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共鳴する婚約者は色を持たない  作者: 綾瀬(石)
第三章 ★それぞれの視点★
30/33

第31話 これからのために

⭐︎主な登場人物⭐︎

リリズ(男)……… 貴族であり剣技のスター選手でもある。人の感情の“色“を見る能力を持つ。

オーウェン(男)……… リリズの恋人。言語を使わず伝達する能力を持つ。母の再婚でアッシュフォルデ家に入る。

カナリア(男)……… 剣技選手、漁師、オーウェンの実父に育てられた孤児

メアリー (男)……… リリズの幼なじみ、鍛冶屋、リリズに剣を教えた


⭐︎その他の登場人物⭐︎

カシアン……… リリズの父、記憶を消す能力を持つ

ロリーズ…… リリズの母

ケイデ……… デヴロー家の使用人として、カシアンに仕える。

デギオン……… オーウェンの実父、ハルメレイ家没落後行方不明だったが、カシアンに記憶を奪われたことが判明。オーウェンと同じ能力を持つ。

アミナ………… オーウェンの実母、ハルメレイ家没落後、ラザロと再婚。

ラザロ………… オーウェンの義父、アッシュフォルデ家当主、能力不明。

「ここが貴族の家だって?」


メアリーは露骨に眉をしかめ、壁に掛けられた絵の前にずかずかと歩み寄った。額縁に顔が触れそうなほど近づき、首を傾げてじっと見つめる。


「湯治用の宿泊施設もたくさんありますから、メアリーさんもよかったら滞在していってください」


「とうじぃ?」


聞き慣れない言葉に、メアリーは顔をしかめた。


「遠慮しとく」


あっさり一蹴する。

それからくるりと振り返り、リリズに小声で言った。


「おい、リリズ。ハルメレイなんて聞いたことがないし、騙されてるんじゃないか?」


「メアリー、口を慎め。俺は子どものころから知っている、オーウェンとも遊んでいた」


「ふーん…」


メアリーは腕を組み、もう一度部屋を見回した。


「なら、もう少しまともなところを借りたらどうだ? 金がない訳じゃないだろう?」


「ここがいいんだ。お前は心配しすぎだ」


リリズは内心で苦笑する。

メアリーがこうやって遠慮なく言うのは昔からだが、過保護な親のような態度はくすぐったい。


それでも──

これからのオーウェンとの生活を思うと、胸の奥がわずかに高鳴ってもいた。


さっき運び入れたばかりの家具は、テーブルと椅子、それから簡素な棚がひとつ。

トラックから下ろした荷物は多くはなく、三人で手分けして運べばすぐに部屋の中は整ってしまった。


窓を開ければ、遠くから温泉街特有の硫黄の匂いがほのかに流れ込んでくる。

掃除も一通り終わるころには、床板に差し込む午後の光が少し傾いていた。


リリズは古い木の床に腰を下ろし、ペットボトルの水を開けて一口飲む。

そのまま膝の上に肘をついた。

持つ手がわずかに震えているし、腰も妙に重い。


こんなことは人生で初めてだった。

ジムでどれだけ鍛えても、家具を運び、床を拭き、棚を組み立てる作業はまるで違う筋肉を使うらしい。


――トレーニングよりきついかもしれないな。

そう思いながら顔を上げると、視線の先でメアリーが椅子の背にもたれ腕を組んで立っている。その隣でオーウェンが話しかけているのが見えた。


「メアリーさん、わざわざすいません。仕事用のトラックまで借りてしまって……」


「あんたのためじゃない。リリズのためだ」


「わかってます。でも僕じゃこんなにスムーズにはできなかった」


「だろうな」


ぶっきらぼうな言葉だったが、オーウェンは気にする様子もない。

メアリーは腕を組んだまま、何かを考えるように部屋の中を見回した。


「ーーというか、リリズ、家具だって服だって新しく買うよりお前の実家から持ってくればよかったんじゃないか? おっさんに頼めばよかったのに」


メアリーはケイデのことを “おっさん” と呼ぶ。

デヴロー家にいた頃からの癖だ。


リリズは水のボトルを軽く振りながら、少しだけ視線を落とした。


「ケイデか……それは考えたが、迷惑はかけられない」


「使用人なのに?」


「まあな」


ケイデは俺にとってよき理解者だ。

貴族社会に馴染めず両親に反発するたび、間に入り緩衝の役割を担ってくれた。


だが彼はあくまでデヴロー家の使用人だ。

父から俺の居場所を問い詰められれば、嘘はつけない。

俺はただ、ケイデを煩わせたくないと思った。


メアリーは納得しきれない顔をしたが、それ以上は追及せず、棚の位置を少しずらしながら部屋の配置を整え始めた。


「この棚、窓の横の方がいいな」


「そうですか?」


「光が入るだろ。湿気も溜まりにくい」


そう言って軽く棚を押し、床の上を滑らせる。

オーウェンもすぐに反対側に回り、位置を調整した。


それで部屋はほとんど完成だった。


オーウェンが手の甲で額の汗を拭い、少し笑う。


「汗をかきましたね。銭湯に行きませんか?」


「は?」


ごく自然な提案だったが、メアリーは露骨に顔をしかめる。


「いや、行くだろ普通。ここは銭湯だぞ」


リリズが笑いながら立ち上がる。


「俺はいい、二人で行け」


「ダメだ、ほら行くぞ」


「おいっ」


半ば強引に腕を引くようにしすれば、メアリーはしぶしぶついてきた。



奥の廊下を抜けると、木の扉の向こうから湯気が流れてくる。

扉を開けた瞬間、温泉の匂いが一気に広がった。


