三文作家と恋文②
まさか、彼との再会がこんな形になるとは思っていなかった。
彼が停めていた馬車に乗り込むと、車内には気まずい空気が充満した。
「……久しぶりね」
「君が、僕を捨てていなくなったからね」
何気ない挨拶で口火を切ると、リックはちくりと皮肉で刺してきた。
どうやら、二年前、あれっきり音信不通になったことは、彼にとってはお気に召さない幕切れだったらしい。
「それはごめんなさい。事情があったのよ」
それでも、リックだって、アリーの下宿を知りながら、あれ以後は押しかけてくることはなかったのだから、『もう会わない』という意図は黒服の男づてにきちんと伝えられたうえで、彼も納得していたはずだが。
アリーがそう言うと、リックは不服そうに眉間をぐぐっと寄せた。
「……リチャードから事情は聞いたが、僕は納得したわけじゃない」
「あら、あの彼、『リチャード』って名前なのね。あなたと同じ」
黒服の男とは、それなりにやりとりは重ねていたが、彼は結局最後までアリーに名前を明かすことはなかった。そこまで徹底的に隠し通すのはかえって大変だろうに、意固地な男である。
「……それについては、後で話すよ。着いたよ」
「どうもありがとう」
貴公子らしくエスコートに差し出された手を遠慮なく拝借し、地面に降り立ったアリーは、目の前に広がる光景を見て目を剥いた。
てっきり、リックは、アリーの下宿まで送ってくれたものだと思っていた。そうでなくても、リックの家だとか行きつけの店だとか、落ち着いて話のできるところに移動するつもりなのだと。
ところが、そこにあったのは――。
「王宮……!? なんで!?」
かつてのアリーは、そこに頻繁に足を踏み入れていた。けれど、婚約を破棄され、生家と縁も切られてからは、立ち入る資格を失ったから、二度と訪れる機会はないはずだった、その場所。
この国で一番格式高く、一番身分の高い人間たちがひしめいている場所である。
「待って。なんで、こんなところに連れてきたの!?」
「それはもちろん……」
「あなた、私を突き出す気なのっ!?」
考えてみれば、リックがアリーと話をしたいだけなら、彼から直接に下宿を訪ねればよかったはずだ。彼がわざわざ外での待ち合わせを指定したのは、用件を知れば、アリーが逃げ出すと警戒したからではないか。
つまり、ろくでもない用件でアリーに用があったということで――王侯貴族を侮辱したゴシップ本の発行の沙汰を下すつもりで連行したのか!?
「……え? いや、僕だって、大事な話をする場所は選びたいというか」
「私、帰るわ! 離して!」
「えっ!? 嫌だ、帰らないでくれ! 誰か、早く来てくれ!」
「いいから離しなさいってば! この、馬鹿力!」
そういえば、リックは妙な武術も修めていたのだった。しがみつかれて引き離せずにその場でじたばたと押し問答をしていると、騒ぎに気づいた衛兵たちがこちらに近づいて取り囲み、アリーの逃亡はいっそう難しくなったように思われた。
「お帰りなさいませ! 国王陛下!」
――おまけに、彼らは、リックに向かって、こう呼びかけるのだ。
「へ……っ?」
「ああ、皆、ただいま帰ったよ。彼女の荷物を部屋に運んでほしい。着替えもさせてくれ。大事な客人だから、くれぐれも失礼が無いように」
「かしこまりました!」
「国王陛下? リックが、陛下……? っ、ちょっと!? どういうことなの!?」
驚いて身体の力が抜けた隙を、王宮勤めの優秀な衛兵たちが見逃すはずもなく、まんまとアリーは王宮の一室に連行されてしまったのである。
その部屋のクローゼットにずらりと並んだドレスの山から最も上等なものを選んで着せつけられ、顔には水だの油だのを塗り込まれ、粉をはたかれて、顔の皮膚の上に新たな層を築かれる。久しぶりに見る『令嬢らしい姿』の層だった。
きらびやかに着飾って晩餐室に案内されても、この状況で食べ物の味を感じられるはずもない。いや、『食べ物も喉を通らない』というほどには繊細ではないから、むしゃむしゃと咀嚼したうえで、王宮料理人の料理の万全のポテンシャルまでは感じられなかった、という意味である。
「それもよく似合っているけれど、もっと活動的な衣装でもいいね。今度、仕立て屋を呼ぶときに君の好みを伝えてほしい」
「……あの。陛下、とお呼びすればよくて?」
「ああ、僕がこうして名乗るのは初めてかな。あらためて、僕の名前はセドリック。数年前まで、この国の第二王子をやっていて、今は、国王として働いている。ひとには『陛下』と呼ばれることが多いけれど、アリーは『リック』と呼んでいい」
