三文作家と現地取材②
『見物』という心躍る響きに、リックは胸を高鳴らせていたのだろう。
わくわくとはしゃいだ様子の彼に向かって、アリーは容赦のない『ダメ出し』を食らわせた。
「その前に、まずは服を着替えないとね。あなたの服、いかにも『お坊ちゃん』すぎるわ」
「そうか? 極力、目立たない服を選んできたつもりだが」
これでも庶民に紛れるようにしているつもりなのだ、と、彼は、焦げ茶色のベストの生地をつまんでみせた。
訝しむような表情から察するに、彼は本気で『これなら目立たない』と信じているのだろう。『暗色だから目につかない』なんて、道行く人々のことをよほど目が悪いと思っているのだろうか。
「光沢や布の厚みからして、見るからに上等すぎるのよ。そもそも、繕いの一つもないって、ごまかす気はあるの?」
「えぇ……? 頑張ったつもりだったんだが、申し訳ない」
素材が上質な布も、そのうえに手をかけて作られた衣服も、高級品だ。
庶民なら、多少の汚れや擦り切れ、サイズ違いで衣服を捨ててしまうことはない。あて布をしてつぎはぎをして、少しでも長く着られるようにしようと工夫するのが普通である。
そう考えると、いくら色合いが地味であっても、身体にぴったりと合った、傷一つない衣服を身にまとった男、というのは『お坊ちゃん』でしかありえないし、庶民の街の中ではめちゃめちゃに目立ちまくる。
「というわけで、まずは、古着屋に行くわよ」
「そうか、実際に庶民が着ていた服を買うのか。分かった! これだけあれば足りるか?」
「へっ?……ばかっ! ここで出さないっ!」
悪気はないのだろうが、『庶民』を珍獣か何かと思っていそうな言葉を吐いた後に、リックはぱんぱんに肥えた袋を、懐から取り出した。
じゃらりという金属音に、つい視線を引きつけられると、そこには眩いくらいに光り輝く黄金色が――!
「なに考えてんのっ!? さっさとしまいなさい!」
道端で裸の金貨を取り出そうとしたのか、この世間知らずのボンボンは!
目を剥いたアリーが飛びついて止め、しっかり財布の口を閉じさせてから、説教を食らわすと、彼は唇を尖らせた。
「ごめん、えぇっと……」
「金貨なんてね、庶民は目にすることすらめったにないわ。見せるだけで、やんごとない身分だと分かってしまうでしょうがっ!」
「そうなのか!? だが、僕の手持ちは金貨しかなくて」
「もうっ! 私がお金は出すから!」
本当に、手のかかるお坊ちゃんである。
原稿料の支払期日を間近に控えて、ただでさえ薄くなっていた財布をさらに細らせながら、アリーは彼の『擬態』の道具を買いそろえることにした。
「うーん……まだ、綺麗すぎるわね」
結局、どんなに頑張ってぼろをあてがったどころで、違和感は拭いきれなくて、妥協に妥協を重ねる結果に終わったけれど。
何なのだ、できるかぎり予算をケチって、安いぼろ着で済ませようとしていたのに、そうすればそうするほど『理由あって世をしのぶ仮の姿を取っている人』か『理由あって滅ぼされた高貴な生家の再興を目指している人』のどちらかにしか見えなくなる。
無駄な注目を集めるくらいなら『庶民の中では裕福な側の人』に化けてもらう方が街になじむとは、どういうことなのか。
(こういうのが、『生まれもっての気品』というものなのかしらね……)
幼い頃からみっちりと礼儀作法を叩きこまれても、常に隙のない格式高いドレスを身にまとっていても、アリーにとっては『付け焼刃』どまりで、ついに身につかなかった『気品』とやら。
さすがに筆頭公爵の令息ともなれば、息をするよりも自然に、気品あるふるまいをできるものらしい。
(まあ、単純に、顔が良すぎるから、何をしても良いように解釈されるだけ、という気もするけれど)
いかにも高貴そうな美形というのは、それだけで他人から好感を抱かせる武器なのかもしれない。
「アリー……この服ならいいか?」
「仕方ないわ、これで行きましょう!」
おずおずと確認してきた彼に『仕方ないわ』と、ぎりぎりの及第点を与えると、彼はまたためらうように尋ねてきた。
「アリーは?」
「え?」
