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第13話 蜜月の時間

オーウェンがデヴロー家の屋敷に戻ってから2日が経っていた──。


ケイデさんの言う通り、目を覚ましたリリズは数ヶ月間の記憶が抜け落ちているようだった。僕は日中は外で働かなければならなかったけれど、なるべくリリズのそばにいて話をしたり、時には身体を拭くのを手伝ったりしていた。


リリズの鍛え上げられた腕や肩の筋肉をなぞるように、温かい湯を染み込ませたタオルで拭き清めていく。

リリズは僕がすることに口を挟むことはしない。


「…いい匂いだな」


「ええ、これは温泉の湯です」


「温泉?」


「地下から湧き出た湯で、いろいろな効果の高い成分を含んでいます」


「…それは知っているが、なぜ?」


「僕が働いている銭湯は温泉ですから、リリズの身体にもいいと思って持ってきたんです」


「…そうだったのか、わざわざすまない…」


リリズは意外そうな顔で僕を見たけれど、深くは追求しなかった。


「リリズ、なぜ僕が銭湯で働いているか聞かないの?」


「理由があるのか?」


「…深い理由はないけど…」


こんな会話をするほどには、僕たちは打ち解けていた。


記憶を失う前のリリズはもっと強烈で我が強くて、周りへの拒絶が色濃くあった。

リリズ自身が物事に対して敏感だったことも関係しているかもしれない。

最近の記憶がないせいかわからないけど、リリズは穏やかだ。


「こうしていると、お前が俺の恋人なことがしっくりくる」


──リリズの言葉に息を呑む。


「…まさか」


思わず言ってしまって、はっとする。


「違ったのか?」


「なぜ、恋人だと思うの?」


リリズは少し困った顔で僕を見た。


「お前が俺の恋人だというのは両親から聞いた。こんなことになって申し訳ないが、記憶が戻るまで少し待ってくれないか」


そう言うリリズにやっと理解した。リリズの両親はリリズの記憶がないことを幸いとして、名実ともに僕たちを番わせたいのだ。


でも、正式な婚約者でも僕たちは恋人と呼べるような仲じゃない。

こんなことはよくないとわかっている。

リリズの言葉に戸惑いながらも、負担にならないよう合わせる。


「もちろんです。無理をしないでください、リリズ。治療に専念できるよう僕もあなたを支えますから」


僕の言葉にリリズは微笑んでくれた。

ああ、こんなふうに笑ってくれるのだと思うと胸が苦しかった。


初めてこの屋敷に来た頃、親の決めた婚約者の僕にリリズが笑いかけることなんてなかった。

僕は最も誠実なルートでリリズに近づいたつもりだった。

けれど大きな間違いを犯したのだと、彼の笑顔がそう言っていた。


だけどせめてリリズをこんなふうにしてしまった責任を取りたい。

リリズが回復するまでお世話をしたい。



※ ※ ※


体を拭き終わると、僕はベットに気怠そうに身を預けるリリズの顔を覗き込んだ。


「リリズ、よかったらマッサージをしましょうか?」


僕の言葉にリリズは驚きながらも眉を寄せた。こういう反応はリリズっぽいと感じる。


「なぜだ? 普段からはお前は俺にそんなふうに気を遣っていたのか?」


「いいえ、普段はあなたから僕にお願いしてました」


真っ赤な嘘だけど、リリズがどんな反応をするか、僕の言葉を信じるか。

僕を追い払わなくなったリリズに関わりたくて仕方がないのだ。


リリズは動じることなく鼻を鳴らした。


「オーウェン、記憶がないからといってお前の嘘を俺が見抜けないと思うか? 」


「本当です」


「いいや、嘘だ」


オーウェンは笑った。

リリズが今の状況に悲観せず笑って話してくれることが嬉しかった。少しだけ、このままならいいなんて思ってしまうくらいには、僕は身勝手な人間だ。


「あなたがストレスを抱えていると思ったから…」


リリズが僕を見る目が僅かに変わってきている気がする。


「なぜわかる?」


「いつも見ていたからわかります。言い忘れていましたが、僕達は“共鳴“します。強い感情の時だけですが」


“共鳴“という言葉に、リリズは目を瞬いた。少し考える仕草をした後に、顔を近づけて僕をまじまじと見る。

なんだかくすぐったい。


「共鳴ね、なら二人とも気持ちいいとき俺達はどうなるんだ?」


「は…?」


気持ちいい…とき…?


「どうした? 知らないのか?」


「それは…」


僕はリリズの澄んだ目から視線を逸らした。リリズはそんな僕の反応を楽しむように距離を詰めてくる。

いつの間にかリリズのペースに飲まれてしまっている気がする。


「俺を見ていたならわかるだろ?」


だめだ。

心の中で警鐘が鳴る。

リリズを騙して恋人のフリをしている僕がリリズに近づけるのには限界があるはずだ。

記憶を取り戻した時、リリズが傷つくことはしたくない。


リリズの唇がゆっくりと近づく

──止めることはしなかった

僕は微動だにせず、ただ目を瞑った


「…リリズ…」


「なんだ」


「僕は…」


こんな感覚になることは今までもなかった。

自然と出そうになる言葉に、僕自身も驚いていた。


「──ッ──!!」


──と、

リリズが急に胸を抑えて俯く。


「どうしたの!?」


「共鳴ってこういうことなんだな」


「僕に共鳴した?」


リリズがフッと笑う。


「ああ、でかい犬に飛びつかれたのかと思った。…お前は俺が好きすぎだ」


……??

……好き過ぎ?

茫然とする。


「それはあなたの感情じゃないの? それとも僕の色を見たんですか?」


「お前に色はない」


やはり、とオーウェンは納得する。

僕には激しい感情の起伏はない。

リリズを通している時だけ、感情を知ることができる。


「ならあなた自身の感情です」


リリズは今度は吹き出して、首を横に振る仕草をした。


「俺が? お前を好きなのか?」


「どうなんです?」


「オーウェン、俺達は恋人だったかもしれないが、俺は覚えていないんだぞ?」


オーウェンはリリズを見て微笑んで見せる。


「それでもあなたはあなたです」


「オーウェン…」


「僕が嫌い?」


そう言うとリリズは笑っていたけれど「もう、寝る」と言って顔を逸らされてしまった。


記憶がなかったらリリズは僕の世界から居なくなるなんて、どうしてそう思ったのだろう。

リリズはいつだって自分の感情に正直に、真っ直ぐに物事に向き合っている。

どんなことがあっても僕の目の前にいるのは本物のリリズだ。


そんなリリズの側に居て、守りたいと思う僕の気持ちもまた本物だと。


──この時はまだ、そう思っていた。


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