第十四話
ゼファーの紹介と現状の説明は村長トキの家の前で行われることになった。トキの呼び掛けによって数分のうちに続々と村人達が集まってきて、村長宅の前は所狭しと並んだ村人達で埋め尽くされていた。何でもバッカスが言うには殆どの住民が来ているらしい。
人の出入りが少ない村なだけあって、新参者には関心が集まるのだろう。
ゼファーは目の前に広がる人の群れをぼんやりと眺めながらそんな事を考えていたが、隣に立つネネは落ち着かないようで、先程からはしばみ色の瞳をきょろきょろと忙しなく動かしている。
「どうした?」
こう隣であたふたとしていれば流石に気になり始めてくる。ゼファーが声を掛けると、ネネは俯きながら答えた。
「いえ、その……少し緊張しているだけです」
そう大したことないように言っている割に声が震えている。緊張というよりもゼファーは何かに怯えているのではないかと思った。
確かに、村人達がこちらに向ける視線はただの新入りに向けられるものとは異なっていた。幼い子供や女達はどこかおどおどとした目を向けており、男達は反対に敵意丸出しの射るような目をしている。今日までネネはこの村で普通に買い物ができていたようなので、これはゼファーに向けられているのだろう。
「この視線は多分俺に向けられたものだ。お前は気にすることなく普通に自己紹介すればいい」
「はい、頑張ります」
そう言うネネの表情はまだ晴れない。ゼファーは溜息を吐いて付け加えた。
「それに、もし今から村人全員が襲ってきてもお前一人逃がすくらいはできる。だから、まあ……その、なんだ」
人を励ました経験など皆無のゼファーが何と言っていいか迷っていると、ネネが顔を上げて真剣な目を向けてきた。
「その時は、旦那様も一緒に逃げてくれますか?」
「当たり前だ。俺はそこまで無責任じゃない」
第一、ゼファーがここに一人で残ったとしても何の得もない。だから、ゼファーとしては当然のことを言ったつもりだったのだが、ネネは予想外だったのか少しの間呆然とした後にっこりと笑った。
「それなら、何も怖いことはありませんね。ありがとうございます」
結局ネネが何に恐怖しているのか分からなかったが、ひとまず落ち着いたようなので、それ以上は何も言わないでおいた。
すると、話が終わるのを待っていたかのようにトキが声を掛けてきた。
「皆も集まったようじゃし、そろそろよいか?」
ゼファーが頷くと、トキは未だにざわついている村人達によく通る声で呼びかけた。
「皆の衆、よくぞ集まってくれた。これから、新しくこのアルムの村で暮らすことになった二人を紹介する」
言い終えると、トキは此方に目配せしてきた。それを受け取り、ゼファーはネネに目を向けた。
「ネネ、お前が先にやってくれ」
小声で言うと、ネネは激しく首を振った。
「そんな事できません。旦那様より先に奴隷の私が名乗るなんて」
「いいからそうしろ。これは命令だ」
命令、という単語にネネはびくっと肩を震わせた後、重い足取りで一歩前に進み出た。
「ネネと申します。皆さんとは仲良くしていきたいと思っております。よろしくお願いします」
ネネがぺこりと頭を下げると、最初は皆一様にぽかんとしていたが、拍手が送られた。きっとネネの整った容姿に見惚れていたのだろう。
続いてゼファーが前に出ると、一気に場の雰囲気が張り詰めたものに変わった。そんな中、ゼファーは無表情で口を開く。
「ゼファーと言います。中央から来ました。よろしくお願いします」
簡単な自己紹介だったが、村人達はとたんにざわつき始めた。敵意を含んだ視線が一気に集まってくる。
やはり、歓迎はされてないようだ。こうなることが何となく分かっていたため、ゼファーはネネに先に自己紹介させたのだ。こんな雰囲気で前に出たら、ネネは確実に動揺していただろう。
すると、村人達の中から一人の中年の男が声を上げた。
「おめえ、わざわざ中央から何しに来たんだ?」
「魔物を狩りに来ました。上からの命令でしたから、ここに遣わされた理由は知りません」
何となくなら分かっているが、それを今ここで言っても仕方ない。ゼファーが淡々と答えると、新たな男が質問してきた。
「五年前から、魔物の数は減ってきてるんじゃなかったのか?」
ゼファーが後ろでトキと共に控えているバッカスに目を向けると、バッカスは一つ頷いて口を開いた。
「それを、今から俺とゼファーで説明しようと思ってたんだ」
バッカスがゼファーの隣に立つ。すると、村人達がどっと沸いた。バッカスは意外と村人達から信頼されているのかもしれない。
バッカスは声を上げる村人達を手で制すと、野太い声で話し始めた。
「確かに、五年前の『聖戦』以降、魔物の数は減った。それは間違いねえ。だが、この村の近くにある森には未だに魔物が数多く存在している」