「アリーは、綺麗な服は着ないのか? 綺麗な服というか、女性らしい服、というか」
あまりにも予想に反した言葉を聞いて、アリーは自身の衣服を見下ろした。
かなり前に買った服は、洗濯はきちんとしているし不潔ではないと思うが、洗濯を繰り返した分だけ傷みも早く、ところどころ生地の擦り切れた箇所がある。おまけに、サイズが合っていなくて、腰回りがぶかぶかだ。
強引に着るために、シャツの裾をズボンの口に詰め込んで、それでもなおだぶつく生地は、サスペンダーにひっかけて肩で支えている。
どこぞの令嬢が『着ろ』と言われたなら、金切り声でもあげそうなくらいに悲惨な――庶民にはありふれた服装である。
まじまじと自分を眺め、『普通の恰好』であることを再確認したアリーは、リックの申し出を鼻で笑った。
「あのねえ、言ったでしょう、これから王都の中でも治安の悪い地区に行くのよ。女らしい恰好をするなんて、リスクを上げるだけよ」
「今はそうだが、普段も、着飾っているところを見たこともないから」
彼は、アリーの手を取って、瞳を覗き込み、言った。
まるで、何かの願いをかけるみたいに。
「買ってくれた服のお礼に、僕にも何か贈らせてくれないか」
服を贈るといえば、恋愛関係に発展しそうな二人の間では、一大イベントなのかもしれないけれど。この場合は単純に『あまりにも悲惨な衣服を着ているから見ていられない』という意味合いだろう。
何せ、リックは庶民を見慣れないお坊ちゃんなのだから。
「結構よ。着ていく場がないもの」
昔ならいざ知らず、今のアリーにとっては『綺麗な衣服』は何の意味も持たない。
無用の長物に興味はないと断ると、彼はしつこく縋りついてきた。
「……っ、じゃあ! お金で払う! 受け取ってくれ!」
強引に金貨を手に握らせられる。
こんな大金、アリーがリックに買ってやった古着の値段としてはあまりあるどころか、古着屋の商品全部を買い取れそうな価値がある。
「もう……強引に押しつけられても困るのに」
まあ、そこで遠慮するような可愛げをアリーは持ち合わせていないわけだが。
そんなにもらってほしいというならもらってやるかと、アリーは金貨を自分の財布の最奥に沈めた。
「ここから先は、お育ちのいいお坊ちゃんは近づいちゃいけない場所よ」
そして、『裏・王都見物』は始まった。
しぃ、と顔の前で一本指を立てると、リックは緊張した面持ちで頷く。さすがに彼も、この地区の空気の違いは感じ取っているのだろう。
「繁華街、歓楽街なら王都の東側に固まっているけれど、あちらは、そこそこ羽振りの良い人も訪れる街だもの、それなりに整備されている。酒場や娼館だって、お得意様が道中で強盗に襲われて寄りつかなくなったら、困るものね。価格の高い店は、店の金で腕利きの用心棒を雇って、警備も任せていたりして。そういう街ならかえって安全だ、って言えるのだけど」
王都に住む羽振りのいい商人や貴族、それに他国から来た旅の客。王都の東側は、金のある彼らの遊び場だ。
いかがわしい雰囲気のある店や通りは多いけれど、余裕のある客たちが危険な目に遭ったり嫌な思いをしたならば、すぐにひいきの店を変えてしまう。
客足が途絶える切実なリスクと隣り合わせなだけあって、花街の店主たちは治安の維持に協力的で、自警団も組織されている。
東地区なら、怪しげな客引きについて人気のないところに行きでもしない限り、そうそう危ない目には遭わないだろう。
「でも、王都の北エリアはそうではない。街が寂れ、人が減り、人の目が行き届かなくなって治安も悪くなり……ますます人が寄りつかなくなった」
ここ、北地区の危険さは、性質が違う。
普通に道を歩いているだけでも、スリやひったくりに遭うくらいなら可愛いもので、悲惨な被害に遭いかねないし、被害に遭ったところで『北地区なんぞに出入りしていたお前が悪い』と言われてしまうような土地である。
「何があったんだ?」
「ここはね、昔は、職人街だったの。さすがに王都のお貴族様に献上するほど上等な品ではないけれど、商人たちには重宝されていた織工や針子の街だったそうよ。でも、やがて、商人たちは、ここに見向きもしなくなった。どうしてか、分かる?」
