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或る三文作家の恋文~婚約破棄された令嬢は、ペンの力でさくっと復讐を終わらせる~  作者: 美海@『承香殿の身代わり姫君』発売中


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三文作家と押しかけ読者①

『なあに、バレやしませんよ。税のちょろまかしくらい、王都に着くまでの関所でぼられたと言えば、それで……』


 そこまで書いて、筆の運びはぴたりと止まった。


「んー……駄目だ、書けない」


 アリーはくすんだ金色の頭を掻いた。

 昨日は執筆中に突っ伏して寝落ちてしまったせいで、目覚めると髪に妙な寝ぐせがついていた。下ろしても肩の辺りまでしかない短い髪をまとめて、頭の後ろで縛りつける。

 新作小説の大まかな展開は決まっている。何せ、つい先日起こった出来事を、そのままモデルにしているのだから。領地の農民を締めつけすぎた貴族が、我慢の限界を迎えた農民に追い回されて、命からがら王都まで逃げのびてきた、という情けない笑い話である。

 結局のところ、アリーが書く小説の読者は、『小説』を求めているわけではなくて、お高くとまって鼻持ちならない上流階級の醜聞を肴に溜飲を下げたいだけなのだから。

 だから、彼らが好む醜聞の展開を改変するなどもっての外、誰の醜聞なのか読んだ者にははっきりと伝わるように、それでいてお上に取り締まられた時には『あくまでもフィクションですよ』とごまかしが利くように、登場人物の名前は現実から若干変えて、読者へのサービスのお色気描写を足して――アリーが付け足す創作性など、その程度である。

 今回も、読者諸君が求める通りの『下衆で小物で守銭奴な悪徳貴族の醜態』を描けば、それでアリーの仕事は終わり、原稿料が入る。次の原稿料が入るまでツケにしている支払いもあるし、友人知人からの借金だってある。ツケを払ってもまだ余るなら、そろそろ美味いものも食べたい。少しは贅沢だってしてみたい!

 書くしかない、書かねば金は手に入らない。それは分かっている、分かっているが、どうしても筆が進まないのだ。


「スランプってやつかな? いったん休もうっと」


 そのうち気分も上向くだろうと問題を先送りして、アリーが寝台にごろりと転がった時、階下から来客の声が聞こえた。安普請の下宿だけあって、壁も床も薄いのだ。


『失礼する。アリー・アビントン氏はご在宅か?』


 聞き覚えのない男の声が、アリーの筆名を訛りなく発音した。大家のシェルマン夫人が応対しているらしい。


『『アビントン』だって? 誰だい、それ? うちに下宿しているのは、アートンさんだよ』

『アートンさん? 人違いか? ……まあ、いいか。一度顔を確かめたいんだが』

『ちょっと、坊ちゃん! 勝手に入るのはやめとくれ!』


 アリーが住んでいるこの部屋は、『アレクサンドラ・アートン』名義で借りている。人の良い大家の老婦人に『実は、私は、話題のゴシップ作家『アリー・アビントン』です』なんて知らせようものなら、彼女は卒倒してしまうだろう。

 版元からの紹介で訪れた来客なら、その辺りの事情も知らされているはずだ。つまり、あれほど堂々と『アビントン』を呼ぶ時点で、アリーの知り合いでもなければ、今後の付き合いが生じる大事なお客様でもない。応対に出たシェルマン夫人には手間をかけさせて申し訳ないが、最後まで『人違い』と言い張って、客人にお帰りいただこうじゃないか。

 アリーは高みの見物を決め込んで、ごろりと寝返りを打った。


 ――ところが、事はアリーの思い通りに進まなかった。


『駄目なのか? 入場料なら払うが』

『いやいや、他人様の住まいなんだから、お金の問題じゃな……ひっ、金貨!? 本当にいいのかい? 毎度あり! こんな家でいいなら、ぜひ隅々まで見ていっとくれ!』


「……えっ、嘘でしょ?」


 来客は、大金を出して大家を買収したらしい。

 たかがアリーの部屋に上がるためだけにそこまでするなんて、得体の知れない客である。薄気味悪さにむくりと身体を起こしたアリーの目の前で、薄い扉がノックに震えた。

 ごほんと咳払いを一つして、喉の調子を整えたアリーは、少し低い声を作って応える。


「……どうぞ」

「はじめまして、君がアビントン氏か?」


 入ってきたのは、背の高い若い男だった。

 色味は地味だが仕立ての良い外出着を着て、上等なフェルトの帽子を被っている。帽子の下の黒髪も艶やかでまっすぐで、よく手入れされている。こんな下町には似つかわしくない、いかにも『良家のお坊ちゃん』という風体だ。


