三文作家と共同作業①
『アレクサンドラ・アトキンソン侯爵令嬢。貴様との婚約を破棄する!』
――ああ、忌々しい声がする。
『申し訳ございません、王太子殿下。このような不出来な娘とは縁を切りました』
『ふんっ、侯爵の教育が不十分だったから、こういうことに……』
――不出来。不十分。……この私が、そうだっていうの?
物心つく前から、努力は絶えず続けてきた。
誰からも文句が出ないように、誰よりも優れた存在であれ。付け入られる隙も与えない完璧な存在であれ。それでいて、王太子の面目を無くすほどに目立ってはならない。
独りで立てない王太子を支えるために、彼の代わりを務めることができる程度の能力を身につけろ。だが、そのことを、王太子には悟らせるな。周りの者には見せつけながら、王太子には話が伝わらないように気を配れ。――まったく、どれだけ無茶を言うのか。
『それなのに……その結末は、これ?』
頑張って、頑張って、その先に待ち受けていたのが、これか。
ひどい裏切りと、いわれのない侮蔑と、理不尽な転落。
苦心して得たものの全てを、どうせ失ってしまうのなら。
『じゃあ、これまでの私の人生は何だったの?』
――まるで、私の人生はただただ浪費されただけみたいだ。
誰ひとり、そのことを惜しまない。そうやって踏みにじってもいいくらい、私の人生は価値も意味もないものだったみたいじゃないか――。
「……んせい、先生!」
「はわっ!」
揺さぶられて、アリーはがばりと頭を上げた。
締め切り前で睡眠を十分に取れていなかったせいだろう、執筆の合間に原稿に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
気づけば、瓶底のような分厚いレンズで顔の上半分を覆った女性が、じいっと顔を覗き込んできていた。
「ごめんなさい。ミッチェル。ついうっかり寝てしまっていて」
「すんごい、うなされてましたけどぉ、大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫」
原稿の催促に来た編集者のミッチェルは、数秒、アリーの顔を眺めたけれど、『まあ本人がそう言うならいいか』とそれ以上の追及はやめたようだった。
「寝不足ですか? 例の通い妻のお坊ちゃんとニャンニャンでもしてたんですかぁ?」
「ぶふっ!?」
否、どうやら、追及をやめたわけではなかったらしい。
いきなりぶち込まれた衝撃発言に、驚いたアリーが咽せると、ミッチェルはからかうでもなく淡々と続けた。
「ニャンニャンぱふぱふきゃっきゃうふふ、するのも止めはしませんけれどぉ、それで睡眠を削っていたら世話ないっていうか。寿命削ったら意味ないっていうかぁ? 先生も自分の体調くらいは考えて、自重した方が宜しいかとぉ」
「何から言い返せばいいのかしら。ぜんぶ、事実無根よ!」
「そうですか。それはよござんした」
けろりと話題を打ち切ったミッチェルは、いつも通りの無表情のままだ。
もう数年来の付き合いになるが、感情が読めないのは出会った頃から変わらないと、アリーは唇を尖らせた。
「……本当に、彼は、そういうのじゃないから」
「でも、この小汚い下宿に通いつめているのは事実じゃないですか」
「『小汚い』とか言わないの。自分で言うのは良くても、他人に言われるのは嫌。それに『通いつめている』という言い方にも語弊があるわ」
「そうですかぁ?」
「そうよ!」
そんな言い方をされたら、話題の人物――リックが、気に入った人物に会うためにせっせと足繁く通っているようじゃないか。……そう考えると、実態とそれほど異ならない気もするけれど。
「少なくとも、彼は『通い妻』ではないわね。どこに『妻』要素があるのよ。あれは男性だし、私にとってはただの情報源、かつ、私の本の面倒な読者。それだけよ」