かつてありふれた街だった街は、一気に廃れた。
謎をかけるように問いかければ、リックは苦しげに答えた。
「……売れなくなったからだ。今の時代、高価な織物を作るには、ダールシャ産の発色のいい染料を使わなければ『時代遅れ』とみなされる。ダールシャの染料は、目玉が飛び出るほど高価だ。一庶民には買えるわけがないのに」
「ええ、そうね」
「だからといって、我が国だって、安価な織物をたくさん作って薄利多売するほどには、原料や人員に余裕があるわけじゃない。つまり『高くも安くもない織物』が出来上がることになる。どっちつかずで強みがない品には買い手がつかない」
「そのうえ、この間、グアルディオラの発明家が『自動織機』を作ったと聞いたわ。そんなものが広まったら、織物はさらに値崩れするでしょうね」
さすがに、きちんとお勉強はしているらしい。
リックの声が悲惨な現状と未来を描き出すのを聞きながら、アリーは街を見渡した。
「寂れた街だもの。もう、この地区に用がある人も多くない。見捨てられた街よ」
かつては織工や針子が行き交っただろう通りには人も少なく、欠けた石畳が補修されることもない。悪臭のする街角は、きっとろくに清掃されていないだろう。
この街はこのまま静かに死んでいくのだろうなと思いを馳せていると、リックが何かをじっと見つめていることに気づいた。
「ちょっと! 目を合わせちゃダメ!」
「ああ、いや……」
袖を引き、小声で注意をしても、リックは、道端にうずくまった男を見るのを止めなかった。
辺りに散らばる酒瓶や酒の匂いからするに、いかにも面倒な酔っ払いだというのに、お坊ちゃんにはろくな危機回避能力も備わってはいないらしい。
「おいおい、なんだ。ここらは、坊ちゃんの物見遊山で来るところじゃねえぞ」
ほら、面倒なことになった。
ふらふらと左右に揺れながら絡んできた男を見て、アリーが必死に聞こえないふりを通そうとしているのに、リックはぺろりと言ってのけたのだ。
「いいから、無視して」
「物見遊山ではない。もっと真剣な気持ちでじろじろと見に来た」
「はぁっ!?」
酔っ払いとアリーの声が被る。
そりゃそうだ、『惨めな庶民を見物に来ました』なんて失礼すぎて、呆れるしかない。
「舐めてんのかっ!? 上等だコラ、身ぐるみ剥いで引っぺがしてやるっ!」
問題は、酔っ払いは『呆れる』では止まってくれず、怒り始めてしまった、ということで。
お坊ちゃんに怪我をさせてはならない。いや、リックが可哀想だからではなくて、息子を傷つけられたと知ったシェリンガム公爵家からどんな報復をされるか分からないから――という打算まみれの心で、アリーはリックを庇い、目を瞑った。
酔っ払い程度の力なら、身を挺して庇えば、リックは傷つかないと思っていたのだけれど――。
「痛てててっ! なんだっ、てめえっ、馬鹿力がっ!」
――痛めつけられた者の、悲鳴は上がった。リックではなく、酔っ払いのいた方角から。
「リック?」
目を開けたアリーが見たものは、自分が庇ったはずのリックは前に躍り出て、酔っ払いの腕を掴んで投げ飛ばし、身体を石畳に叩きつけている姿だったのだから。
「アリー、怪我はないか?」
「え、ええ……大丈夫だけれど……?」
無事を確かめられて、素直に答えると、彼は顔を綻ばせた。
安心したらしい。……自分は、男一人を投げ飛ばし、その腕をあり得ない方向に曲げさせている最中だというのに。
「留学中にできた友達から教わったんだ。『一本背負い』という技らしい。他に、『腕ひしぎ』というのも教わったんだけど、そっちの方が得意でね。……おっと、君に逃げられたら困るよ」
じたばたと暴れる酔っ払いを押さえつけて、リックはにっこりと微笑んだ。
魅惑的で恐ろしい、どこか聖典の悪魔を思い起こさせるような笑顔を添えて。
「ひぃっ! 許してくれ!」
「いやいや、ここで帰すわけないだろう?」
そのまま地獄の門まで連れていきそうな言い草である。
すっかり怯えてしまった男に向かって、リックは真剣な口調で言った。
「教えてくれ。僕は、君たちのために何ができる?」




