吉兆
あらかじめ書いておきます。私は壊れたワケではありません。
まぁ聞いてくれよ。
家に帰ると部屋の中にポツンと――不自然に真四角な部屋の真ん中に真四角のテーブルがあってな、まぁ向きが少しばかりズレていたりもしたんだが、とりあえずその上に真っ白い皿が置いてあった。
近付いてみると皿の真ん中には綺麗に焼き色の付いたサンマが湯気を立てていてな、そいつが甲高い声で「食べて食べてー」とか言うワケよ。
もちろん俺だって少しおかしいかなーとは思ったさ。部屋にテーブルが一つってのはあり得ない。あの部屋にはタンスだって柱時計だってあったハズだ。それに第一、サンマがあって醤油がないってのは酷な話だろ。
とはいえ、だ。それでもサンマの魔力には敵わない。俺はスーツを脱いで下着姿になってから――もちろん脱いだスーツは畳んで隅に置いたんだぜ。下準備もストレッチも終わらせてから、そりゃもう夢中になってむしゃぶりついたね。もう骨に付いた微かな身まで舐め取るくらいの勢いで食べてやったさ。
美味かった。ありゃ美味かったねぇ。
でもさ、足りないんだよ。サンマってのは一匹じゃ絶対に足りない。一匹食ったらもう一匹必要だ。そうじゃないと腹を壊す。俺も血を吐いて死ぬのはゴメンだったからな。慌てて外の物置から七輪を引っ張り出すと、屋根裏に上がったよ。え、どうして屋根裏に行ったかって? そりゃ屋根裏にイザって時用のサンマが干してあるからだよ。ウチは昔からそういう備えをしていたらしい。
まぁとにかく、確保したサンマを七輪に載せて、パタパタと扇いでみたワケよ。あ、言うまでもないが庭先でだぞ。家の中でやったら煙が凄いことになるからな。けどよ、サンマが少し古かったせいなのか、予想以上に真っ黒い煙が上がってな。あれは何だ、そうそうヘビ花火みたいな感じって言えばいいのかな。ああいう何かちょっと汚い感じの煙がもくもくと広がるワケよ。んで、慌てて少し咳き込んじまったんだけど、ありゃ驚いたね。
まさか魔人が現れるとは。
いゃ、ありゃ魔人というより妖精と言うべきか。小さなステッキ持って、ミニスカート履いて、背中には羽が生えていたからな。大きさはそうだな、頭くらいだったと思う。え、可愛かったか? いやわかんねぇよ。お前は店先に並ぶサンマを見て可愛いか不細工か見分けることが出来るのか?
そうそう、サンマだよサンマ。サンマの精。
でな、そいつが言うワケよ。あなたの願いを何でも三つ叶えて差し上げます、サンマ絡みで――とかさ。おいおいって思うよな。そんな大盤振る舞いしちまったら大変じゃねぇか。ん、サンマ絡みでいいのかって? まぁ今なら少しばかり引っかかるところだが、その時は世界に自分とサンマしか居ないような気分だったからな。もう狂喜乱舞だったね。
ひとしきり踊って気分を落ち着けてから、正座してサンマの精を見詰める。もう俺達に言葉はいらない。世界は薔薇色――いや青魚色に染まっていたね。もう何もかもを乗り越えて、俺達は命の目指す終着点に辿り着いた。
――という夢を見たんだが、夢占いによると結構悪くない暗示だと思うんだが、お前はどう思う?
「知るかっ」