第十話
翌朝、ゼファーは村長トキの家を訪れた。
入り口のドアを叩くと、少しして白髪の老婆が出て来た。
「ゼファーか、こんな朝早くからなんじゃ?」
「実は、昨日家に入ったら一人の少女がいましてね。そいつがどうやら僕の奴隷みたいなんですよ」
「ほう?」
ゼファーの皮肉にトキは全く動じた様子を見せない。ゼファーは諦めたように溜息を吐くと再び口を開いた。
「トキさん、しらばっくれないで下さいよ。トキさんなんでしょ?あいつを買ったのは。一体どうしてそんな事したんです?」
ゼファーの問いに、トキは意地の悪い笑みになった。
「どうせお主も大体の見当はついてるんじゃろ?先ずはそれを申してみよ」
「僕に借りを作らせ、この村から出ないようにするため……ですか?」
「ふむ、概ね当たっておる。流石は中央の騎士といったところかの」
「概ねということは、満点の解答ではないんですね?」
ゼファーが少し語気を強めて言うと、トキは鷹揚に頷いた。
「そうじゃな。まだ完全な解答ではないの」
「じゃあ、それを教えて」
「だんなさまあ~!」
ゼファーが言い終える前に、後ろから声を掛けられた。振り返ると、予想通りというか、ネネがこちらに駆け寄ってきていた。
「どうした?」
ゼファーの問いにネネは走ってきたからか、弾んだ息を整えることなく口を開いた。
「朝食ができあがったので、お迎えに上がりました」
「別に、そんなに急いで来ることないだろ……」
呆れるゼファーだが、ネネは真面目そのものだった。
「すみません、旦那様に早く召し上がって欲しくて。
昨日は夕食も出せませんでしたし」
「涎か垂れる程腹が減ってる訳ではない。先に食べてていいぞ」
「そっそんな事できません!」
「今はトキさんと話してる最中なんだ。先に食えないなら、家で待っていてくれないか?」
そこでネネはやっとトキの存在に気付いたようで、慌てて頭を下げた。
「トキ様!すみません、挨拶もせずに」
「よいよい。じゃが、ゼファーの言うとおり席を外してくれんかの?」
「はい、失礼しました。では旦那様、道草せずに帰ってきて下さいね」
ネネはそう言ってにっこりと微笑むと、ゼファーが何か言う前にまた家に戻っていった。
二人は暫く黙っていたが、ネネの背中で揺れるブラウンの髪を眺めながら、トキが口を開いた。
「仲良くやってるみたいじゃの。良いことじゃ」
「何がいいんですか?」
「お主にネネを寄越したもう一つの理由はな、女がいれば男はよく働くからなんじゃ。ネネはめんこいしの」
「そんな事しなくても、僕はちゃんと働きますよ。それしか取り柄がありませんから」
ゼファーはそう言い残すと、すたすたと自分の家に歩いていった。
「そんな男に、ネネが懐くとは思えんがのう」
トキの呟きはゼファーには聞こえなかった。
☆☆☆
朝、バッカスがゼファーの家のドアを叩くと、美しい少女ネネが出て来た。
「よう、あんたがトキ婆が言ってた嬢ちゃんだな?ゼファーの奴はどうした?」
「旦那様なら、朝食を召し上がると直ぐに森の方にお出掛けになりましたけど」
「そうかい、昨日はあいつ驚いてなかったか?」
ニヤリと笑って言うと、ネネは困ったように整った眉を八の字にして笑った。
「はい、大変驚いていたようです」
「ガハハハッ!そりゃいいや。嬢ちゃん、俺はバッカスって言うんだ。この村で魔物を狩ってる。まあ、今日からはゼファーとやることになるがな、よろしくな」
バッカスの簡単な自己紹介に、ネネはぺこりと頭を下げた。
「はい、バッカス様ですね。私はネネと申します。よろしくお願いします」
「おう、じゃあな」
バッカスが森に着くと、ネネの言う通りゼファーは森の入口に立っていた。しかし、何をするわけでもなく、ただ目を瞑り静かに佇んでいるだけだ。
「何やってんだ?」
バッカスの問いにゼファーはこちらを見ることなく答える。きっとバッカスが近付いていることにも気付いていたのだろう。
「聴いてるんです。遠くの音を」
「嬢ちゃんなら、元気にしてたぜ?」
バッカスが言うと、ゼファーは初めてこちらに顔を向けてきた。
「あいつに会ったんですね」
「ああ、可愛いじゃねえか。乳もでかいし」
バッカスが胸の前に手で弧を描きながら言うと、ゼファーは呆れたように溜息を吐いた。
「バッカスさん、昨日と随分雰囲気が違いますね」
「だから、あの時はお前を試してたんだって。それに、今日からは一緒に仕事をしていく訳だしな。少しはフレンドリーに」
バッカスの言葉をゼファーの冷めた声が遮る。
「僕は、あなたとなれ合うつもりはありません」
「でも、少しはコミュニケーションを取っておいた方がいいだろう?」
少し慌てるバッカスに対してゼファーは冷静だった。
対峙する相手を威圧するオーラのようなものを放っており、そこに先程までネネの話をしていた時の面影はない。
「では、お望み通りコミュニケーション、仕事の話をしましょう。僕の見立てだと、この村は非常に危機的状況にあります。今まで大きな被害が出てないことが不思議なくらいに、です」
「どういう事だ?」
バッカスが聞くと、ゼファーは漆黒の瞳に冷たい光を宿し、右の頬を吊り上げた。
「いるんですよ。この森の向こうに、魔物がうようよと」
「なっ何でそんな事が分かるんだ!?」
それが本当なら、ゼファーの言うとおり緊急事態だ。
叫ぶバッカスにゼファーは呆れ顔になった。
「だから、聴いたんですよ。魔物達の音を」
「聴いた?中央の奴らはそんな事もできるのか?」
「僕の知る限りでは、僕を除いて四人しかできませんよ」
そう言うゼファーが、バッカスには一瞬まるで別人のように見えた。