「いかにも、()()がアビントンだけど。あんたは、誰? 版元かな? 悪いけど、原稿はまだ書き終わっていなくてね」

「版元ではないな」

「じゃあ、もしかして……ボクの本の熱烈な読者だったりする?」


 時々、熱烈な読者に出会う機会が無いわけではない。だが、この上品なお坊ちゃんが、アリーの書く醜聞塗れの小説を愛読しているとはとても思えなかった。

 ところが、問いかけに青年はこくりと頷きを返した。


「ある意味では、そうだ。君の本を読んで、どうしても伝えたいことがあって訪ねた」


 彼が鞄から取り出したのは、確かに見覚えのある、数ヶ月前に発売された本だ。アリーの他の本に比べれば、まずまず売れたといっていい。


「『某公爵家の世紀の醜聞!~社交界きってのおしどり夫婦の真実~』の、ここの箇所だが。『公爵は、にいと口角を引き上げて、いたいけな少女に囁いた。……』」


 自分の書いた文章を滔々と読み上げる声に、耳を傾けた。

 もちろん覚えている。没落した伯爵家の令嬢であるアニタが、その美貌を公爵に見初められ、裏でいろいろと手を回されて逆らえない状態にされたうえで、強引に結婚を迫られる場面だ。時間をかけて推敲しただけあって、印象深い箇所だった。

 朗読が終わると、青年は身体の正面をアリーに向けて、言い放った。


「この本を発行する際に、シェリンガム公爵家の許可は取ったか?」

「はぁ? そんなの、取るわけないでしょ――」

「君は、シェリンガム公爵家のレジナルドとアニタ夫妻をモデルにして、この本を執筆し、無許可で出版した。間違いはないか?」

「読めば分かるでしょ」


 先日亡くなった先代シェリンガム公爵夫妻が、登場人物のモデルである。

 彼らは生前、子沢山のおしどり夫婦として有名だったし、同じ病に罹患して数日を置いて相次いで亡くなった時には『死の瞬間まで仲睦まじい』と話題になっていた。本の発売時期も相まって、読めば誰にだってモデルが分かるように書いたつもりだ。

 最初は公爵に心も許さなかったアニタが、最後には助けに来た元婚約者相手に「あなたではもう満足できないの」と言い放って決別するというラストが多少の物議を醸したが、本の売り上げは上々だった。

 アリーが誇る自信作だが――それを聞いた青年は深々と溜息を吐いた。


「信じたくはなかったが……やはり、そうなのか。祖父母をモデルにしているというなら、此処と此処と此処と此処は最低限、訂正の必要がある。大々的に謝罪もしてもらわないといけないな。それから……」

「ちょっと待ってよ! なんであなたにそんなことを言われなきゃならないの!」


 いきなり下宿に押しかけてきた挙句、アリーの作品にケチをつけるなんて。この男、頭のネジが外れているのだろうか。

 即刻追い出してやろうと、アリーは寝台から立ち上がり、声を荒らげた。


「部外者には関係ないでしょ!」

「――部外者は、君の方だろう」

「は?」


 青年はじっと、アリーを見つめ、目を合わせてきた。

 あらためて見ると、彼はとても整った顔立ちをしている。さらさらの黒髪に縁どられた小さな顔の中には、目尻の垂れた優しげなキャラメル色の瞳。ゆるく口角が上がった形の口角は、常に穏やかに微笑んでいるように見える。……まあ、実際のところ、彼はとても怒っているらしく、顔に似合わない強い視線をアリーに送ってきているわけだけれども。