アリーの向かいの席に座り、美しい所作で食事を口に運ぶのは、評判も上々で、若くて美形だという噂の国王……かつ、アリーの知り合いのリックである。
どうやら、彼の名前は『リック』でもなかったようだが。
「最初から、私のこと騙していたのね……」
「アリーが勝手に、僕のことを従兄のリチャードだと勘違いしたんだよ。僕は『リックと呼んで』としか言っていない」
確かに彼に初めて会った日、アリーは『先代シェリンガム公爵の孫』という情報に気を取られて、彼のことを『リチャード・シェリンガム公爵令息』だと思い込んだ。第二王子と一緒に留学していた公爵令息なら、王太子の婚約者だったアリーが顔を知らなくても納得がいく、と早合点してしまって。
当時の王太子や第二王子だって、王妃づてに先代シェリンガム公爵の血を引く『先代シェリンガム公爵の孫』であることは同じだし、公爵令息が随行した第二王子だって留学生活も長く、顔もおぼろげにしか分からない人物だったというのに。
「……最初はそうだけれど、でも、その後も、私は、あなたが公爵令息だと思って話していたのに、あなたは否定しなかったじゃない!」
「誤解していてくれた方が、僕にとっては都合がいいから。ちなみに、本物の『シェリンガム公爵令息リチャード』は君と僕を引き離して、君と連絡を取っていたやつのことだよ。彼のことは『リック』とは呼ばないように」
リックはいけしゃあしゃあとして、全く悪びれもしない。
どうやら、彼がアリーに見せていた『純粋培養のお坊ちゃん』の姿もまた、嘘ではないにしろ、彼を正確に全て捉えきったものではなかったらしい。
「何から話そうかな。……僕が、君に興味を持ったのは、君も知ってのとおり、祖父母についての暴露本がきっかけだった」
リックの幼少期の境遇は、語った話の通りだという。
彼の両親である国王と王妃は、世継ぎである王太子の教育ばかりに気を取られて、手のかからない第二王子のことは気にかけなかった。
両親と折り合いが悪く鬱屈としていた孫を見つけた先代シェリンガム公爵夫妻が、彼を引き取って別邸に連れて行き、そこで彼を育てた。リックは、祖父母に育ての親としての深い敬愛を向けており、その祖父母が侮辱されるのは我慢ならなかった、というところも本当だ。
「最初はどうしてやろうかなと、不敬罪に問うてもいいと思っていた。でも、君は、誰かを貶めるためにいいかげんなことを言う人じゃないと知った。君は、ただ、自分の見た真実を書いているだけだ。言われてみれば、僕だって、祖父母の本当の姿を知らない。祖父母は、彼らが生まれたときから、誰かの祖父母だったわけじゃない。僕が見ていた『孫思いの優しい祖父母』の顔だけが、彼らの人生だったはずもないのに。……僕は、君の目に何が映るかが気になって、知りたいと思った」
――君の見るものが知りたい。
――君と同じものを見てみたい。
その言葉が、愛の告白よりもずっと心を揺さぶるのは何故だろう。
自分がどのように世界や他人のことを見ているかには、自分の心が映し出される。物の見方を知られるのは、裸の自分をさらけ出している気がするからだろうか。
「そうして観察しているうちに、僕は、君自身のことが気になってきた。どうして君は、いつも寂しそうな眼をしているんだろう。愛とか恋とか、友情とか信頼とか、世の中に尊ばれるものを信じることを、そんなに怖がっているんだろうって」
他の人間から『怖がっている』と評されたなら、きっと、アリーは怒っていた。――『私は臆してなんかいない、知ったような口を利くな』と。
でも、本当は、アリーは怖がっていたのだ。
親子の情も恋愛感情も終わりのあるものだと知ってしまった。だから、『私には要らない』と思うようにした。自分の素直な気持ちを『そんな感情は持たない方が得だ』と押し込めることは、それはそれで、情に振り回されている。
新たな人間関係を築くことを恐れる気持ちを、見抜かれていたらしい。
「……それくらい、兄に心を残していたのかもしれない、婚約破棄がよほど堪えたのかなとも思った」
「それだけはないわ」
前言撤回。やっぱり、リックはちっとも見抜けていないらしく、とんちんかんなことを言っている。
どこをどう見たら、アリーが元婚約者への未練を引きずっているように見えるのか。
婚約破棄は、それを機に人付き合いの仕方を変えるきっかけではあったが、それだけだ。一度たりともエリックに愛情を抱いたことはないと、きっぱりと言い切ると、彼はぱっと顔を輝かせた。
「そうか! 良かった!」
そして彼は、席を立ち、そっとアリーに歩み寄って、アリーの腕を取った。
「リック……?」
「アリー。僕と結婚してほしい」




