第十七話
ゼファーがアルムの村に来てから二十日が経った。その間、バッカスとゼファーは足下が悪くなる雨の降る日を除いて毎日狩りに行っていた。ゼファーが加わったことでバッカスが一人でしていた時より遙かに狩りの効率は上がった。
すでにほぼ全ての第Ⅰ種の魔物を狩り尽くしていて、残すは第Ⅱ種とそれらを仕切っている第Ⅲ種の魔物だけだ。
第Ⅱ種の魔物を相手にする機会が増えるにつれて、バッカスはゼファーと連携をとる数も増えてきた。
一緒に戦えば戦うほど、ゼファーがどれ程優れた兵士であるのか嫌になるくらい分かってきた。
ゼファーは強い。
バッカスが二撃で倒すところを一撃で、一度魔物の攻撃をかわしてから仕掛けているところをゼファーは魔物が何かする前に息もつかせずに倒してしまう。バッカスとは明らかに力の差がある。それなのに、未だに強さの底が見えない。
まだ出会ってから短いのと何を考えているのかよく分からない性格から、バッカスはまだゼファーがどのような人間であるのか摑めていない。だが、その強さだけは認めていた。だから、未だに風当たりの強い村人たちとは異なり、バッカスはそこまでゼファーを嫌っていない。五年前起きたことを、直接経験していないこともあるかもしれないが。
そのため、バッカスは今日もゼファーと共に森で狩りをしていた。
熊のような形をした魔物の攻撃をかわしてゼファーが右足を斬る、するとバッカスの倍ほどの背丈を持った魔物がバランスを崩し、頭がこちらに倒れてくる。
「バッカスさん」
「分かってらあっ!」
バッカスはゼファーの声にそう返すと、地面を勢いよく蹴り跳び上がり大剣を振りかぶって魔物の太い首を叩き斬った。
魔物は断末魔の叫びを上げ、砂煙を撒き散らして倒れ込む。
どうやら絶命したようで、近付いてみても魔物が動く様子はない。
「よっしゃあ!」
年甲斐もなく喜ぶバッカスとは対照的にゼファーはすまし顔だった。ゼファーからすれば大したことではないのかもしれないが、バッカスにとっては二人で第Ⅱ種の魔物を狩るなんて信じられないことなのだ。
普通、第Ⅱ種の魔物を狩るには五、六人が必要なのだがバッカス達は大した被害も受けずにこれまで何体も狩ってきた。
そのため、バッカスには「自分は強い」という慢心があったのかもしれない。
「もう日が落ちてきたし、終わりにするか?」
季節が冬に向かうにつれて、日が出ている時間も少なくなってきた。バッカスが山に隠れていく太陽の眩しさに目を細めて提案すると、ゼファーは黒刀を腰の鞘に納めながら頷いた。
「そうですね、そろそろ……」
そこでゼファーは不自然に口を閉じて森の先に目を向けた。
「どうかしたのか?」
尋ねるが、ゼファーは視線を固定したまま動かない。バッカスも同じ場所に目を向けてみるが、草木が鬱蒼と茂っていて見通しが悪く、日が傾いてきたことで辺りが薄暗くなり始めているためよく見えない。
ここから見えないなら行ってみるしかない。バッカスはそんな短絡的な考えでゼファーが見つめる先に小走りで向かった。
「ちょっ!バッカスさん止まって下さい!」
「何言ってんだよ!ここから見てるだけじゃ何も分からねえだろうが」
この時、バッカスはゼファーの声に焦りが含まれていた事に気が付かなかった。
二十メートルほど進んだところで、バッカスの背中に急に寒気が走った。ここで足を止めなければならない。そう訴えてくる本能のままに急ブレーキをかけ、顔を上げる。
「あ、ああ……」
人間、本当に恐怖したときは声も出ないという。だとすれば、バッカスは掠れ声を漏らせただけマシなのかもしれない。
バッカスの前方にいたのは、先程より一回り大きい猿形の魔物だった。肌は赤というより黒に近く白い髭が地に着きそうなほど伸びている。間違いなく、第Ⅲ種の魔物だ。それも、かなりの年月を生きたものだろう。
「バッカスさん、早く離れて下さい!」
ゼファーが背中に叫んでくるが、バッカスは動けない。全身から噴き出た脂汗で体中がぐっしょりと濡れる。反対に、咽は干上がっていて呼吸もまともにできない。
何体魔物を狩ったところで所詮は人間、別に魔物を勝る身体能力を身につけた訳ではない。だから、魔物と戦う時は一瞬の油断も許されない。ましてや自分が強いなどと慢心すれば、直ぐにあの世行きだ。分かっていた、分かっていたはずだ。でも、理解はできていなかった。
「キィィアアア!」
魔物が大口を開けて咆哮する。その余波を受けてバッカスの短い髪が後ろに揺れた。
こんな生き物相手にたった二人の人間で敵うはずがない。もし倒せるなら、それは『無敗の五将』くらいだ。
魔物がゆらりと右腕を振り上げる。バッカスは死を覚悟して目をつぶった。そのため、気付けなかった。
先程まで後ろに揺れていた髪が、後ろからきた一陣の風によって今は前に揺れていることに……。