第2話 リリズは市壁街へ出勤する/第3話 婚約者オーウェンとのとの出会い
理由はよくわからないが、ヴァルディナ領邦には代々 『特殊な力』 を持つ家系が乱立していた。15年ほど前に近隣諸国との対立が深まった際に、それらの家系はこぞって国王に召し抱えられた。国王に才を見出され、側近として直接成り上がる者もあったと聞いている。
人智を超えた力を目の当たりにした多くの国はここに立ち入っても蹂躙しようとはしなかった。今でも地中海の小島であるこの国が“神に守られし国“と呼ばれる所以でもある。
そのため近代化した今でもこの国には王政が残り、古めかしい街並みと近代化の様相が入り混じる異様かつ美しい国へと発展した。
特殊な力を持った一族に名を連ねる俺の家、デヴロー家も当時は“読心“の能力を駆使して他人から情報を奪うことを生業にしていたらしい。だが、この家の一人息子てある俺の能力は他人の感情の“色“が見える程度だ。
平和になった今となっては自分の力が何かなんてどうでもいい。
だが、両親はより強い“血“と俺を番わせようと考えているようで、俺はそんな時代錯誤な考えに辟易していた。
「おはようございます、リリズ様」
「おはよう、ケイデ」
ベッドから這い出ると、初老の使用人ケイデがしつらえたシャツとスラックスを確認する。いつもより他所向きな服装に嫌な予感がするが、何も言わずに着替えていく。これ見よがしに服と一緒に添えたネクタイは無視していつもの黒のジャケットを羽織り、洗面台へ向かかった。俺は油をつけた髪を一気にオールバックに掻き上げる。
王だの貴族だのって、中世かよ。俺はこの家に飼われるなんて真っ平ごめんだ。
首都ローレンツァの壁の外には近代的な建築が軒を連ね、車だって走っている。成人するまで市壁内で暮らしてきた俺にとって外の世界は自由で文化的な異世界といってもいい。
部屋のドアを開けると後ろからケイデの追い縋るような声がする。
「お待ちください、今日はお客様がみえますから早めに…」
「は? 今日は打ち上げがある」
「そんな、奥様に怒られます…」
しどろもどろの使用人ケイデを不憫に感じてつい足を止める。
親の反対を押し切って街で働くようになって3年。ケイデはいつだって俺を“知らん振り“してくれた。これはすごいことだ。親や他のメイドや給餌まで、俺の一挙手一投足に口を挟んでくるこの家でケイデだけは味方のようにも感じていた。俺は一息ついて振り返る。
「わかった、なるべく早く帰る」
「お願いいたします。いってらしゃいませ」
「ああ、行ってくる」
礼をしているであろうケイデを見ることなく、俺は急いで階段を駆け降りていく。両親に呼び止められてしまうと面倒だ。
屋敷を出ればすでに俺の愛車がキー付きでスタンバイされていた。ケイデだろう。こういうところが抜かりない優秀な側近でありながら情に流されやすいのは勿体無いとしか言いようがない。俺がこの家の当主なら間違いなくもっといい待遇をしてやれるのに、とも思う。
まあ、俺がこの家を継ぐことなんてないのだが。
しばらく坂を下ったところで車を停める。
市壁内にひっそりと佇むサンタ・アルバ礼拝堂。古めかしく歴史的な建造物であっても一種、異様な雰囲気があるのがこの教会だ。
両親は信徒でも何でもないのにここに不思議と足が向いてしまうのだ。石像やレリーフが配された聖堂に息を呑む人もいるらしいが、“色“のない白亜の天使や女神達に一体何を感じられるのか、俺にはわからない。
何の罪を、いったい誰に許しを乞うているのか自分でもわからないでいる。
──俺は何に許されたいのだろうか
市壁を越えた街は、海からの心地よい風が通り抜け、人の活気に溢れている。市外というにはあまりにも近代的で洗練された別世界のここに、俺の胸はいつも高鳴った。
今日は練習をこなしてから軽くジムに行き、先日の試合の“打ち上げ“に参加する予定だ。
ケイデの言う客とはいったい何なのか。
何にしろ今日はあまり遅くまで街に留まることはできなそうだ。俺が約束を破って遅く帰れば、罰を受けるのはケイデなのだから。
※ ※ ※
リリズが着替えて食卓の間に入った時には両親と、見慣れない男が一人席に着いていた。
男を一瞥する。金髪で色白の青年だった。
リリズの姿を認めて立ち上がる青年。その顔には見覚えがある気がした。
こいつは確か、この間銭湯で働いていた青年だ。
なんで、こんな所に…?