「えー? でも、お坊ちゃんたら、先生のために、いろいろと差入れをして、世話を焼いてくださるじゃないですかぁ。自分までお菓子のおすそわけをもらっちゃったりして。なんとまあ、できた気遣いをするんだろう、これこそまさに『内助の功』だって」
「それはそれ、これはこれ!」
確かに、リックが出入りするようになってから、アリーの生活のレベルは若干上向きに修正された。
執筆中は寝食も忘れてしまうアリーに、時間を見計らって声をかけて食事を取らせ、執筆に集中できるように、部屋の片づけをして資料は取りやすい位置に準備し、原稿を取りに来たミッチェルらの応対に出てくれる――ひとに話せば『そんなに都合のいい人材がどこに転がっているのか』と問いつめられること間違いなしの、有能な秘書である。
「付き合ってるんですよね?」
「付き合ってない!」
「えー? ただの赤の他人のために、あそこまでできるわけないでしょう? ごまかさなくとも大丈夫ですよぉ、先生がファンを食ったってことは、自分の胸一つで留めておきますよ」
「だから、違うと言っているでしょう!」
なぜ、リックがあそこまで献身的なのかは、アリーにも分からない。
特に尽くすような理由のない相手にも親身に世話を焼く性質……というだけかもしれないが、その性質は、ありがたくもあり、迷惑でもある。そのせいで、ミッチェルから『ファンを食っている』なんて不名誉極まる濡れ衣を着せられていることを思えば。
「……誰が食うのよ、あんな面倒な男」
悪戯心でも出して、彼に指の一本でも触れようものなら、百年くらいはキャンキャンと『破廉恥だ!』とかうるさく騒ぎ続けそうなお坊ちゃんである。
いくら見た目が良かろうが全く食指が動かない、と溜息を吐くと、ミッチェルに食い気味に否定された。
「いやいやいやいや、このきったなく散らかった狭い部屋に通いつめられるほど慕われて、その気にならないのはおかしいですって。何なんですか? 不感症なんですか?」
「失礼すぎるでしょう! 誰に物を言っているの!」
「それはもちろん、『下衆エロゴシップ』の第一人者であらせられる大作家こと、アビントン大先生ですけどぉ?」
言いがかりを吹っかけておきながら、全く悪びれもしないとは。
ミッチェルの態度にげんなりしたアリーが『金を払ってくれる原稿依頼者様をぶん殴ってはいけない』と自分に言い聞かせていることを知ってか知らずか、彼女はぺろりと言ってのけた。
「次の本は、お坊ちゃんをモデルに書きましょうか」
「……あのひとをモデルに? 冗談でしょう、あんな純粋培養お花畑恋愛脳ちゃんに、どぎついゴシップが似合うはずないわ」
「別に、ゴシップに限らなくていいでしょう。スパダリお坊ちゃんを相手方にした恋愛小説だって、需要はたくさんあるわけですし」
「『スパダリお坊ちゃん』ですって!? どこが!?」
アリーが知っているリックは、どちらかと言えば子どもっぽくて、とてもではないが、包み込んでくれるような『スパダリ』ではない。
「ゴシップ本のモデルにするよりも、もっとあり得ないわ!」
「地位の高いイケメンで、何でも世話を焼いてくれて、気遣ってくれて……ほら、箇条書きマジックならイケます。物語に多少の脚色はつきものかと」
「『多少』で済まないから言ってるの!」
「えー」
「『えー』じゃないわ!」
ミッチェルに言わせれば、リックに似た登場人物には『需要』があるらしい。……その設定が売れ線だというからには、世間の女性陣はリック本人を『かっこいい』ともてはやしているのだろうか。
(全く想像がつかないわ。あのひとは、本当は、かっこつかないところばかり見せている人なのに……)
もし世の中が『スパダリ』をもてはやすとしても、現実にリックが黄色い声に取り囲まれて群がられている姿は想像できない。否、正確に言うならば、その様子を想像すると胸が悪くなるような心地がして、あまり想像したくはなかった。




