈴の音のような声で答えた。
「ね、ネネと申しましゅ」
……噛んだ。
これがゼファーとネネの出会いだった。