第十五話
夕暮れ時、狩りを終えたゼファーは肩に魔物の素材が入った麻袋を担いで昨日と同じ店に向かった。
「こんばんわ。まだ大丈夫ですか?」
声を掛けると、店の店主が出て来た。昨日は気にならなかったが、左目の下に何かに斬られたような傷跡があり、髪は長く後ろで一つに纏めていた。
「いらっしゃい、全然大丈夫だぜ。えっと、ゼファーだったか?」
「はい、そうです。では、これを買い取って下さい」
そう言って麻袋をカウンターの上にどかっと置く。店主はそれを驚き半分呆れ半分の顔で見た。
「よくこんな数の魔物を狩れるもんだな」
「それが仕事ですから」
「じゃあ、俺も仕事しないとな」
店主は麻袋から一つ一つ素材取り出し、それを眺めながら口を開いた。
「そういえば、バッカスの野郎はどうした?」
「バッカスさんは飲みに行きました」
「お前は行かないのか?」
「酒は苦手なんです」
店主は手を止めると、にやりと悪戯っぽく笑った。
「まあ、あんなに可愛い子が家で待っていれば寄り道する気にはならねえわな」
「そんなんじゃないですよ。今日は今からトキさんの家に行かないといけませんし」
ゼファーが否定するが、店主の笑みは崩れない。
「そういうことにしといてやるよ。ほれ、素材分の金だ」
そう言って出された金は昨日より少し多かった。売った素材の量は昨日と変わらないのに、だ。訝しむゼファーの様子に気付いたのか、店主は気まずそうに後ろ頭をかいた。
「いや、それが正当な買い取り額なんだよ。悪かったな、昨日は狡いことしちまって」
「別に構いませんよ。それを見抜けなかった僕も僕ですしね」
そうやって相手を計ることは商人の世界ではよくあることなのだろう。それについて別に咎めるつもりもない。
ゼファーが金を受け取って立ち去ろうとすると、背中に声を掛けられた。
「俺はピートっていうんだ。この店は武器でも薬でも何でも売ってるから、贔屓にしてくれよ!」
ゼファーはそれに会釈すると、トキの家に向かった。
自分から約束を取り付けただけあって、トキは家の前で待っていた。ゼファーを見つけると、手に持つ杖を軽く振る。
「よう来たの。ささ、早く入るんじゃ」
トキに促されるままに中に入り、朝と同じようにソファーに向き合って座る。
「夕ご飯食べていくかい?」
人の良さそうな笑みを浮かべるトキにゼファーは首を振った。
「遠慮しておきます。多分、夕食はネネが作ってくれているので」
「それもそうじゃの。あんまり遅いと、あの子は迎えに来そうじゃしな」
以前、ネネが朝食が冷めてしまうからとゼファーを迎えに来たことがあった。トキはその時のことを言っているのだろう。
「では、早速本題に入ってもらっていいですか?」
失礼だと思いながらも切り出すと、トキは気にすることなく頷いた。
「ふむ、話を始めようかの。先ず、今朝の感じで皆が中央の騎士をよく思っていないのは分かったじゃろう?」
「はい」
人とあまり接してこなかったゼファーでも流石にそれくらい感じた。少なくとも、好かれてはいないだろう。
「今、この村に魔物を相手にできるのがバッカスしかおらんことに、お主は不思議に思わんかったか?」
『聖戦』があった五年前まで、人間達と魔物は各地で幾度となく戦っていた。そう、たった五年前までだ。
もし、五年前もこの村を魔物から守るのがバッカス一人だけだったなら、とっくに魔物達に滅ぼされてしまっているだろう。だから、少なくとも五年前まではある程度の人数の兵士がいたはずなのだ。そして、その者達がバッカス一人を残して全員引退してしまったとは思えない。
「思いました。バッカスさんには悪いですが、あの人一人でこの村を守りきるのは不可能です」
