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第20話 リリズの練習に付き合うオーウェン

朝の風がやわらかく吹き、港の潮の匂いを遠くへ運んでいた。

広場の一角では、リリズが剣の構えを確かめている。

日差しを受けて、刃が細く光を返す。


その少し離れた場所、石造りの柱のそばで、オーウェンは静かにその姿を見つめていた。

無理を言ってまでついて来たのは、リリズのことが心配だったからだ。

けれど同時に――リリズがどんな景色を見て、どんな色を見ているのか。

その傍らで、剣を振るう彼の姿をこの目で見てみたいと思ったからでもあった。


「おい」


声をかけてきたのはカナリアだった。

練習用の剣を肩に担いだまま、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。


「あなたか…」


「まさか、お前まで練習場に来てるとはな」


「カナリアさん。邪魔はしませんから、気にせず練習をしてください」


「…俺のことはカナリアと呼べ」


そう言うカナリアは、以前会った時と変わらず、きさくで屈託がない。

そんな彼に不思議と安心する。こうやって懐に入れてもいいと思ったら距離を詰めようとする感じは、僕が居た田舎にはよくあったかもしれない。


「……カナリア、それとリリズには余計なことは言わないで」


「ああ、何も言うつもりはねえ。安心しろ」


リリズを襲ったのは失踪した僕の父であり、カナリアの育ての親であること。

そして、襲われた理由──それを知るにはまだ負担が大きすぎる。


カナリアは思い出したというように言葉を続ける。


「そういえば、俺に父親を見張れって言ったよな? なら、オーウェン、お前の連絡先を知っておいた方がよくないか?」


僕は確かに以前そう言ったけれど、別にカナリアに密偵なんて期待していなかったから忘れていた。


「まあ、そうだね……」


カナリアの提案はもっともだとスマホをポケットから取り出そうとした瞬間に、後ろから声がする。


「何をしている?」


「リリズ」


リリズは不機嫌な態度を隠さないが、視線は僕ではなくカナリアを見ているようだ。


「早くこっちに来い」


そう言い残して踵を返したリリズ。

僕は出しかけたスマホをそっとしまった。


「──やっぱり、連絡先の交換はやめておきます」


リリズが不機嫌なのは、自分を放っていたせいだと思った。


「その方が良さそうだな」


カナリアも同意するように笑う。


「それと、あの話はもう忘れてください。あなたが育ての親を監視する必要はありません」


僕は声を落として言った。

リリズには聞こえない程度に。

その間も、彼は距離を取りながら、こちらを気にしている。


──あ、これは怒ってるな。


小さく息を吐くと、カナリアが苦笑した。


「リリズが機嫌悪そうだ。もう行くよ」


「そう見えるな。俺が何かしちまったか?」


「いいえ。たぶん僕があなたと話してるからです」


肩をすくめると、カナリアは呆れたようにため息をつき、剣を持ち直した。


「お前ら、仲いいな」


「……まあ、悪くはないです」


ふと、視線の先でリリズが構えを取った。

その姿を見つめながら、僕は言った。


「リリズ、彼の型は少し特殊だ。覚えてないかもしれないけど、あなたは前に一度負けている」


リリズが振り返る。


「俺が、コイツにか?」


記憶を失ってからのリリズは、妙に口が悪くなった気がする。

苦笑しながらカナリアを見ると、彼も同じ顔をしていた。


「そう。独特な足さばきで、慣れていないとあっという間に懐へ入られて叩き伏せられます」


リリズは眉を寄せ、鼻を鳴らした。


「平民は剣技の礼儀も知らないんだな。そんな野蛮な太刀筋、客が見たいと思うか? ──実戦なんて馬鹿らしい」


その言葉に、カナリアの穏やかな表情がわずかに陰った。


「美しい技には憧れるが、誰もがあなたみたいになれる訳じゃない。俺は実戦派だから貴族のお遊びに付き合うつもりがないだけだ」


“お遊び“そう言いきるカナリアにリリズが激怒しないかとハラハラしながら見ていたオーウェンだが、予想に反してリリズは「…そうか」と言って目を少し細めてカナリアを見ただけだった。


彼の感情の“色“ に何か感じるものがあったのかもしれない。


「リリズ、よければ僕が練習相手になりましょうか?」


オーウェンは思わず口に出していた。

僕の言葉にリリズがわずかに目を見張った。


「…お前がか?」


「ええ。少しだけなら、カナリアの動きを真似できます。昔、父に少し剣を教わっていたんです」


「へえ……そうなのか」


カナリアも驚いたようにこちらを見ている。


「まあ、形だけですけどね」


僕は木剣を借り、地面に立った。

風が頬をかすめ、陽光が剣の影を細く落とす。

リリズが向かいに立つ。真剣な瞳がこちらを見据えていた。


「いつでもどうぞ」


その言葉を合図に、リリズが踏み出す。

風を裂く鋭い音。

僕は身を沈め、滑るように横へ──カナリアの動きの再現だ。


リリズの剣が空を切る。ほんの一瞬の差。


「……これが、彼の型です」


「くっ……なるほどな」


リリズが悔しそうに眉を寄せる。

少し離れた場所で、カナリアが腕を組んで見守っていた。

目だけで動きを追いながら、どこか感心したように。

風が止み、三人の間に静かな時間が流れる。


リリズは剣を下ろし、肩で息をしながら言った。


「もう一度だ」


「いいですよ」


僕は微笑み、再び構えを取った。



※ ※ ※


リリズの気が済むまで練習に付き合ったあと、僕はくたくたになって床に尻もちをついた。

リリズの体力には、驚かされる。


結局、剣が空を切ったのはそれっきりで。

気がつけば何度踏み込んでもリリズにいなされ、ただいたずらに体力を消耗させられていた。

──きっとリリズはカナリアを意識していた。相手を害そうとする力で勝ち負けが決まるものに価値があるか。そう問われているような、美しい動きだった。リリズのスター性を改めて垣間見たようで、僕はリリズの相手に名乗りを上げたことを今更ながら後悔していた。


そんな僕に、自分の練習を終えたカナリアが汗を拭きながら声をかけてきた。


「オーウェン、お前、この間より少し痩せたんじゃないか?」


「……わざわざ僕にセクハラしに来たの? 少し馴れ馴れしいですよ」


「心配してるんだろ。リリズがお前の体調を気にするとは思えないしな」


「僕の体調は問題ありません。それより問題があるとすれば、あなたとの関係をリリズに疑われることです」


カナリアは吹き出した。


「いいな、そういうの」


「他人事だと思って……」


僕は睨み返したが、その視線よりずっと強い嫉妬の気配が、

リリズの方からじっと注がれていることには、まだ気づいていなかった──。

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