三文作家と現地取材③
確かに、彼を誘ったのは、アリーである。
でも、彼がこれほど食いつくとは思っていなかった。
(本当に変人ね……)
捕まえた酔っ払いをしつこく質問攻めにしているリックを見て、アリーは呆れた。
酔っ払い―クェンティンと名乗った彼――にしてみれば、襲いかかった相手に返り討ちにされ、おまけにその相手はどう見ても『いいところのお坊ちゃん』なのである。
力では勝てないことを思い知って、命からがらこの場から逃げ出したとして、後日、このお坊ちゃんの配下の者がずらりと連れ立って乗り込んでくるかもしれないと思うと、逃げ場はない。
クェンティンにできることは、可能な限り、お坊ちゃんの機嫌を損ねないようにしつつ、自然と満足して離れてもらうしかない――などと考えているのではなかろうか。
「金があれば、君たちは更生するのか?」
「わかってねえなあ、リック坊ちゃん」
「分からないのは、君が言わないからだろう」
大貴族ゆえの傲慢な無理解をなじられても、顔色一つ変えずに『言われていないことは分からない』と言ってのける。……それを言ったら元も子もないが、普通は自分の不勉強や弱者への思いやりの欠如を恥じ入るところではないのか。
悪びれずに『こちらは知りたいと言っているのだからもったいぶるな、早く言え』と言い放てるなんて、リックの心臓にはぼうぼうの剛毛が生えているのだろう。
「はぁ……分かった、分かった。言うからよ」
クェンティンも同じように思ったのだろう、図太いお坊ちゃん相手にかしこまっても無駄だと気づいたのか、ため息まじりに質問に答えていた。
「金は大事だ、そりゃもらえるなら、俺だっていくらでも欲しい。だが、使っちまったら、金は無くなるんだ。一時の助けにしかならない」
だから、誰かが北地区を見かねて哀れんで、寄付金を注ぎ込んだところで、この地区に住まう民にとっては一時の飢えをしのぐもので終わってしまう。――クェンティンの見通しは、『そうだろうな』と思えるようなもっともなものだった。
「何せ、今のこの街には、かつての街の大動脈だった、織物の仕事自体がないんだからよ」
「織物の仕事が無いなら、他の仕事をすればいいだろう」
「おっまえ、『仕事への思い入れ』とかさっぱり理解しないクチか!? よくも、そんなこと言えるなっ!?」
あまりに遠慮のない言葉を聞いて、クェンティンは目を剥いていた。
確かに『嫌ならやめれば?』なんて、気心知れているわけでもない初対面の相手に向かって、なかなか言える言葉ではない。
そんなことが言えるのは、リックが食うに困らぬ暮らしの『お坊ちゃん』だからだろうか――。
「あのな、仕事ってのは、そんな簡単に捨てられるもんじゃねえんだよ……」
「むっ! 僕も『簡単に捨てられる』とは言っていない。『どんなに捨てることが難しいものでも、生きるためには捨てるべきじゃないか』と言っているだけだ」
――けれど、なぜか、リックの言葉は、実感を伴っているように聞こえるのだ。
まるで、彼自身が『捨てることが難しいもの』を捨てた経験があるみたいに。
「誰にだって、捨てたくないものはあるだろう。……本当は、諦めたくなかったものも。だが、どうせ手に入らないなら、無理にでも諦めて、他の道を探すべきじゃないか」
ふと思った。リックが諦めたものとは、何だったのだろう。
彼が望んでも得られなかった両親からの愛情だろうか。親元から遠ざけられない、『普通の子ども』としての暮らしだろうか。その結果、本来なら得られたはずの経験のことだろうか。
いずれにしても、リックは、欠落を知っている。自分が失ったもの、与えられなかったものの存在に気づいた上で、惜しんでもいる。
だが、彼は、それを得られなかった今の自分のことを『失敗』として扱いたくもないのだろうと思った。
望んだものが手に入らなかった人間だから。リックが上から目線の机上の空論を述べているのとは違うと、聞いた者に伝わったのだろう。
「……俺はこれまで、この仕事しかやってこなかったんだ」
クェンティンが吐き捨てたのは、きっと本音だ。
へらへらとふざけたような口調も、『お前たちにはどうせ分からないだろう』とひねこびた嫌な目つきも消え失せて、最後に残ったのが、その言葉だったのだから。
「俺だって、稼ぐためなら、こだわりなんぞ捨てる。だが、誰が、北地区の出身のおっさんに、一から仕事を覚えさせるんだ? そんな暇があるなら、若い弟子でもとって、一から育てた方が有意義だろう。そりゃそうだと思う」
だから、未来なんてない。もうおしまいだと、投げやりに言うクェンティンを前にして、リックは顎のあたりに手を当て、しばし考え込んでいた。
「ふむ。織工としての仕事を作るか、他の仕事の働き口を作るかの二択か。……例えば、誰か偉い人が、王都の店に『北地区の人間を決まった割合で雇わねばならない』と命じたらどうだろう。そうすれば、働き口は確保できる」
「北地区以外の人間から、ものすごく反感を買うでしょうね。それに、そんなギスギスした中で無理やり働くことになる北地区の人も、気の毒だわ」
リックなら『偉い人』に――彼が仕える第二王子や国王に伝手もあるのだろうし、そういう命令を出してもらうことはできるだろう。
だが、上から命じられたからって、人の心まで思い通りに操ることはできない。
上手くごまかして命令に面従腹背する庶民が出てくるか、強制的に従わされて王族から人心が離れるか、どちらにしても、問題の解決には繋がらない。
「それが駄目なら、北地区の織物業を盛り上げる方法があればいいんだが……北地区で作られたものを、偉い人が身につけて、宣伝するのはどうだろう?」
「さっきから何なんだ、『偉い人』って!」
「『偉い人』は偉い人だ」
クェンティンの疑問に答えたリックは、『君たちの織物の在庫があれば売り込んでくるが』と前向きな答えを口にした。
ところが、その提案にもクェンティンは暗い顔をした。
「残念ながら、北地区の織物には、ぱっと見て分かるような特徴がなかった。だからこそ、競争相手に負けたわけだが……偉い人とやらが、織物を身につけても、それがどこの何なのか、見ただけでは伝わらねえだろう」
――俺たちは、自分たちの作ったものに誇りを持っているが、客観的に見て、競争力のない弱い商品であることも分かっている。
クェンティンのもたらした情報は悩ましい。
「『北地区産のハンカチです』と自分から喧伝しないと意味がないということか」
「だが、それを言ったら、見下されるか、良くて『慈善活動としてハンカチを買ったんですね! 私も寄付します!』と言われるか、ってところじゃねえか?」
『偉い人』から言われれば周囲も募金くらいはするかもしれないが、それでは、一時的な金銭が得られるだけで、意味がない。
思考は堂々巡りになってしまう。
「つまり、北地区にいいイメージを持たせつつ、『北地区のもの』であることに意味を持たせ、なおかつ、長期的にたくさんの人に買ってもらえそうな『理由』をゼロから作り出さないといけないのか」
「それに加えて、凝った準備をする金なんて、俺らは出せない。坊ちゃんが自分の金でできる範囲で、ってことになる。……無理だろ?」
確かに、そんなに都合のいいものはない。
この世にないものを用意しろ、と言われているのだ。『無いものを出すのは無理です』と答えて断ってしまえばいい。
だが、リックの瞳には、強い光が宿っていた。
「無いものをゼロから作り上げる――アリー。君ならできるんじゃないか?」
まったく、いつのまに、このお坊ちゃんと思考が似通うようになっていたのだろう。
二人は顔を見合わせて、にやりと笑った。




