処刑人
圭亮は生真面目を絵に描いたような男だった。
高学歴で、容姿は平凡、そして現在公務員として働いている。女性にとっては、その肩書きだけで見れば結婚相手とするには好物件であった。
しかし、その仕事内容が問題であった。
圭亮は、刑務官だった。
受刑者を更生させる素晴らしい仕事だと、圭亮は誇りを持っていた。
だがその一方で、死刑の執行をすることには苦痛を感じていた。
あれだけは何度経験しても慣れるものではない。
死刑囚を処刑場に連れて行く。
その日の朝に死刑執行を知らせ、それに対し死刑囚たちはそれぞれ様々な反応を見せる。
自分の死を予告され、震えて涙する者や騒ぐ者。受け入れて、静かに感慨にふける者。
気味の悪いことに、自らの死を宣告されたというのににへらと笑う者もいた。
そうして他の受刑者たちが不在の間を見計らって、連れて行くのだ。
処刑場に着くと、祭壇が置いてあり、花で飾られた阿弥陀如来の仏画が掛けられている。
さらにそこには、立会人たちが椅子に座り、待ち構えている。
――――読経の声が響く。
線香の、独特のきつくも甘いにおいが充満する。
それはまるで、葬式のようである。
…………まだ、死を受ける者は生きているというのに。
なんと滑稽だろう。
しかし、その厳粛で、重厚な空間では、とても笑う気にはならない。
むしろ萎縮してしまうだろう。
その厳粛な儀式は流れるように行われ、ついに白いカーテンの向こうへとかれらをいざなうのだ。
そこにあるのはぶら下がる輪っかのロープと、床には二重の四角を描く赤いテープ。
その赤いテープのもとで、かれらの首にロープをかけ、膝を縛る。
それは、事務的に。
そうして刑務官が数人、死をもたらすスイッチがまじっている、ボタンの前に立つ。
「君の立派な態度に非常に感動しました。きっと君は大往生できます。御仏のお迎えが参りました」
所長が、軽薄な言葉をかける。
その滑稽な形式的儀式が終わると、死刑執行だ。
――――保安課長が右手をあげる。
執行官たちはボタンに手を添える。
手が、振り下ろされた。
同時に、ボタンを押す。
床板が落ちる。
読経の声は大きくなり、断末魔を打ち消そうとする。
…………長い時間、そうして苦しんで、死へと向かう死刑囚を眺める。
死刑囚は大きな痙攣を引き起こしたかと思うと、動かなくなり、そこに物体としてぶら下がっていた。
ほんの少し前まで生きていた人間は、ただの物体に成り果てていた。
「――心臓停止、12時11分27秒」
医官は、その物体に聴診器をあて、脈拍を調べ、告げる。
「本日の――の執行、無事完了致しました。執行、午前11時58分、心臓停止、午後12時11分27秒。所要時間13分27秒であります」
記録係が挙手の礼をし、死刑は完了する。
圭亮は執行人に指名される度、自分だけでは耐えきれない重圧を感じていた。
たとえ誰が本当のボタンを押していたとしてもだ。
その日の仕事を終えた圭亮は、数万の手当てを持ち、寺に行って死刑囚の供養をしてもらう。
帰宅すると、キッチンの戸棚から薬を出して口に含み、コップに水を注いで一気に飲み干す。それでやっと、一息つくのだ。
それは、精神安定剤だった。
生真面目で人一倍優しい圭亮は、自らの正気を、薬なしでは保つことができなくなったのだ。
優しい圭亮は、家族を殺されて「死刑にしてくれ!」と泣き叫ぶ遺族の悲痛な思いも理解しているつもりであった。
…………しかし、何故自分がこんな思いをしなければいけないのか。いっそのこと死刑などなくなってしまえばいいのに。
圭亮は、卑屈な気持ちになった。
……こんな仕事、もうやめてしまおうか。
そう考えていたとき。
玄関のチャイムが鳴った。
圭亮は重い腰をあげ、玄関に向かう。
のぞき穴に目を近づけてみると、一人の女性の姿が目に入った。
「先生?」
圭亮は急いで鍵を開けると、扉を開いた。
「福原さん」
その女性は圭亮の顔を見ると、美しい顔に笑顔を浮かべた。
「先生、何故家に?」
女性は医者だった。圭亮に薬の処方をした、精神科の妖艶な女医だった。
突然の思いもよらぬ訪問者に、圭亮はとても驚いた。
「その……お薬のことで少々緊急のお話がありまして…………」
艶やかな医者は言いよどむ。
「あ…………あがりますか?」
