第19話 母の見舞い
郊外の緑が濃くなる道を、タクシーがゆっくりと進んでいった。街の喧騒が遠ざかるにつれ、風の音と鳥の声がはっきりと聞こえてくる。
丘をひとつ越えると、白い石造りの建物が見えた。――母が暮らしている場所だ。
ここは表向きには教会だが、療養も兼ねた施設になっている。
手入れの行き届いた庭は人の気配がなく、静けさばかりが印象に残った。道を抜けてオーウェンは門へと進む。
受付で名を告げると、案内の修道女が穏やかに微笑んだ。
「お母さま、きっとお喜びになりますよ」
そう言われて、会釈する。
少し申し訳ない気持ちになるのは、最後にここを訪れたのがもう半年も前だからだ。
廊下を抜け、見慣れた扉の前で立ち止まる。
ノックの音が静寂に溶ける。
返事はなかったが、そっと扉を開ける。
「母さん、久しぶり」
「オーウェン、いらっしゃい」
部屋の扉を開けると、窓からやわらかな光が差し込んでいた。
母はベッドから半身を起こし、白いシーツの上で糸を手にしている。
指先で針を進める姿は、どこか昔のままだった。
「何を縫ってるの?」
「ちょっとした気晴らしよ。手を動かしていると落ち着くの」
母はそう言って、針の先を見つめながら微笑んだ。
顔色がよく見える。
「今日は体調がよさそうだね」
「ええ、たぶんね」
母は僕を見たかと思うと窓の外へ目をやったりしている。
話せる日もあれば、ほとんど声を出さない日もあるけれど、最近は以前より穏やかな時間が増えた気がしていた。
──あとどれくらい、こうして話せるだろう。
この国の王政が衰えつつあるように、母との時間も少しずつ終わりに近づいているのかもしれない。
静かに流れる空気を壊したくなかったが、僕はどうしても聞かなければならないことがあった。
「……母さん、父さんが生きてるって、知ってたんだね」
母の指が一瞬止まり、針先が小さく震えた。
「……会ったのね…黙っていてごめんなさい」
「ううん、わかっる。父さんを守るためだって」
アッシュフォルデが糸を引き、僕たちハルメレイ家は陥れられた。母さんは父をラザロ・アッシュフォルデから遠ざけたかったに違いない。
母も父も責める気はない。もし責めるべきことがあるならば、持って生まれたこの力とそれを利用しようとする貴族や国だろう。
「こんな力、なければよかったのに」
思わずこぼれた僕の言葉に、母は静かに頷いた。
「本当に……そうね。ごめんなさい、オーウェン」
「母さんのせいじゃない」
この力を最初に受け継いだのは母だ。
ハルメレイ家に入ったのは父の方で、
母は血を分ける儀式によって彼に力を与えた。
その代わりに、寿命を削られた。
母とアッシュフォルデの間に子どもはいない。
だから僕が誰かと番わなければ、この血はここで終わる。
それでいいと、僕は思っていた。
母はそんな僕の考えを見透かしたように、静かに尋ねた。
「オーウェン、あなたには大切な人はいないの?」
「大切なって、恋人のこと?」
リリズの顔がまっさきに浮かんだけれど、その名を母の前で出すのは、ためらわれた。
「いるよ。でも……結ばれるかはわからない」
「そうなの…?」
「どちらにしても、血を分ける儀式なんてしない」
母は小さく「そう」と呟いた。
その顔にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
けれど次の瞬間、母の目がわずかに細められ、声の調子が変わった。
「……私たちが恨むべきは、アッシュフォルデよ」
その言葉に、思わず息を呑む。
穏やかな母の口から、そんな響きを聞くとは思わなかった。
部屋の空気が少し冷たくなる。
母は糸を引き、また静かに針を進めた。
窓の外では風が木々を揺らし、光がちらちらとゆらめいていた。




