三文作家と恋文③
結婚。もちろん、単語の意味なら知っている。
夫婦になること。家同士を結びつけるイベントであり、対になって生活を共にして、子ができれば新たな家を繋ぐイベントでもある。
「けっこん……結婚!?」
だが、アリーが聞くことはないはずの単語だった。
アリーにはもう、結びつけるような家はないから誰かに結婚を命じられることはないし、生活を共にする相手を自発的に作る気もないのだから。
「ダメかな。僕のことが嫌い?」
「ダメというか無理よ。あなた、国王でしょう?」
国王とは、他国の王女や国内の大貴族の令嬢と結婚するものだ。結婚しなければならない、と言い換えてもいい。
仮に万が一恋愛結婚を選ぶとしても、最低限、相手は貴族でなければならないし、平民の身分という一点だけを取ってみてもアリーは論外だ。
ましてや、リックにとってアリーは、元々兄と婚約していた元令嬢で、そこから追放の憂き目にあった敗北者でもあり、現況は王侯貴族を揶揄してばかりのゴシップ作家である。――大丈夫な要素が何ひとつない。
「つまらない冗談を言うのはやめて」
「アリーも、僕のことは嫌いじゃないだろう? 新聞での分かりにくい呼び出しに応じてくれたくらいだし」
「そっ……うだけど、結婚はあり得ない! あなたは国王なんだから!」
アリーは正しいことを言っているはずだ、リックの方がおかしい。
それなのに、彼は目を眇めると、不満そうにうそぶいた。
「僕は国王だから、それくらいのことはどうとでもなる」
「え?」
どういうことだろう。国王だからこそ、結婚相手にはいろいろな制限をかけられて大変だ、という話をしたところなのに。
訝しんで彼の顔を見返すと、彼は顎を引いて応えた。
「二年前、君に会いに行ったとき、祖父母の話をしただろう?」
「ええ、あなたがずっとこだわっていた話ね?」
「あのとき、アリーは『生家を滅ぼした男に真実の愛を向けるわけがない』というようなことを言った」
確かに言った。先代シェリンガム公爵夫妻について、レジナルドがアニタ夫人の生家をあくどい手で破滅させたことをあげつらって、『だから彼らの間には真実の愛はなかっただろう』と述べた。
「違うよ。祖母は祖父を深く愛していた。今の僕には、それが分かる」
「だから、それは、あなたがそう信じたいだけで、証拠がないと言ったでしょう」
「証拠ならあるとも。――祖母は、生家で虐げられていたんだ」
「は?」
リックはいつだったか彼が見せてきたのと同じ黒革の日記帳を、懐から取り出した。どこにその記載があるかも覚えているのだろう、ぱらぱらとページをくって、すぐに目的の箇所に行きつく。
『今日、あのひとたちが破滅したと、レジナルド様から聞いた。彼はずっと『正しい裁きを受けさせればいい』『彼らが不幸になっても君が幸せになるわけじゃない』と私を止めようとしていた。それでも、最後には、私の望みを叶えると決めて、彼の手を汚してくれた。ああ、清廉な彼が、私のために堕ちてくれた。これほどの愛があるだろうか。彼のことがもっと、よりいっそう好きになってしまう』
「祖父は、祖母を愛していたから、祖母の正道ではない願いも叶えた。祖母は、自分のために手を汚すことまでした祖父に惚れ直した。これが、『王国きってのおしどり夫婦』の汚い真実」
満足してくれたかな、と小首を傾げるリックに、アリーは硬直した顔を向けた。
彼の敬愛する祖父母の裏の顔を知っても、彼には動揺した様子もない。もうとっくにそのことは乗り越えているのだろう。そのうえで、彼が今、この話を明かした理由は――。
「僕は、君の愛が欲しい。そのためなら、僕は何でもできる。君の望む復讐を叶えることも。君はどうしたい? 兄の命を奪おうか? 君の父君を悲惨な目に遭わせようか? 君を追い出した貴族たちを弾圧する? それとも……」
それは悪魔の囁きに似ていた。
心の弱みにうっかりとつけ込まれるような、甘い甘い響きの声で――弱みが無ければ付け込まれないところも同じだ。
「何もしなくていい」
アリーがきっぱりと言い切ると、リックは目を見開いた。
彼はきっと、アリーが誘いに乗ると思っていたのだろう。心外である。
「なぜ?」
「私はね、私の力で、とっくに復讐を終わらせたの。手伝いなんて要らないわ」
今でも恨みがないとは言わないが、心の奥底で静かに燃える熾火のようになった。そう言えるのは、アリーが聖人君子だからではなくて、既に首尾よく相手をひどい目に遭わせた後で、溜飲が下がっているためだろうけれど。
「それにね、私は、私の力で成し遂げた、性格が悪くて行動力がある私のことが好きなの。救われるのを待つお姫様は、私の性分には合わないわ」
――だから、あなたが『復讐に僕の力を使って』と、私に『お姫様』になるように望むなら、私は応えることはできない。
「待って! 違うよ、僕はそんなつもりじゃないっ!」
「分かっているわ。だから、そのことは二度と言わないでね」
言い終わらないうちから慌てて否定してきたリックの唇に、人差し指を突きつけた。
端的に『黙りなさい』と指示された彼は、しおしおと元気をなくした。『振られた』と早合点したのだろう。……それはそれで、他人の話は最後まで聞け、と思うけれど。
「誰かのために自分の手を汚す……ところまではしなくても、誰かのために自分の身を尽くすだとかができる人もいるんでしょう。それは、愛がないとできないことだとも思う。でも、私は、苦しい思いなんてしたくない。あなたにもさせたくない」
きっと、アリーの愛は、自分勝手だ。そのことは、アリー自身が分かっている。
それでも――今のアリーは、彼とともにいたいと望んでいて、彼も同じ気持ちだというなら、その『単なる偶然』を尊ばない理由があるだろうか。
「私、あなたと結婚したいわ。『あなたに選んでもらったから』ではなく『私があなたと結婚したいから』結婚する。『あなたが国王だから』ではなく『あなたが世間知らずで頼りなくて告白のセンスだって全くないけど、まっすぐで諦めの悪い人だから』結婚する。だから、お互い、一緒にいるのが苦しくならないように、一緒にいたいと思い続けられるように努力しましょう。それがダメになるときまで、一緒にいて?」
それでいいかしら、と言い切るのも待たずに、彼はアリーに抱きついてきた。