広い浴場には、石造りの湯船がゆるやかに湯気を上げている。

天井は高く、梁の間に湯気が溜まり、淡い白い霧のように漂っていた。


壁の小窓から差し込む夕方の光が、湯面を柔らかく照らしている。


「……へえ」


メアリーが小さく呟いた。


湯を少しずつ身体にかけるオーウェンの動作を見て、メアリーも忠実にその手順を行う。ぞんざいに扱ってるように見えても観察を怠らないのはメアリーらしい。


湯に足を入れると、少し熱い。

だがすぐに身体が慣れ、筋肉の奥まで温かさが広がっていく。


リリズは肩まで湯に沈み、息を吐いた。

メアリーも最初こそ警戒していたが、しばらくすると湯船の縁に肘を置き、肩まで浸かっている。


「……悪くないな」


「でしょう?」


オーウェンは少し嬉しそうだった。


「こんな場所だから、もっとボロいかと思ってた」


「ひどいですね」


三人の間に、湯気の向こうでゆるい沈黙が落ちる。

緩んだ空気に不意にオーウェンが口を開いく。


「メアリーさんは僕をあまりよく思っていないですよね、僕とリリズじゃ釣り合わないから」


「そんなことは俺の知ったこっちゃない」


「そうですか?」


メアリーは湯面を指で軽く弾いた。いつの間にかその頭にはタオルが乗っている。


「俺がイラついてるのはそんなことじゃない。あんたはリリズをわざわざここに連れてきたんだ、何かあったらどうする? 本当にちゃんと考えているのか?」


「何かって……」


メアリーはわざとらしくため息をついた。


「店が休みの日に、俺のところへ来い」


一瞬、湯気の中の空気が止まった。


「どういう意味?」


「メアリー、何を考えてる」


オーウェンが戸惑ったように聞き返し、一連のやり取りを横で聞いていたリリズがすぐに口を挟むが、

メアリーは肩をすくめて見せる。


「あんたは剣が使えるんだろう? 俺が使える剣かどうか確かめてやる」


「確かめるって…?」


「俺が稽古してやると言ったんだ」


オーウェンは驚いた顔をしたが、すぐに目を輝かせた。


「いいの?」


「おい、待て、メアリー…!」


俺が口を挟む間もなくメアリーは続ける。


「俺が教えることができるのは基礎だけだ。だが、どんな技が使えたとしても基礎は大切だ。それと、いちばん大切なことが何かわかるか?」


「大切なこと……体力とか?」


「違う」


湯船の縁に腕を乗せたままメアリーは言う。


「いろいろな奴から学ぶ姿勢だ」


「いろいろな人から?」


「そうだ。稽古以外でも見ろ、聞け、実際に対戦しろ。自分の好きな人にだけじゃない。苦手な人にもだ。教える側にとっても気付きはそれぞれ違うからな」


「なるほど……教官にもいろいろあるってことですね」


「まあ、そんな感じだ」


俺は黙って二人の会話を聞いていた。

メアリーの意図はわかる。

俺は競技では強いかもしれないが、殺傷術は持ち合わせていない。


メアリーはオーウェンに“使える剣”を教えるつもりだ。


だがそれは俺の望むことじゃない。


「メアリー、オーウェンは傭兵でもなんでもない。俺の彼氏だ」


「俺は認めてない」


「お前の許可が必要か?」


湯気の向こうでメアリーがこちらを見る。

そして、ふっと鼻で笑った。


「よく言うな、いつだって言うことを聞かずに男を引き入れては振られて、俺に泣きついてくるのはどこのどいつだ?」


「……う……それは……。オーウェンは……違う……」


消え入りそうな声で、一応の抵抗を試みるリリズ。


「違う? 確かにな。父親がお前の命を狙っているんだろう? 今まででいちばんの地雷野郎だ」


オーウェンの前でもすでに繕う気もないのか、メアリーは言いたい放題だ。


「別にいいだろ、よく人の男にそれだけ口がだせるな」


リリズはやり場のない怒りをぶつけるように湯をたたいた。こんなふうに言い合いになることなんてなかったのに。でもそれは俺の身を案じてのことだとわかっている。


そのやり取りのあと、オーウェンが静かに口を開いた。


「リリズ、僕はメアリーさんに教わりたい。剣を教わるのは父以外初めてですから」


「…それに、僕がリリズを守れるなら問題ないでしょう?」とメアリーにも屈託なく返す。

俺が選手に向いていると褒めたとき、オーウェンは謙遜していた。

だが今は違う。どこか嬉しそうに目を輝かせている。


その顔を見た瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。

これから二人の時間が始まると思った高揚感から、オーウェンの気持ちが稽古や他のことに向くのをよしとしない感情がリリズの中にはあった。

自分でも呆れるほど、些細な感情だった。


だが同時に、湯気の向こうで言葉を交わす二人を見ていると、奇妙な安心感もあった。

メアリーはぶっきらぼうだが、その実、誠実で面倒見もいい。

オーウェンもそれを理解して、まっすぐに向き合っている。

少なくとも、メアリーにとってもいままでとは違う何かを感じたのかもしれない。そうでなければ剣を教えたりしないだろう。この二人の間に妙な遠慮や緊張はなさそうだった。


俺は小さく息を吐く。

オーウェンが嬉しそうにしているのを見ると悪い気はしなかった。

自分の人生が剣に救われたように、オーウェンにとっても何かを見つけるきっかけになればいいと思った。

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