「僕の亡き祖父母の名誉を踏み躙った、三流ゴシップ作家め! 僕は、彼らの身内として、この本の関係者として、抗議に来た」

「はっ?」

「僕の祖父、先代シェリンガム公爵レジナルドは、断じて女性に無理強いをする恥知らずなどではないっ! 訂正しろ、今すぐに! シェリンガム公爵家を虚仮にして、従わねばどうなるか……わざわざ言わずとも分かるな?」


 なるほど、確かにそれは、『部外者』ではない。

 美形で知られた公爵と、その公爵から生涯一途に愛された絶世の美女であった公爵夫人との血を引く孫なら、この美しさにも不思議はないわけだ。

 現実離れした出来事の衝撃で、どこか他人事のように考えていたアリーは、そこではっと正気に戻った。

 シェリンガム公爵の孫ということは、この男は高位貴族だ。彼が実家の権力や財力を遺憾なく使って、版元に圧力をかければ、弱小版元は呆気なくおもねり、アリーを切り捨てるだろう。そうなれば、受け取るはずだった原稿料はどうなるのか。いや、そもそも、アリー自身がお咎めなしで済むとも思えない。

 アリーは慌てて彼を宥めにかかった。


「いやいやいや、待ってくださいよ!」

「誰が待つか! 君はさっき、二人をモデルにしてこの本を書いたと認めた。誤った内容をさも本当に起きたことのように書くなんて、許されないに決まっているだろう。祖父母は、本当はこんな人じゃないのに――」

「待って、待って! じゃあ、本当に起きたことを書く分にはいいんですね? ねっ?」

「え?」


 アリーが隙を逃さず口を挟むと、青年はきょとんと目を丸くした。

 明らかに話を逸らされても、彼はよほどお育ちが宜しいらしく、頭からはねのけようとはしない。


「あなたは今、『祖父母が誤解されるような作り話を書くな』と仰ったわけで。そりゃそうですよね、やってもいないことを責められて、悪い評判がつくなんて、迷惑な話ですよね。ええ、私もそう思いますとも!」

「え。ええ、ああ、そうだが……?」

「じゃあ、それとは反対に、極悪人が悪事を働いていたときは? 『立派な人物でした』という作り話をするべきだと思いますか?」

「その場合も、作り話をすべきではないだろう。嘘の評判を広めることには変わりがない。どちらも良くないことだ」

「同感です! 私もそう思います!」

「なっ!?」


 近づいて、すらりと細長い指をした彼の手を両手で包み込むと、彼は蛇を目にした猫のように身を竦めて飛び上がった。

 どこに出しても恥ずかしくない、正真正銘、純粋培養のボンボンだ。これなら簡単に丸め込めると踏んで、アリーは声の調子を居丈高に強めた。


「あなたは本の内容が『誤っている』と仰いますが、それでは『本当に起きたこと』とは何なんでしょうねえ? ただ『訂正しろ』とだけ言われても、卑しい私めは納得いたしかねますねえ」

「なっ……!? 訂正するつもりはないのか!?」

「教えていただけたら、検討はいたしますとも。たった今、『嘘の評判を広めるのは良くない』と仰ったではありませんか。微に入り細に入り、この私めに教えていただけませんかねえ?――それまでろくに面識もなかった女といきなり結婚することに、顔か身体目当て以外の理由があるなら教えてくださいよ」

「っ、貴様……っ!」


 瞬間的に怒りにかられたのだろう、アリーの胸ぐらを掴み上げようとして衣服に触れた青年は、弾かれたように手を離した。


「悪いっ! 君は、女なのか……?」

「ええ、実はそうなんです! 驚きました?」


 胸の膨らみに気づいた途端に腕を下ろすところを見ると、彼は入念に『女性に対しては紳士たれ』を叩きこまれたお坊ちゃんなのだろう。

 まったく、手ぬるいことだ。アリーの価値観からすれば、同じ悪事を働いた者に対しては、それが男だろうが女だろうが、同じ制裁を加えるべきだと思うのだけれど。


「初めまして。()はアリー・アビントンと申します」

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