俺は無視をしたままさっさと席に着く。
「リリズ、紹介しよう。オーウェン・ガブリエル・アッシュフォルデ卿だ」
青年は凛とした所作で礼をした。
「お初にお目にかかります、リリズ様。このような光栄な席に加えていただき、心より感謝いたします」
(…この間会っただろ。しかも市壁外の銭湯で)
そう思いながらも、口でだけは形式的な挨拶を返す。
「こちらこそお目にかかれて光栄です──と、言うべきでしょうね」
ただし、皮肉まじりに。
(……また両親の勝手な茶番か。だが、なぜ、こいつなんだ)
忘れるはずがない。
銭湯で初めて見た時、場違いなほどに美しいと感じた。
従業員だなんてさらりと嘘をつかれたことにも、今更ながらに腹が立つ。
まさか、俺とここで会う前に会っておこうと銭湯で待ち伏せをしていたのか。
リリズの指が、ナイフの柄をわずかに強く握る。平静を装おうとするが、心臓は嫌でも跳ね上がった。
オーウェンは堂々と席につき、俺と目が合えば穏やかに微笑んだ。俺は奴の方を見ないように黙々と食事を口に運ぶ。
「わかっていると思うが、アッシュフォルデ卿を招いたのは、お前の婚約者にと思ってのことだ。彼はアッシュフォルデ家を継ぐつもりはないそうだから、お前はこの家を出る必要もない。他人の家で肩身が狭い思いもしなくてすむ。悪くはないだろう?」
「心遣いには感謝します…でも俺は結婚なんてしませんよ。この家だって継ぐ気はありません」
父が満足げに頷きながら話す内容に、俺は溜息まじりにそう答えた。
もう何度目かになるやりとりだ。
俺が結婚する気がないと言っても父は「何を言う、お前は一人息子なんだぞ」などと、どこ吹く風だ。
頭が痛い。
何故これほどまで子どもの気持ちが親に通じないのか不思議でならない。
一方で、気になることもあった。
アッシュフォルデ家…
大貴族だが、黒い噂の絶えない家だ。
アッシュフォルデ家が持つ『特殊な力』についても、俺はまだ知らない…。
いったい両親は何を企んでいるのか。
さっきから母と何か話しながら相槌を打っていた金髪の婚約者とやらが「…あの、」とおずおずと話を切り出してきた。
「リリズ様、先日あなたの試合を観ました。あなたのようなスター選手と僕なんかがお近づきになれるなんて、…はぁ…光栄です…言葉になりません…こんな楽しい食事をしたのも初めてです」
(…うっ…)
(俺だって…銭湯の従業員と仲良くなれるなんて思ってねえよ…)
身を乗り出す勢いで嬉々として語る奴…オーウェンと名乗っていたか? は、初手の王子感が台無しになるほど気持ち悪く、だか素直に俺への好意を表明した。
「光栄? すぐに退屈するだろう。俺と食卓を囲んで楽しいと思うのなら、かなりの物好きだ」
挑発に近い言葉を放ちながら、ナイフで皿を軽く叩く。
意地の悪さを包み隠さない態度に、しかし、オーウェンは微笑を崩さず、
「退屈なんて、まさか。あなたと同じ席に座れることが、十分に価値がある時間です」
と真っ直ぐな瞳で答えた。
リリズは不快そうに鼻を鳴らしつつ、心の奥では動揺と苛立ちを覚えていた。
(……やめろ。その目で俺を見るな)
こんな薄皮の王子野郎に調子を狂わされてたまるか。
どうせ最初は俺に憧れて近づいても、理想と違うとか言って勝手に失望するのだろう。
ずかずかと俺に踏み入らないでくれ。
こんな風に懐へ入れてはダメな理由を探してしまうことが、すでに相手に惹かれている証拠だとリリズはまだ気がついてはいなかった。