「そうじゃな。実は、五年前までは何人も魔物を狩れる者達がいたんじゃ。じゃが、そやつらは殆ど死んだ。いや、殺されたと言った方が良いかの」
『殺された』ゼファーはトキのその言い方が引っ掛かった。魔物と戦って死んだ場合、それは魔物に『殺された』ことになる。だが、トキのニュアンスはそうではないように思えた。
「殺されたとは、魔物にですか?」
「白々しいのう?薄々感づいてるんじゃろ?」
トキはどこか遠い目で窓を眺めた。幾つもの皺を刻んだ瞼の奥にある瞳に映る感情は果たして怒りなのか、仲間を失った悲しみなのか人の気持ちなど考えてこなかったゼファーには分からなかった。
「今から五年前にあった南へ向かう討伐戦、後に『聖戦』と呼ばれる戦いの討伐隊にうちの村からバッカスが召集されたんじゃ。そして、抜けることになったバッカスの変わりに中央から三人の騎士が来た」
五年前にあった『聖戦』には各地の猛者達が集められたと聞いている。ゼファーには及ばないものの、確かにバッカスはその辺の兵士より腕が立つ。討伐隊に呼ばれていても何ら不思議ではない。
「その騎士達は、最初から村人達に対して威張り腐った態度じゃった。金を払わずに物を食べ、若いおなごに手を出そうとした事もあった。じゃが、そやつらに皆表立って文句は言えんかった」
例え人間性に問題があったとしても、魔物に対抗できる人間は貴重な戦力だ。もし、気分を害して王都に帰られでもしたらそれは村全体の損害になってしまう。
「中には騎士達を追い出せと言う者もおったが、皆は何とかそんな者達を宥めてこの理不尽に耐えておった。そんな時じゃ、近くに大きな魔物が出たという知らせが入ったのは」
「大きな魔物?」
「うむ、ちょうどお主らが狩りに行っておる森の奥に大きな猿のような容姿をした魔物が出たのじゃ。恐らく第Ⅲ種の魔物じゃろうな。その知らせが入ると直ぐに中央の騎士を含んだ村の全員の兵士達が戦に出た。その数は三十人以上じゃった」
「三十人……」
ゼファーはそう呟きながら考えを巡らせた。
バッカスが『聖戦』に出る前までは普通に魔物を狩れていたのだろう。例え相手が第Ⅲ種の魔物だろうと、三十人以上の兵士がいれば倒すことはできなくても深手を負わせて撃退する事は可能なはずだ。
しかし……
「帰ってきたのは、足に重傷を負ったピート一人だけじゃった」
「そんなに強かったんですか?その魔物は」
やはり、冷めている。
ゼファーは自分の心についてそう感じた。
一人しか帰ってこなかったと言われても、最初に出てくる考えは兵士達の被害についてではなく、どんな魔物だったのかということだ。とても、普通の人間の考えではない。
トキはそんなゼファーの質問に、声に少しの怒りを込めて答えた。
「普通にやれば大きな被害なく撃退できるはずじゃったからの、そんなに強い魔物でもなかったようじゃ。しかし、負けた。敗因は隊列の崩壊じゃった。逃げたんじゃよ。中央の騎士達が」
強い魔物と戦うとき、隊列を組んで連携することは最重要事項だ。もし、それが崩壊したならそれは直接死を意味する。
「ピートがそれ以上の事は語らんかったから、他の事は分からん。じゃが、皆がお主に対して不信感を持っておる理由は分かってくれたかのう?」
「はい」
ゼファーはそう返事すると、トキに頭を下げて家を出た。空を見ると、もう日は落ちてしまっていて幾つもの星が見えた。
そのまま目を森に向ける。命を落とした兵士達には、当然家族や友人がいただろう。その人達は、この森を五年間見続けて、どんな事を考えたのだろう。
それは分からないし、理解できるとも思わない。ゼファーはただ淡々と魔物を狩るだけだ。
それなのに……それなのにどうして自然と手に力が入るのだろう。