バッカスの言葉に村人達はさらにざわつき始める。無理もない。五年前の『聖戦』により取り戻した平穏、それがまた壊されようとしているのだから。
隣に目向けると、意外なことにネネは動揺していなかった。ただ心配そうな目をゼファーに向けてくるだけだ。
「ど、どうしてこの村だけまだ魔物に怯えてないといけねえんだ!?」
群衆からそんな声が上がる。
「どうしてって言われてもよ」
バッカスが弱った顔をして言葉を詰まらせる。バッカスの様子を見た村人達がさらに動揺し始める。
「どこにでも例外はある。それだけの話ですよ」
このままでは埒があかないので、ゼファーが言うと村人達の視線がこちらに向けられる。
「それは、お前が言い出したことなのか!?」
「そもそも、お前が嘘を言ってるだけなんじゃないか!?」
「そうだ!?中央の騎士に騙されるな!」
村人達からそんな声が次々に上がり、場が殺伐とした雰囲気に包まれる。
「そうやって、また俺達から搾取しようとするんだろ!?」
「そうだそうだ!」
「今度は騙されねえからな!」
「とっと中央に帰れよ!」
「お前なんてここに必要ねえんだよ!」
村人達はヒートアップし、様々な罵詈雑言と物が飛んできた。ゼファーはネネの前に立ち、それが当たらないようにする。たまたま仕えることになった主人がこれから自分が暮らしていく村の人達に嫌われていて、ネネからしたらいい迷惑だろう。
しかし、ネネはゼファーの予想を裏切り、前に出て村人達に何か言い返そうとする。ゼファーは慌ててそれを制した。
「おい、やめておけ」
「ですが!」
ネネは優しそうな目に怒りの炎を宿していた。普段とは全く違うネネの様子に驚くが、ここで退くわけにはいかない。
「いいんだ。お前までこの人たちと揉めてどうする。
俺は別に何とも思ってないから気にするな」
元々ゼファーは他人に気を遣って生きてきていない。村人達にどう思われようと、別に構わなかった。
「旦那様がそう仰るなら、我慢します」
ネネは渋々頷くと、ゼファーの背中にそっと手を当てた。ネネの体温がじんと背中に伝わる。
ゼファーは背中から意識を逸らすと、口を開いた。
「別に信じて欲しいなんて思ってませんよ。ただ、逃げる準備はしておいた方がいい。もし、僕かバッカスさんのどちらかが死ねば、確実にこの村は魔物達に壊滅させられますから」
ゼファーが言うと途端に村人達は押し黙ってしまった。皆も薄々ゼファーが嘘を言ってないことを感じ取っているのかもしれない。
「それで?お前は何が欲しいんだ?」
一人の男の声にゼファーは首を傾げた。
「特にありませんけど」
「へ?」
男が素っ頓狂な声を出す。すると、隣の男が口を開いた。
「嘘言うなよ。この村を守る代わりに、俺達はあんたに何かやらねえといけないんだろ?」
益々意味が分からない。トキから正当な報酬は貰っているし、ネネに身の回りの世話もして貰っている。他に望むものなどない。
「そんな決まりがあるんですか?」
ゼファーがトキに問うと、トキは首を振った。
「そんなものはない。じゃが、皆はそういう決まりがあると思っておるんじゃ」
「別に、僕はそんな事言ってませんし、言うつもりもありませんけど」
「そ、そんなの嘘だ!」
「いや、あいつは確かにそんな事思ってないと思うぜ?」
男の言葉を否定したのは、群衆の後ろの方に立つ先日ゼファーが魔物の素材を売りに行った店の店主だった。確か、魔物討伐関連の道具を揃えた店だった気がする。今の時代、そんなに儲からないだろうと思った記憶がある。
「どういうことだよ?」
男の問いに店主が苦笑を浮かべながら答える。
「昨日、あいつが店に素材を売りに来たんだけどよ、俺が相場より相当安い値段で買い取ったのに、何にも言ってこなかったんだよ」
ゼファーは基本的に金に対して無頓着なため、そんな事全く気がつかなかった。
店主の言葉に村人達は静まり返った。しかし、まだ信用されてはいないようで、疑わしげな視線を向けてくる。
少し場が落ち着いた所で、トキが手を鳴らした。
「もうよかろう?こやつらもそろそろ狩りに行く時間じゃし、ここでお開きにせんかの?」
トキが言うと、村人達は散らばってそれぞれの場所に帰って行く。トキはそれ見送ると、こちらに振り返った。
「すまんのう。皆も好きでああ言っている訳ではないんじゃ」
「そうですか」
短く返すと、トキは苦笑した。
「余り、興味はないか?」
「はい、ありません」
「じゃが、お主はこの村を守ってくれる訳じゃし、知っておいて欲しい。今日狩りが終わったら、あたしの家に寄ってくれんかの?」
狩りが終わってしまえば、それ以降特に用事はない。
「分かりました」
了承すると、ゼファーは何やら村人達と話しているバッカスに目配せしてから森へと歩きだした。