相手は医者といっても女性だ。
男の一人暮らしの部屋にあげるのはどうなのだろうか、と思った圭亮は慎重な様子で尋ねた。
「すいません、お邪魔します」
そんな圭亮の気遣いなど無用だったようで、女医はさっと圭亮の家に入り込んだ。
圭亮は、彼女を部屋に案内する。
「散らかっててすいません……」
比較的きれいな座布団を出してきてそこに座るように促す。
「今お茶を……」
「すいません、お茶はいらないのでここに座ってもらえますか」
彼女の口調が急に厳しくなる。
その彼女の様子に萎縮して、圭亮は彼女の対面に腰をおろした。
――――しばしの沈黙が流れる。
彼女は意を決した様子で、おもむろに口を開いた。
「今日は、もうお薬飲みましたか?」
圭亮は、どんな言葉が出てくるのかびくびくしていたので、少し拍子抜けした。
「はい、飲みましたけど…………」
そう答えると、彼女は困惑の表情を浮かべた。
「そうですか、飲んでしまったんですね…………」
圭亮は、自分はいけない薬でも飲んでしまったのかと恐怖する。
「なんかあるんですか? あの薬……」
彼女ははっとすると、いえいえと、手を振る。
「違うんです! その……あの薬は」
そう言いかけたとき、突如圭亮の意識に靄がかかった。
「あ……れ…………」
急激な眠気に襲われる。
彼女のびっくりした顔を最後に、圭亮は意識を失った。
*
空がすっかり明るくなる頃、圭亮は目を覚ました。
部屋には既に彼女の姿はなく、圭亮は残念な気持ちになった。
しかし圭亮は、彼女が座った座布団を見て、自分の中に徐々に湧きあがる情熱を感じ、時間を確認しつつ、秘密の愛撫に耽った。
…………そして家を出る時間になった。
圭亮は、これから仕事だという憂鬱感と、情熱を解放した疲労感を抱えながらいつも通りに職場に向かった。
職場に着くと、目を背けたくなるような――いや、ショックで倒れてしまいそうになるような光景がそこにあった。
受刑者から刑務官まで、そこにいたはずの人間が皆そろって首を吊っていたのだ。
白目を剥き、首が不自然に折れていたり伸びていたりしていた。
人間だったその物体たちは、天井から不自然に出ているロープによって、鈴なりになって揺れていた。
――なんなんだ、これは!
圭亮は、混乱した。
――大量虐殺か何かか?
動転した頭で必死に考える。
すると突然。
「やってしまったんですね」
背後から、声をかけられた。
その声は、昨夜聞いたばかりの彼女の声だった。
「…………せんせい?」
振り向くと、昨夜と変わらず微笑む、あの妖艶な女医が立っていた。
「これは……貴女の仕業ですか?」
圭亮は、問う。
「いいえ…………皆を殺したのは、貴方よ」
彼女は、そう答えた。
圭亮は、この惨状の中でも微笑みを絶やさない美しい彼女に、うそ寒さを感じた。
「何を言っているんですか! 僕がこんなことをするわけがないでしょう!」
そう言う圭亮に、彼女は途端に無表情になって、「貴方が殺したのよ」と言い放った。
「かれらの顔をよく見てみなさい」
彼女のその強烈な迫力に、思わず従ってしまう。
…………そこで気づいた。
更生を目指している受刑者と同僚だと思っていた者たちの顔は、自分が携わってきた死刑の、被死刑執行者たちの顔に変わっていたのだ。
「かれらを殺したのは……」
「そう、貴方よ」
――そうだ。かれらを殺したのは、僕だ。
「僕は…………」
…………………………
……………………
*
「君の立派な態度に非常に感動しました。きっと君は大往生できます。御仏のお迎えが参りました」
美しく妖艶な所長が、笑顔で言葉をかける。
死刑囚はその言葉を聞くと、にへらと笑った。
――――保安課長が右手をあげる。
執行官たちはボタンに手を添える。
手が、振り下ろされた。
同時に、ボタンを押す。
赤いテープで囲われた床板が落ちる。
まるで断末魔を打ち消すように、読経の声は大きく響いた。
「――心臓停止、12時11分27秒」
医官は、その物体に聴診器をあて、脈拍を調べ、告げる。
「本日の福原圭亮の執行、無事完了致しました。執行、午前11時58分、心臓停止、午後12時11分27秒。所要時間13分27秒であります」
記録係が挙手の礼をし、死刑は完了した。
―終―